サヘルの夜明け−78
唯斗はムーサの母親の泣く声が響かないよう、口を開いた。
「マリーはここでムーサと出会ったのか?」
「いえ、私はマレの出身です。ムーサとは、共通の友人を通して知り合いました。彼がまだ軍にいて、私はングーマの市場で魚を売る仕事をしていたときのことです」
5区の北西、増水期に水没しない地域のギリギリのところにあるングーマ地区で働いていたというマリーは、軍の兵士だったムーサと共通の友人の紹介で知り合ったという。
「結婚前提の紹介とかだったのか?」
「いえいえ。ただ一緒に食事に行ったりする中で知り合っただけです。それで気が合って、二人でお茶をするようになって…って感じです」
「やだ〜、かわいい〜!」
こういう話が好きそうなインナがすかさず茶化す。恐らく唯斗の意図を理解して、会話を盛り上げようとしてくれているのだろう。いや、単に好きということも大いにあるだろうが。
照れるマリーに、ウスマンの妻であり同じく陽気なアダムが唯斗に話を振る。
「唯斗さんは奥さんとか恋人とかいらっしゃらないの?」
「そういえばあたしもそれ聞いたことなかったですね」
インナも早速こちらに矛先を向ける。クレアも気になるのか、以前のように世俗派らしいインナの反応を責めることはなく、単に興味深そうにしていた。
「逆に聞くけどいるように見えるか?」
「えー?でも日本はピナルエサヘルよりもっと自由ですよね?」
「そうなの?日本人ってみんな真面目で礼儀正しいから、お見合いしかしないんじゃないの?」
日本をよく知るインナが訝しむが、それを聞いてサンガレが驚いたようにした。サンガレの言葉に今度はインナとクレアが驚くが、マリーとアダムもサンガレと同じ印象を持っていたようだ。
「お見合いもあるけど、基本的に恋愛は自由だな。自由過ぎて、たまにアニメのキャラクターと結婚してるって自称するヤツもいるぞ」
「何それー!」
女性陣がけらけらと楽しそうに笑う。日本が不思議な国という印象自体は全員持っているからか、多少変なところはあっても違和感はないようだった。
さらに女性たちは、唯斗に話を躱されたと理解して、互いのことで盛り上がる。サンガレとウマルは親族の紹介によるお見合い、アダムとウスマンはナイトクラブで出会ったそうだ。世俗派のムスリムの若者にはクラブに行く者もいる。ただ、それが多数派というわけでもないため、こればかりはサンガレも「チャラついてるわねー」という感想だった。
それにしても、前に食事の準備を一緒にしていたときにも思ったが、随分と打ち解けたものだ。子供たちも互いに仲良くなっているようで、謎の手遊びをしている。
微笑ましい光景に、ウマルやウスマンも目を細めていた。
すると、すぐ近くの開け放たれた玄関から外を見ているリチャードが、そっと唯斗に顔を寄せてくる。
「唯斗のタイプとか聞いたことなかったな」
「聞いてもまともな答え返ってこないって、お前なら分かってるだろ」
「どういう答え方するかは気になるぞ!ま、それはジブチでの楽しみに取っておくかな」
「なんだそれ…」
ろくでもないことを目標にされても、という気持ちだ。
そこに、ムーサと両親が戻ってきた。母親とムーサが大きなお盆を持っており、小さなグラスが並んでいる。グラスには紅茶のように見えるお茶が入っており、泡立っていた。泡とお茶が1対2くらいの配分だ。
これはアフリカ西部、モロッコからセネガル、ニジェール川流域諸国で見られる独特のお茶文化で、もとはモロッコのアタイに由来する。
アタイは爽やかな甘さのミントティーのことで、客人へのもてなしの象徴だ。それがサハラ交易を通じて西アフリカ全体に広がった。
サヘル地域では特に、中国のガンパウダー系の緑茶を鍋で煮だし、ミントと大量の砂糖を入れて飲む。紅茶に見えるが、これは非常に強く煮詰めることによってそう見えるだけで、実際には緑茶の茶葉が使われている。
「はい、お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
ムーサの母親にグラスを渡される。目元には少し泣いた跡があったが、今は笑顔だった。
一口飲めば、ガツンと茶葉の苦みと砂糖の甘みが口に広がり、ミントが両者をとりなすように香る。この西アフリカのお茶の特徴は、強く煮詰めたことによって出るとんでもないエッジの苦みと、ぞっとするほどの大量の砂糖を投じることによる濃厚すぎる甘みとが、互いに殴り合うような味わいだ。苦みと甘みのバランスを取るというより衝突させるというコンセプトである。
泡立っているのは、味を均質にするために高い位置から注ぐためだ。同時に、これは「丁寧に淹れた」という姿勢を示し、もてなしの心を表す。
会話を弾ませながらこのお茶を3杯ほど飲む。2杯目になると苦みが取れてバランスがとれるようになり、3杯目になると砂糖が優勢になって濃厚な甘さとなる。この味の変化を会話の変化とともに楽しみ、客人をもてなすのがこの地域の文化だ。