chapter. 11−6
ヘネガウ伯領、カマラクス市。
スヘルト川上流で最大の都市であり、スヘルト川によるアンドウェルピアからの船運と、ルーティカやデオナンティなどのロタリンギアの都市からガリア王都ルテティアまで続く街道の交差する交通の要衝だ。
また、ガリア北東部の港町
カレーテや
ブリューギスといった大都市と、カンパニア地方のギュイジアやレーミを結ぶ街道が通る街でもある。
この街道に沿って北進してくるカンパニア軍を迎撃するべく、第一陣に続いて本陣として出撃を控えていたケイローンは、突然、城壁がざわめくのを聞いた。
「ここにおわすはロタリンギア王!一度の無礼を陛下は許す!誰の御前であると心得る!」
「も、申し訳ございません…ッ!!」
見ると、城壁の上にいた兵士が慌てて膝をついていた。これはカストロの声だ。さらに、カストロの声を聞いて、城壁の内側でもどよめきが広がった。
目を凝らせば、市街地を取り囲む城壁にはラウルとカストロが立っている。
ラウルはまず、カマラクスの城壁内の通りから壁を見上げる人々に手をかざした。途端に、市民たちはわっと湧き上がる。
「ラウル陛下!」「ロタリンギア王万歳!」という歓声を少しだけ受けてから、こちら、壁の外へと視線を移す。すでに兵士たちが膝をついて整然と控えていた。
それを見て、ラウルは兵士たちに呼びかける。
「突然の来訪で悪いな。邪魔をするつもりはない、各自持ち場に戻ってくれ。ケイローンはいるか」
「あちらにいます、陛下」
カストロは衆目の前のため、礼儀正しくラウルに答える。ようやく、ケイローンはラウルと視線が合った。
兵士たちを持ち場に戻しつつ、ラウルは壁を降りて陣地の中に入っていく。王の御前で立ち上がってもいいのかと迷う兵士たちに、カストロはすぐに号令を出す。
「王は各自の業務の遂行を求めておられる!持ち場に戻れ!」
それによってようやく、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように元の業務に戻っていった。
その合間を抜けてラウルたちはケイローンのところに辿り着く。
「すっかり従者が板についていますね、カストロ」
「当然です」
「邪魔して悪いなケイローン。やっぱり難しいな、バランスとるの」
邪魔をしたくないという気持ちはあるが、一方でこうして姿を見せること自体が必要でもある。なかなかそのバランスを取るのが難しい、という意味だろう。特にラウルの場合、行軍による移動ではなく瞬間移動によるものだ。最初は戸惑いから入ってしまう。
「こればかりは、陛下特有のことと割り切るしかないでしょう。普通は王の姿を拝謁することすら叶いませんからね」
「…ま、そうだな。それで、こっちの戦況はどうだ?」
ラウルはサバサバとした様子で割り切って、すぐ本題に入った。こっそり、ケイローンがラウルの好ましいと思っているところだ。王として、感情や誠意などソフトなところも重視する一方で、やはり王として、合理的になるべき場面ではとことん合理性を追求する。
要は、そうやって自分に求められる役回りを細やかにこなしているのだ。この年齢でそれをやってのけているのは、ケイローンから見ても感心してしまう。
「こちらの戦況は事前の予想通りの展開です。斥候が即座に進路を割り出してくれているおかげで、迎撃地点を厳密に予測、誘導しています。家畜への被害をほぼ出さずに、南方の丘で迎え撃ちます。マセリアエも、南方の峠ですでに迎撃を開始しました」
「さすがケイローン、それぞれの下級指揮官一人一人まで最善の選択ができるように指揮してくれたんだな。小隊単位で行動が効率的だ」
ラウルはすぐに、ケイローンの返答からこちらの状況を正確に理解した。いや、そう予想していたことを確認したのだろう。
この頭の良さはケイローンでも舌を巻くほどのものだ。まるで人生をすでに一周したかのような慧眼である。
「こうしてあなたが来てくださったおかげで士気も高まりました。不安に感じていたカマラクス市民も高揚し、協力的になってくれます。でも、どうか安全には気を付けて。カストロがいるので心配はありませんが」
「分かった、先生……あ、」
つい、といった感じで、ラウルはカストロのように答えた。ケイローンがラウルに指導するときも、ラウルは基本的にケイローンの名前を呼ぶが、先生と呼んだのは初めてだ。
「…悪い、心から指導を求められる相手って久しぶり…っていうか初めてで。つい…」
「…いいえ。謝るようなことではありませんよ」
表面上はにっこりと答えたケイローンだったが、内心、あまりのあざとさに頭を撫でてしまうところだったと冷や汗をかいている。この王がこれほどの大同盟を築き上げた理由の一つは、このギャップだ。冷静で誠実な王である一方で、こういう気兼ねなさと初心さを出されると、どうしてもぐっとくるものがある。
ケイローンですらそうなのだ、カストロは心臓を抑えている。
しかし、ラウルは咳払いとともに一気に切り替える。
「…俺は他の戦線を回る。戦争は始まったばかりだ、戦況が変わったら直ちに連絡するように。この王国の左肩、任せたぞ」
「…御意に」
凛とした王としての佇まい。がらりとその雰囲気を変えて言った言葉は、鼓舞でも命令でもなく、信頼だった。
それが、この王の、最も王として人々に愛される所以なのだろう。