奇跡か否か−3
しばらく沈黙が落ちると、シャルルはおもむろに口を開いた。
「……俺さ、唯斗の近所の人からちょっとだけ話聞いちゃったんだよな」
話を聞いてしまった、という表現から、唯斗の過去の話だとすぐに分かった。
「…その、勝手に知って申し訳なくて」
「別に、気にしなくていい。現状にそんな不満ないし」
唯斗を生むと同時に亡くなった母、それを気に病んで唯斗に対するネグレクト状態となった父、フランスに移ったはいいが唯斗に対する差別的扱いに終始した伯母、それらから逃れて日本に戻ってきた唯斗、この話は近所でも知られている。大きな屋敷に住む金持ちだったこともあって、センセーショナルな話題として近所でも盛んに情報共有されていた。
「フランスは嫌いか?」
「…好き、ではないな。嫌いでもないけど」
「……そっか。なら、嬉しい」
シャルルに出会った頃は、ギリギリ日本で暮らしていた。父に放置され、小学校からは何度も父へ通達があったが拒否され続けていたようだ。
そんな中、繫華街で迷子になったシャルルと出会い、電話を貸すために自宅に招いたのだ。大きな和風の邸宅である唯斗の家は、父が暮らす母屋と唯斗が過ごす離れとで物理的に距離があったため、シャルルは父を見かけていない。
そうして、無事に家族に迎えに来てもらったシャルルは、唯斗を「友達」だと言って帰っていった。
「…お前を助けたときさ。俺のこと、友達だって言ってくれただろ」
「おう。いろいろ話したし」
あのとき、不安がっていたシャルルは、フランス語を喋る唯斗に家に招かれてからはそれまでの殊勝な態度が嘘のように明るく饒舌に話した。同年代とそうやって話す経験がほとんどなかった唯斗にとってそれはひどく新鮮で、珍しく楽しいと思えるものだった。
「…嬉しかったんだ。初めて、友達だって言ってくれた相手だったから。俺は正直、他人に関心とかないし、友達も欲しいとは思わない。一人でいるのが当たり前だから、別に必要ないって。でも、やっぱり、嬉しいのは事実だった」
「唯斗…」
「…きっと本当は、ずっと寂しかったんだな、俺も。気付けなかったのか、気付かないフリしてたのか、今はもう分からない。いずれにせよ今は本当に寂しいとかないんだけどな」
強がりでもなんでもなく事実だ。もう、それくらい一人に慣れてしまった。
「……俺さ、唯斗のことそうやって聞いたとき、それでも俺に優しくしてくれたんだなって、なんかジーンと来ちゃって。今も、いろいろ話聞いて、なんなら一目惚れしたなんていう相手だっていうのに、こうやって向き合ってくれてるの、本当にすげーいいヤツなんだなって実感した」
「なんだそれ…別に、いいヤツ、とか、そういうんじゃ…」
「唯斗は自分が思ってるよりもずっと、優しいんだと思うぜ。近所の人だって、猫と戯れてるとことか、道路渡れないお年寄りのために車止めてるとことか、そういうの見て優しい子だって言ってたし」
「……え、なんだそれ…見られてたのか…?」
思わぬ事実に顔を上げると、至近距離にシャルルの端正な顔があって、少しからかうような目線と合った。
「気づいてなかったんだ?」
「……そりゃ、猫くらい、触るだろ…道路だってさすがに見かねて手伝うくらいするだろ普通…」
「その普通をちゃんとやれるのがすげーって話だろ」
「恥っず……」
「はは、くっそ可愛いなぁ〜」
恥ずかしさで顔を隠す様にシャルルの胸元に顔を寄せると、シャルルは笑ってわしゃわしゃと頭を撫でてくる。だが、そろそろ腕枕となっている左腕が痺れはしないだろうか、と気になってきた。
「…腕、大丈夫か?つか悪い、すっかりくつろいでた…」
「全然へーき。てかちゃんと食ってる?細くね?」
するりと腰を撫でられ、唯斗は息が詰まって「ん、」と小さく声が漏れる。擽りに弱いのだ。
シャルルは一瞬動きを止めてから、息を吐きだす。
「……あぶね、勃つかと思った」
「何言ってんだ」
「にしてもあれだな、引かないんだな、唯斗。ストレートなんだろ?まぁ俺も唯斗以外の男には興味ねーけどさ、嫌じゃねぇの?」
そこでシャルルはそんな今更なことを聞いてきた。確かに最初は引いていたが、今はそうでもない。
「…別に、嫌とかはない。なんであれ、シャルルは俺に対して誠実でいようとしてくれてるから」
「…そっか。やっぱ優しいよ、唯斗は。なんか、再会したらもっと好きになっちまったなぁ」
そんなことを言うシャルルだが、唯斗からの返答を待っているわけではない。単に気持ちを伝えているだけで、唯斗が同じ気持ちを返せるかは分からなかった。
なんだかすぐに絆されてしまいそうで、唯斗はいったん帰宅したら冷静にならないといけない、と自戒する。
大学を出たら二人とも社会に出るのだ、ずっと一緒にいられるわけではないし、シャルルも唯斗も国籍が異なる。もしまた離れてしまうことになるくらいなら、その離別に苦しむくらいなら、最初から離れていた方がいい。