サヘルの夜明け−73
リチャードには屋上からの警備に戻ってもらい、唯斗は早速、方針の共有に入る。
現在時刻は11時前、陸軍基地からの出発は15時とのことだが、ここから1区までの道ですらあれほどの戦闘に巻き込まれたことを考えると、可能な限り早くここを出発した方がいい。
途中で何が起こるか分からないうえに、DASAKの兵士がいつ大使館を襲ってくるかも分からない。3区東部において、政府軍が掌握する施設よりも西側にあって大きな建物はこの大使館だけなのだ。
唯斗は急いで公邸に向かい、待機してもらっているJICA職員たちのもとへ向かう。リビングに入れば、すぐに豊田が立ち上がった。
「ご無事でよかったです」
「わりと奇跡的な無事です。3区内でも戦闘が起きており、極めて危険な状況です。これより今後の行動を伝達します」
唯斗の固い声に、職員たちの表情も険しくなる。
「ウーロ・ジャム空港から自衛隊機での退避は本日18時。フランス軍が護送する国連の車列の出発は、陸軍基地から本日15時です。これよりフランス軍が駐屯する1区マリア病院に向かい、そこでフランス軍に合流し、陸軍基地まで移送してもらいます。ガソリンが少ないとのことなので、事務所の車はここで破棄し、我々とともにバスに同乗してください」
「了解です」
「用意ができ次第、大使館エントランスで待機を」
豊田たちに話を通してから食堂に向かうと、インナとアンリ、クレアが待機していた。
同じことを伝えると、クレアが皿を差し出す。そこには、フフとピーナッツバターソースが盛り付けられラップされていた。
「最後のフフです。昼食を取っていませんよね、これだけでもぜひ」
「…ありがとう。助かる」
唯斗は皿を受け取ると、大使館に戻って大使室にそれを置いてから、1階の外国人たちと2階の中国人と現地人たちの部屋をそれぞれ回って準備を呼びかける。ウマルにはバスの運転を頼み、準備ができたら先にバスの確認をするよう指示する。
ウスマンとムーサにも無線で伝えれば、伝達は完了だ。もともと、昨日の退避で荷物をまとめていたため、全員準備は早いだろうが、長時間の移動を見越しての準備をしているはず。
唯斗は大使室に戻り、大使のデスクに置いておいた書類を確認してから地図を広げた。
フフをソースにつけて食べながら、ルートを考える。もはや付箋に書き込むのは面倒だったため、地図に直接、敵の勢力や拠点を書き込んでいった。
予想される敵のルートや危険な通りなどを頭の中で思考を巡らせていれば、あっという間に食べ終わる。中華風の味付けでやはり美味しかった。
トイレなど唯斗も簡単に支度を済ませてから、自分のリュックに書類を詰め込み、地図とペットボトルを持って外に出る。大使室と領事業務室の施錠をして玄関を出てから、いったんバスに荷物を置く。
ついでに、運転席にいたウマルに地図を渡した。
「ウマル、これが市内の情報をまとめた地図だ。ルート考えておいてくれ」
「分かりました」
ウマルは早速大きなハンドルの上に地図を広げる。ちらりと見た車内はほぼ埋まっていた。
事前に指定しておいた通り、ムーサ一家とインナ、アンリ、クレアの9人は日系企業から借り受けたバンに乗ってもらい、ムーサが運転する。
一方、バスはウマルが運転し、それ以外の現地人と外国人、JICA職員、唯斗、リチャードの24人が乗る。ムーサが銃を撃てない代わりに、ウスマンが常にバスの後方から後ろを警戒する。
唯斗は公邸の施錠を行ってから、大使館に残っている者がいないこと、バスとバンに全員乗車していることを確認し、大使館も施錠した。
「よし…それじゃあ、行くぞ」
唯斗はウスマンとリチャードに声をかける。二人は頷いて、通用口から外に出て安全を確認、正門を開いた。
バスとバンが並んで出たところでウスマンが正門を施錠、鍵をもってリチャードとともにバスに乗り込み、唯斗に鍵を手渡す。
