chapter. 4−10
建設中の大学を見ながら大通りを歩いていると、ラウルは見知った顔を見かけた。コンスタンティノスのローブの裾を引っ張りそちらを示す。
「コンスタンティノス、ちょっと話したいやつがいる」
「?そうか」
大勢の人で賑わう通りのため、コンスタンティノスは自然とラウルの腰を抱いて人込みをかき分けていく。顔を隠しているとはいえ、体格の良さから人が自然と避けていった。
合間を縫って目の前に顔を出した青年を見て、コンスタンティノスは少し顔をしかめた。
「彼は…」
「話したことはあるよな」
「…一応ね」
確かに気が合う相手ではないだろう。
ラウルはそれでも、両手にいろいろと器材を抱えた青年に声をかけた。
「モリアーティ」
「…おや、これはこれは」
ジェームズ・モリアーティ、10歳上の青年で、アンドウェルピア大学で先行開設した数学部の教授をやっている。若くして教授というと、ラウルの元居た世界では違和感があるが、この世界ではそもそもそんな既存常識が形成されていないため、完全な実力だけで選考できる。
モリアーティは声だけで理解したらしく、少し呆れつつ、すかさずパッと顔をにこやかに崩した。
「久しぶりじゃないか!あまり来てくれないから気をもんでいたよ。こんなところで立ち話もなんだし、少し場所を移そう」
好青年然りとした態度に、コンスタンティノスはため息をついた。ラウルも、この露骨な猫被りはある意味すごいと思っている。
モリアーティは二人を人気のない路地裏へと連れていく。狭い木造の家屋が並んだ石畳の道に入り、家の間に渡されたロープに洗濯物が干されている下で止まる。
「…さて。お忍びで街中デートとは、君たちはそれでもラバルムの血筋か?」
そして、途端に無表情になり、声のトーンも一気に下がった。こちらが素だ。
ブリタニア人の彼は、ブリタニア王国で「円卓の騎士」と呼ばれる高位の騎士たちから紹介された人材だ。数学の道で秀でているだけでなく、彼には「悪をもって悪を制する力」があると言われた。
そのため、ラウルが直々にスカウトし、アンドウェルピア大学に招聘した。紹介してくれた騎士ベディヴィエール卿は心配してくれてはいたが、ブリタニアからも多くの学生がアンドウェルピアに学びに行けることから、とりあえずは了承してくれた形だ。
「下ロタリンギアの各事業の進捗を直に確認したくてな。ついでにあんたに様子を確認したかったってのもあった。大学はどうだ?」
「フン、その点については感謝の言葉を惜しまないとも。まったく、さすがはアンドウェルピアといったところだネ」
「それは良かった。それで、あんたのお眼鏡に叶う『悪』はあったか?」
すっとモリアーティは目を細める。フードの隙間から見上げるラウルの目を見て、少ししてからため息をついた。
「…人聞きが悪い王様もいたものだ。私は別に、悪を見出すためにこの街に来たわけではないというのに」
「御託はやめたまえ。陛下の質問だ、答えろ」
コンスタンティノスは苛立ったようにモリアーティに急かしたが、モリアーティはどこ吹く風、むしろ面白いものを見たとばかりにコンスタンティノスを見下ろした。
「東ラバルム最後の皇帝ともあろう者が、ずいぶんと骨抜きにしたものだね、ロタリンギア王よ」
「お前こそ人聞きが悪いこと言うな。あんま鬱陶しいことしてると、新しい城壁の角度計算を含む計算設計の案件、回してやらねぇぞ」
「今から流暢にお話しいたしましょうマイロード」
最初からそうすればいいものを、この数学大好き人間は案外そこで釣られる。
そうして、モリアーティは大学教授の裏の顔を見せた。
「早速だが、すでにコロニア商人による債権買付が増加している。債務不履行を狙っているだろう。王立鉱山会社の管轄ではない鉱山の開発権や土地権も買収する試みが見られる。特にゲルマニア貴族との結託だ。いずれも不法取引だよ。金とは悪だ、本当に」
「だから同毒療法なんだろ。進捗は」
「私の協力者が、取り急ぎ債務不履行に陥った債務者を通してコロニア商人を特定している。次はより巧妙な手口で同じことをやって、相手をボロ雑巾にしてやろうじゃないか」
「分かった。とりあえず、王立取引所以外での取引を禁じる方向で動くか。抜け穴は何がいい」
「ふむ、ではあえて違法取引を法外な利率で行う場所を用意しよう。常設市場に、取引可能な箱を作っておいてくれるかい?」
「了解。常設市場用のワイン蔵を設ける。常設市場は自由化を維持するから、自然とアンドウェルピアにおける違法取引は常設市場に集中するはずだ」
「ではそのように」
モリアーティは話が終わったことを理解して、颯爽と路地を離れていった。
悪はあえて許容することで管理することができる。オランダなどが麻薬や売春を合法化したのも同じ理由だ。
モリアーティにはこうして、アンドウェルピアという高度な経済都市における違法行為やコロニアなどの敵対勢力の監視を行ってもらっているのである。ことこの分野においては天才的だ。
モリアーティも口は悪いがラウルに対して信を置いてくれてはいるらしく、「君は圧倒的に善だが、悪もまた社会を構成する重要な要素だと理解し、これを論理的に制御しようとしている。その点は評価しているヨ」なんて言っていた。
一方、モリアーティが去ったのを見届けて、コンスタンティノスはラウルの腰を抱き寄せる。
「…どうした」
「……君は、悪に染まってはいけない。いや、そうならないと確信しているけれど。他者を思うがばかり、自身を疲弊させるような悪に触れさせ続けはいけないよ」
ラウルは、そんなことを言ってくれるコンスタンティノスの厚い肩に顎を乗せる。ほとんど同じ身長なのに、包まれているような感覚になる。
「…そうならないように、ちゃんと見てて」
「もちろんだとも」
ラウルにとって、頼れる人の中で最も大人な相手だ。自然と、ラウルもそんな情けないようなことを口にすることができた。
そういう相手だから、ラウルはこの国で最も重要な地位をコンスタンティノスに託したのだ。