chapter. 5−9
「好意的な向き、というのは?アグラヴェイン卿」
「は。今のパンノニア王家は腐敗しており、まともな国家運営が行われていません。そのため、実質的な政治の中心は王都アクィンクムではなく、東部アルデアルの中心都市カエドニア市にあります。アルデアル地方を取り仕切るのがエリザベート・バートリーという女公で、パンノニア王室よりゲルマニア王室に従うことを望んでいるきらいがあるとのことです」
「なるほど。ダキアはアヴァール国への警戒かな?」
「その通りです、我が王」
ゲルマニアに狙われるパンノニアとダキアだが、それぞれゲルマニアに併合されることを自ら望む傾向があるという。
パンノニアは、現在の王への不信感から、東部のトランシルヴァニアにあたるアルデアル地方の領主、エリザベートがゲルマニアと秘密裡に交渉しているそうだ。たとえゲルマニアがパンノニアに侵攻しても、人口の大部分を占めるアルデアルは関与せず、王都アクィンクム周辺だけで戦うことになる。
なお、アクィンクムはブダペスト、カエドニアはシビウを指す。
ラウルも地図を思い浮かべながら、ロビンから報告されていた情報を共有する。
「アヴァールは現在、首都をキシノヴィアからトミスに移転している。かつて低モエシア王国の王都だったところだな。本土ベッサラビアと占領地である低モエシアをそれぞれ公にして、こちら寄りの国家を目指しているそうだ。目下、高モエシアとイリュリアを狙っているらしい」
「なるほど…かの国の王は、確か、マンドリカルド王だったかな」
「あぁ。俺の2つ上だって聞いてる。目的としては、国家として一人前であることを認められ、ウェスティアやオスティアの国々から対等に扱われることだろうな」
「年齢まで知っているのか。さすが、情報はやはりロタリンギアには敵わないな」
アヴァール国は、もともとエウクシヌス海の東に住んでいた騎馬民族アヴァール人たちの共同体だった。エウクシヌス海は黒海のことである。
ラウルの世界の地図では、黒海とカスピ海に挟まれた地域に住んでおり、カザフスタン方面からカザール人が強大な国家・カザール国を築いて迫ってきたため、慌てて逃げだして西に移動した。
このとき、ウクライナにはルテニア大公国が存在していたが、アヴァール人は無理やりその領内を通過し、ついでにルテニア大公国からモルドバ一帯にあたるベッサラビア地方を奪った。
強引に占領したベッサラビアの中心であり、今もモルドバの首都キシナウとして知られるキシノヴィアに首都を置いたアヴァール国は、モルドバからルーマニア東部一帯にあたる地域を支配。さらに、ドブルジアと呼ばれるドナウ川河口域から黒海沿岸の地域、そしてブルガリアにかけて存在した低モエシア王国を滅亡させて領土とした。
「パンノニア王国のアルデアル地方とベッサラビアはカルプ山脈で隔てられ、天然の防壁になっている。一方、イステル川流域のダキア王国と旧低モエシア領の国境は平野部になっている、ダキアからすれば、川を遡上してアヴァールがいつ攻めてくるか分からない状態だ。そうでなくとも、東トラキアまで伸長したパールス帝国が攻めてきてもおかしくない」
「パンノニアは内政、ダキアは外交で、それぞれ懸念があったから、ゲルマニアに併合されるにやぶさかではないのか…なるほど」
カルプ山脈はカルパティア山脈のことで、ルーマニア領内でトランシルヴァニアとワラキア、西ベッサラビアとを隔てる壁になっている。
同じように、パンノニアにとってアヴァールはカルプ山脈の向こうの存在であり、そこまで脅威ではない。一方、ダキアは平野部でアヴァール国とつながっているため、そういうわけにはいかなかった。
話を聞いていたマーリンは、少し小馬鹿にするように話し始める。
「それにしても、マンドリカルド王も涙ぐましい努力じゃないか。東方の蛮族と呼ばれ続けるアヴァール人の国を少しでもまともな国家にしようと、封建制をとってみるなんて。まぁ、すべての領土がよその国から奪ったものなのだけど」
「盗人猛々しいとはこのことだ」
アグラヴェインも吐き捨てるように応じたが、ブリタニアもたいがい、辺境の田舎扱いをされている。さすがにそれをこの場で言うほど無礼を働く気はないため、ラウルはとりあえずマーリンの言葉は流した。