そしてウマルの運転で先導するようにして、バスはラック通りを東へと走り出した。今回も、バスとバンのヘッド部分には小さい日本国旗がつけられている。
時刻は11時ちょっと、すでに気温は高く車内は人が多いため蒸し暑い。
そこでふと、唯斗は防弾ベストを着たままだったのを思い出す。
「…リチャード、防弾ベスト返す」
「唯斗が着たままでいいんだぞ?」
「ほかに民間人がいるし子供や外国人もいる。公務員である俺だけが防弾ベストを着てるわけにはいかない。といっても別の誰かに着せるのも不公平だから、リチャードに返す」
「…まぁ、そういうことなら」
唯斗の立場を考慮し、リチャードは唯斗から防弾ベストを受け取り素早く着込む。ヘルメットは外した状態で持ってきてはいたが、リチャードは使っていない。屋外を行動するときくらいしか使わないのだろう。
リチャードは前方、ウスマンは後方の通路に立ってライフルを構え、唯斗は運転席近くの床に姿勢を低くしゃがんでいる。椅子に座れないのではなく、前方の様子を確認するためだ。
「唯斗さん、あれは検問です」
「あそこはノートルダム女子修道院だ。政府軍が抑えてる、あの検問も政府軍だからこのまま通過しよう」
「はい」
ウマルは少し緊張した面持だった。空港で検問によって長時間待たされ退避できなかった苦い記憶によるものだろう。
ラック通りと国道1号の交差点に近い、ノートルダム女子修道院と女子寄宿学校は政府軍が2区防衛の拠点としている。もうここは2区に入っている。
検問で停車し、ウマルが扉を開く。唯斗がパスポートを持って兵士に見せた。
「日本国大使館の車2台だ。マリア病院でフランス軍に合流することになっている」
「…通れ」
兵士は特に何も言わずパスポートを返し、唯斗は車内に戻って扉を閉めさせた。検問が開き、バスが通過する。日本国旗をつけているため、後ろのバンが止められることはなかった。
検問の先にある交差点を左折し、国道1号を北上する。この辺りは高級住宅街で、インナの家があるはずだが、まったく人の気配がない。住民が隠れているというより、すでに脱出したのだと思われる静けさだった。
そうしてジェイターレ川の橋を渡って1区に入り、再び検問を通過、引き続き国道1号を進むと、正面に大規模な軍用車の列が見えてきた。トリコロールが描かれているためフランス軍だ。
「あそこがマリア病院だな」
「はい。思ったよりもスムーズでしたね」
「あぁ、良かった」
大使館からここまで20分ほどで着いた。やはり2区はしっかりと政府軍のコントロール下にある。朝の戦闘は3区内での出来事であったため、いつ大使館が襲撃されてもおかしくなかったのだと再認識させられた。
マリア病院の敷地でもフランス軍の検問に身分を明かすと、そのまま駐車場の定位置を指定される。そこでバスとバンが止まってから、唯斗だけがいったん外に出た。駐車場はフランス兵と保護された民間人でごった返しており、人々が慌ただしく動き回る喧騒に満ちていた。
すぐに、兵士から連絡を受けた外交官の女性がやってくる。
「領事館の外交官、イザベルです」
「日本国大使館外交官、雨宮です。ニコラ領事より、ここから陸軍基地までの随行を許可されています」
「はい、聞いています。人数と国籍を確認させてください」
「日本人は私を入れて6名。保護した外国人については、フランス人3名、中国人2名、オーストラリア人と韓国人がそれぞれ1名ずつの計7名。そして大使館の現地協力者であり政府が保護を約束したピナルエサヘル人19名と、傭兵の英国人1名です」
唯斗の伝えた内容を書き取ったイザベルは、残念そうに口を開く。
「申し訳ありませんが、我々は現地人の保護はできません。ほかの外国人の退避を優先させており、我々が保護する場合、現地人の方は明日の退避となります」
「…そうですか」