Liberté−2
唯斗は腕から漂うブラックティーの香りを感じつつ、紅茶を唯斗にぶっかけてしまったことを平謝りしてきた男性が宿泊しているというホテルに向けて走るタクシーの中にいた。すぐに店員が呼んでくれたもので、5分もせずタクシーはホテルに着くという。
二人並んで後部座席に落ち着いたからか、男性はようやくといった感じで口を開く。
「申し遅れました、僕はシャルル=アンリ・サンソンと言います。フランス人です」
通常こうした場面で国籍まで明かすことはしないが、見るからにクォーターの血筋が混ざった顔立ちをした唯斗であってしかもアジア系だということで、一応そう名乗ってくれたのだろう。
「雨宮・グロスヴァレ・唯斗、日本人だけど、フランスで暮らしていたこともある。今はこの街に住んでる」
「そうなんですね、道理で流暢なフランス語だと思いました。失礼をしてしまった手前このようなことをお願いする厚かましさを許して欲しいのですが、僕のことはサンソンと呼んでください」
「……分かった。俺のことはお好きにどうぞ」
普通は名前で呼び合うものだ。名字で呼ぶことが普通なのは日本など一部の文化圏に限る。
フランスには複合名というものがあり、サンソンの名前もそれにあたる。フランスでは両親がつけた名前、名付け親の名前、聖人の名前などいくつもの名前を持っていることが普通であるが、通常は最初の名前しか使わないし、名乗らない。シャルルとアンリ両方を名乗った以上、これは複合して一つの名前になっていると考える方が普通だ。複合名の場合、シャルル=アンリというようにフルで呼ぶものであり、セパレートさせて呼ぶことはない。日本語の感覚ではかなり長いしくどいのだが、フランスではそれが普通なのである。
それにしても古風な名前だとは思ったが、サンソンが名前で呼ばれることを嫌がるのはそれが理由だろうか。今どき、複合名どころかフランスで「シャルル」という名前をつけることは少なく、聖人の名前をつけることすら最近はしない家庭も増えている。
カナダのフランス語圏であるケベックなどでは、古いフランスの風習をリバイバルさせて若者文化としていることからか、フランス式の複合名が子供につけられる例も見られるようだが、当のフランスではめっきりこういう名づけはしなくなった。
「サンソンは観光でここに?」
「いえ、研修です。オランダのライデンにある病院に勤めてるんですが、7月後半はこの街の病院で研修勤務をしているところだったんです」
「へぇ、なるほど。それでホテル暮らしか」
「はい。唯斗さんは何のお仕事を?」
「俺は金融会社。日系企業のアセットマネジメントやってる」
平たく言えば租税回避だ。日本企業が日本への納税を避けるために、資産を海外に動かして税金対策をする手伝いをしている。
サンソンは医者のようで、道理で丁寧な物腰だと思ったが、なぜわざわざライデンにいるのだろうか、と疑問に思った。フランスネイティブだけあってフランス語は当然美しいものだし、どこから見ても上流階級だ。パリやリヨンなどの総合病院にいてもおかしくない。
何より顔立ちの綺麗さを考えればモデルでもやっていそうなほどだ。
しかし自分のことを話すサンソンはやや影があり、少しやつれているようでもあった。医者とはどの国も激務なものだが、それとは別の、それこそ精神的なところで疲労しているように思える。
やがてタクシーはホテルに着いた。アルゼット川を渡って崖を超えた北東部、キルヒベルクという副都心だ。経済的には実質ルクセンブルクの都心部ともいえる。
そこの高級ビジネスホテルにタクシーは入り、サンソンは紙幣を渡して車を降りる。すぐにやってきたスタッフに部屋の番号と急ぎランドリーサービスの利用を手配してから、唯斗を連れて自室に向かった。