サヘルの夜明け−69


午前7時半、唯斗は大使館の管理室で公用車の鍵を取り、駐車場に出る。すでにリチャードが準備をしており、唯斗に気づくとベストを渡してきた。


「唯斗、これ着ておいてくれ」

「防弾ベスト?」

「あぁ。これがあるだけでまったく違うからな」


唯斗はいったんジャケットを脱いでベストを羽織り、そのうえからジャケットを着る。防弾ベストだけあって重く、硬い。ごわごわとしているが、体のラインに意外とフィットしていた。
リチャードも、Tシャツの上に防弾ベストを重ねており、ジーンズにロングブーツといかつい恰好をしている。重そうなベルトにはホルスターと拳銃、弾倉があり、ライフルを背負う。

さらにリチャードはネイビーのヘルメットを渡してきた。


「最後にこれだ。唯斗はヘルメットをしていてくれ」

「リチャードのは?」

「それが俺の。さすがにヘルメットは1つしか持ち歩いてないからな」


それならリチャードが、と言おうとしたが、唯斗は黙る。それを許すとは思えず、無駄な会話になると思った。それをすべて理解して、リチャードは「いい子だ」などと言ってくる。
子ども扱いかと思ったが、どちらかというと、今のリチャードは「唯斗を守る」という意識が極めて強く働いているのだろう。守るべき対象という意識が強いからこそ出てきた表現なのだと察する。それほど、この男も気を張り詰めているのだ。

ヘルメットを被り、公用車の運転席に乗り込む。リチャードが助手席に座り、ムーサが正門を開ける。


「お気をつけて」

「留守頼んだ」


ムーサにそう告げて、換気のために開けていた窓を閉める。
そして車を発進し、ラック通りに出たところで、ムーサが門を閉じるのを確認してから右折した。

通りは無人だった。ここ数日も、人口こそ減ったが商店などに用がある近所の住民の姿はあった。だがそれすらも完全に途絶えている。避難し終えたのか、息をひそめているのか。

今朝から続く銃声はどんどん数を増しており、西部から立ち上る黒煙の数は減らない。
以前ウマルがとっていたのと同じように、唯斗はダンババ通りを北上するルートではなく、町中の狭い道を進んでいく方法を取っている。それでもなお、人の気配はなかった。


「中央病院の橋からジェイターレ川を渡ろうと思う」

「了解。途中、どうしても幅の広い道に出るな」

「そうなると思う。広い道出たらスピード出すか?」

「そうしてくれ」


短い会話が張りつめた空気に落ちていく。
1区と3区の境界線であり、独立を意味するジェイターレ川の橋のうち、恐らく政府が掌握しているだろう中央病院の付近にかかる橋から1区へ向かう。
その際、中央病院に向かう道で必ず大通りに出ることになる。

そうして10分ほど走行すると、話していた大通りに出た。片側2車線の4車線だが、いつもなら車線を無視して5、6台が横並びに走るような通りである。だがそこも走っている車はなく、乗り捨てられたり燃やされたりした車の残骸だけが放置され、合間に遺体が転がっていた。
通りはあちこちに靴や鞄、衣服などが散乱しており、血だまりや弾痕も見られる。何度も戦闘や殺人が起きているのだろう。

右折して大通りに出たところで、唯斗はアクセルを踏む。スピードを出して走り始めると、途端に、銃弾が車体に当たる甲高い金属音が間近で響いた。


「ッ!!」

「蛇行しろ!」


リチャードはそう叫びながら、窓を開けてライフルで後方を射撃する。射線をずらすためだろう、リチャードの指示に従い、唯斗はハンドルを左右に繰り返し切って蛇行運転を行う。こんな運転の仕方は初めてだ。
リチャードの発砲音が鼓膜に響き、立て続けに車体に銃弾が当たる音が連続する。さらに、後方窓に銃弾が当たり、蜘蛛の巣のようにガラスがひび割れて真っ白になってしまった。唯斗は咄嗟にトランクを開き、後方窓に当たる銃弾を減らす。


「ナイス判断!」


リチャードはそう言いながらライフルの弾倉を素早く装填する。

しかしその直後、前方50メートルほど先の交差点に乗用車が飛び出してきた。窓から身を乗り出した男たちは手にライフルを持っており、こちらに銃口を向ける。

唯斗は慌てて周囲を見渡し、すぐ前方に大型のバンが外側の車線を横切るように乗り捨てられているのを見て、そのすぐ前に車を停めるためハンドルを右に切る。
左に切ればリチャードが後方から狙うスナイパーに対して丸裸になってしまうし、この距離では前から来る敵を振り切れない。

リチャードも唯斗の意図を理解しており、車が停車した瞬間に扉を開く。唯斗はすでにシートベルトを外していたが、強引にリチャードは唯斗を抱き寄せて車の外に連れ出した。おかげであちこち体をぶつけてしまったが、そのままリチャードに連れられ狭い路地に駆け込む。
そしてリチャードは、ライフルを的確に公用車のガソリンタンクに撃ちこみ爆発させた。同時に唯斗を抱きしめて路地を曲がり、建物の影に入る。耳をつんざく爆音とともに爆風が路地を駆け抜け、ごみが吹き飛んでいく。


「大丈夫か?」


リチャードにそう聞かれるが、心臓が飛び出るのではないかというくらい激しく鳴っており、油断すれば悲鳴すらあげたくなる。


「大丈夫じゃねぇ」

「大丈夫そうだな!」


だがリチャードは朗らかに笑うと、唯斗の手を引いて走り出す。歩幅のリーチが違うのにまったく配慮がない走り方なのは、それだけ急いでいる証拠だ。
複雑に入り組んだ狭い路地には、追いかけてきた男たちの探す声が響く。周囲の建物はすべて5階建て以上、路地の幅は2メートルもなく、雑然としてごみが散乱している。雨が降らないため埃が溜まり空気がひどく悪かった。



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