長編番外編−立ち位置
死界魔霧都市ロンドン
負傷した主を介助するディルムッド
ロンドンでの負傷によって、右鎖骨の骨折などの怪我を負った唯斗は、帰還してから1週間ほど自室での療養を余儀なくされた。
大きな部分は特異点でギルガメッシュに治癒してもらっているが、それでも右手が使えなくなり、療養中は介助してもらわなければならなくなった。
療養といっても、本当に治療行為が行われるのは三日ほどで、残りは単なる休暇である。特異点修復明けの休みということだ。とはいえ、ロンドンではそもそも唯斗はあまり役に立っていないため、休みをもらうこと自体が後ろめたかった。
そうして最初の治療期間となった、帰還の翌日、自室にはサンソンが訪れ、昼食にて嫌いな野菜を無理やり食べさせられる苦行を強いられた。
それに少なからず心理的ダメージを負ったあとの夕食の時間、トレーをもって部屋にやってきたのはディルムッドだった。
「あれ、夕飯はディルムッドが手伝ってくれんのか」
「ええ。サンソン殿に独り占め…ではなく負担を強いるわけにはいきませんから」
「ほぼ隠せてないぞ…」
ディルムッドがいったんトレーを壁際の備え付けテーブルに置くと、唯斗はテーブルの前の椅子に座る。ディルムッドは背後に控えている。
一応、左手でも食べやすいようにということなのか、カレーとシーザーサラダがメニューである。サラダに鎮座するプチトマトやパプリカなどの野菜はカラフルで見た目こそ良いものの、昼間にサンソンが口に突っ込んできたことを思い出してげんなりとする。
とりあえずカレーを食べ進めていると、見かねたディルムッドが口を開く。
「マスター、念のため申し上げますが、サラダもきちんと食べるようにしてくださいね。サンソン殿やエミヤ殿から厳命されております」
「……、」
スプーンが止まり、唯斗はジト目で背後を振り返る。すぐ後ろに立つディルムッドは、唯斗の視線に「うっ…」と呻きながらも首を横に振った。
「だめですよ、御身は怪我と疲労が蓄積しているのです。きちんと栄養のあるものを食べなければ」
「サプリメントでよくないか…?」
「しかしですね、」
ロマニは、まったくサラダ類を摂取しないよりは、ということでサプリメントによる栄養摂取を認めている。だからこそサンソンは、少なくとも自分は食べさせようとしているのだろう。そういうロマニとの役割分担をしているようだ。
「…でも俺、昼間サンソンに無理やり食べさせられたんだけど。もう十分だろ?」
「昼間できたのならその調子で…」
役目を全うしようとする真面目なディルムッドはなかなか折れない。
そこで唯斗は、少しだけ椅子を引くと、左側に体ごと向けて、ディルムッドにもたれた。固い腹筋に頭があたり、そこにぐりぐりと額を押し付ける。
「ま、マスター…」
「……ディルムッドは、甘やかしてくんねぇの」
「ぐ…ッ!」
ほぼ無意識だろう、ディルムッドは唯斗の頭を撫でてくる。手は唯斗の髪を撫でるようにしているのに、口では「しかし…」と葛藤している。
「……だめか………?」
「だ、め…じゃ……ないです……」
そしてついにディルムッドが折れた。
ディルムッドはすぐそばのベッドの淵に腰かけると、サラダの器を手に取って、フォークでトマトやパプリカなど、日ごろ唯斗が苦手だと言っている野菜を食べていく。
「俺、ディルムッドのそういうチョr…優しいとこ好きだよ」
「今チョロいとおっしゃろうとしました?」
「まさか」
ディルムッドは少しだけ呆れたようにため息をつく。額にかかる一房の前髪が揺れて、チャームの泣き黒子のある目元が緩む。
「まぁ、マスターが日ごろ頑張っていることはよく存じております。私くらい、甘やかして差し上げてもいいでしょう」
「なんだかんだみんな優しいけどな。本当に、恵まれてる」
「あなたがあなただからですよ、運や縁だけではありません」
サラダが葉物野菜だけになり、トレーに戻される。その手元からディルムッドの顔へと辿ると、微笑んだディルムッドは再び唯斗の頭を撫でる。
「あなたから頂戴した優しさや敬意、期待、誠意…そういったものに返したいのです」
「……うん、ありがとう」
本当は自覚のないそれらに返してもらうには、あまりに助けてもらっている。しかしそれは、唯斗とディルムッドとの間の感覚の違いに過ぎないため、追及しても仕方ないことだ。
だから唯斗は頷いて礼を述べた。それだけで、ディルムッドはすべて理解して、また綺麗に微笑んだ。