サヘルの夜明け−66
なんとか大使館に到着したときには16時近くになっていた。
バスを駐車場に停車し、正門を施錠した直後、唯斗はまず大使館と公邸の鍵を開けてウスマン、ムーサ、リチャードを屋上から警戒できるようにした。
ウスマン一家、ムーサ一家、ウマル一家にはもともと使っていた大使館2階の客室に立てこもるよう指示、インナとアンリ、クレアは公邸に戻し、保護した外国人たちはいったんロビーに待機させた。JICA職員たちには公邸のダイニングに行かせている。
その後、1階の施錠のみすべて解除しつつ、唯斗は屋上に上がった。
塔屋から外に出ると、町中から銃声、爆音、悲鳴が響いてきていた。
思わず足が竦んだが、すぐに姿勢を低くしてリチャードの近くに向かう。
「周辺の様子はどうだ?」
「3区の西側の動きが活発だな。特にダンババ通りの向こう」
「南警察署から独立広場にかけて、って感じか。2区や1区の方は?」
「こっから北東側は静かだ。恐らく、政府軍がいる。1区はフランス軍もいるから、あちらの方まで反政府勢力が向かうことはないだろう」
「…つまり、囲まれる、ってことか」
「そうなるな」
市内中心部にあたる1区と2区、および日本大使館のある3区東部は、今のところ平穏だ。空港から脱出した外国人たちの多くは、2区方面から政府軍の助けを得て中心部に退避しているのだろう。
一方、ダンババ通りより西、3区西部や4区、11区の方は激戦が続いているのか、激しい銃声が響いてくる。3区西部には南警察署があるほか、11区にはラヴァルヴィル大学がある。
さらに、市内北部ではJMASも市内に侵入してきたようで、5区の方から黒煙が上がっている。加えて、ARSNも徐々に北東部に到達し始めているようで、ラヴァル川の向こうにある6区や7区の方でも煙が立ち上っていた。
つまり、南東部はDASAK・CMM・ISNの連合軍、北西部はJMAS、北東部はARSNに侵攻されており、中心部に政府軍とフランス軍がいる。日本大使館を含む中心部は、反政府勢力に囲まれている状態だった。
「今晩の状況、どう思う?」
「うーん…中心部に攻めてくる可能性はゼロではないだろうな。だが、さすがに各勢力とも、市内を面では制圧できていない。あくまでピンポイントで施設ごとに制圧、周辺に影響力を及ぼす、という傘のような方式にならざるを得ない。ここはでかい街だからな」
警察署や大学、行政施設、ホテル、学校といった大きな建物を占拠して、周辺区画を銃口の届く範囲に収めることで、影響範囲を確保する方式だ。面で制圧するにはどの勢力も人数が足りない。
それならば、市内の勢力図は今のところ、まだら模様になっていると見た方がいいだろう。まるで囲碁だ。
「2ブロック東にある第8高校は政府軍が掌握してるって聞いた。それが知られていれば、今晩はこっちに来ない可能性の方が高いかな」
「撤退さえしてなければそう思うぞ。特に、この近くにいるのは長らく市内で橋頭保を築くために戦ってきたIS系だ。政府軍の配置はある程度把握してる。あそこを落とされると、ラヴァルヴィル中央病院までまっすぐ道を行くだけになる。せめて今晩くらいは踏ん張ってくれると思うんだが…」
二人の脳裏には、賄賂を要求してきた検問の兵士が浮かぶ。決して士気は高くない。あまり期待はできなかった。
「分かった。じゃあ、今晩は厳戒態勢ってことで館内をまとめておく。3人には適宜休みつつとはいえ負担かけて悪い。明日には必ずこの街を出る、あと一晩頼んだ」
「任せろ!唯斗のことは必ず守る」
こんなときでも、大使館を守ると言わなかったことに苦笑する。もちろん、リチャードはちゃんとそのつもりだ。ことさら唯斗のことを強調しただけである。
唯斗は頷いてその場を離れ、地上階に降りて外国人たちへの説明を行うことにした。
地上階に降りると、領事業務室の鍵を開けて適当にコピー用紙とペンを掴み、ロビーに出る。そして待合の長椅子に項垂れて座り途方に暮れる外国人たちを見渡せる位置に立ち、まずは英語で声をかける。
「英語かフランス語で対応します。英語をご希望の方は手を挙げてください」
すると、アジア人3人と白人男性1人が手を挙げた。ということは、白人一家はフランス人だろう。
唯斗はまず英語を希望する4人に話す。
「まず自己紹介します。私は日本国外交官の雨宮唯斗です。ここは日本大使館であり、大使館として正式に皆さんを保護しますので、皆さんが希望すれば明日、邦人とともにジブチへ退避させます」
「ほかの大使館と連絡は取れますか」
唯斗に対して、アジア人男性の1人が尋ねる。唯斗は首を横に振った。
「我々も通信手段はありません。なので、皆さんの国の大使館に連絡することはできません。よって、皆さんの選択肢は二つ。明日、我々とともにジブチに退避する。もしくは、自力でここを出て自国大使館に避難する。残念ながら、二つ目の選択肢において、私から助けられることはありません」
急に迫られる選択肢としては非常に過酷なものだ。沈黙した彼らには、「先にこちらの方々に話をしますので、そのあと、皆さんを保護した記録としてリストを作成します。少し待っていてください」と伝えてから、唯斗は今度はフランス人一家の前に立つ。
「はじめまして、日本国外交官、雨宮唯斗です。気軽に名前でどうぞ。日本国として正式に皆さんを当館に保護します。国籍とお名前をお願いします」
唯斗はバインダーにコピー用紙をはめてペンを取り出す。夫の方から口を開いた。
「ポール・アンドレ、フランス人です」
「私はカトリーヌ、こちらは娘のアンナです」
ポールとカトリーヌ、および娘のアンナは予想通りフランス人だった。念のためパスポートを確認し、国籍と名前に間違いないことを確かめる。
紙にメモをしてから、明日のことを伝える。
「明日、我々はフランス軍の協力のもと、ウーロ・ジャムに陸路で移動し、そこから自衛隊の輸送機でジブチに向かいます。詳細は明日フランス領事館に行ったときに確認しますが、恐らくフランス軍に合流する際、あなたたちをフランス領事館に引き渡せると思います」
「あなたがフランス領事館に行くときに同行できませんか?」
「恐らく、銃撃戦の中を抜けていくことになります。まだフランス軍とどこで合流するか決まっていませんし、出発時刻も分かっていないので。皆さんの安全を確保するためには、まず私が領事館へ赴いて話をつける必要があります」
唯斗が危険を冒して確認するのだと理解し、ポールたちは絶句する。外交官がそこまでしなければならない状況ということに、改めて恐怖を感じているようだった。