chapter. 7−6
遥か昔、古代ラバルム帝国の末期。
このクラクスの都は、帝国辺境の要塞として建設された。
クラクスの要塞が対象としていたのは、帝国末期に最大版図を実現した東方の騎馬民族の国、マラカンド=カガーン国。西はオーデル川から東はカザフスタンまで、南はトルクメニスタンから北はロシア領キーロフまでにあたる地域を支配した巨大国家である。
この国のラバルム帝国領への侵入を防ぐべく、カルパティア山脈にあたるカルプ山脈の外側に沿うようにして建設された要塞都市が、クラクス、レオポリス、キシノヴィアだった。
レオポリスはウクライナのリヴィウ、キシノヴィアはモルドバのキシナウの旧称だ。
マラカンド=カガーン国の都はその名の通りマラカンド市であり、ラウルの世界ではウズベキスタンの古都サマルカンドである。
この国はそれほどまでに東方にありながらラバルム帝国に攻撃を仕掛け、それによって帝国は瓦解、ラバルム暦356年に東西に分裂してしまった。
しかしそれと同時にマラカンド=カガーン国も分裂し国土は縮小。ひとまずウェスティア・オスティア両地域は難を免れた。
その後、西ラバルム帝国は異民族対策として、マラカンド=カガーン国から逃れてきた異民族に国家を与えて防波堤とすることにした。
このときすでに、マラカンド=カガーン国から逃げてきた民族が、デンマークからスウェーデン南部にあたる地域にノルディア王国を、ノルウェー南部にあたる地域にノルマニア王国を、そしてブリタニア島にブリタニア王国やグウィネッジ王国を築いていた。
もともとブリタニア島にいたヒベル人は西のアイルランドにあたる島に逃れ、ここにヒベルニア王国を築いた。
その中で西ラバルム帝国は、ポルスク人とガリツィー人には、クラクスを首都とするポルスカ王国と、レオポリスを首都とするガリツィア王国を封建し、東方辺境を守らせた。また、ポルスク人の分派にも、カリーニングラードにあたるトワングステを首都とするプルシア王国を与え、徐々にバイキングを差し向けて敵対行動に出始めた北方国家への牽制としていた。
しかし、ブリタニア、ヒベルニア、ノルマニア、ノルディアの北方4王国は西ラバルム帝国への攻勢を強め、これによって国家は耐え切れず、分裂から約200年が経過した568年、ロタリンギアとガリア、ゲルマニアに分裂するのである。
やがて200年以上をかけて全島統一を果たしたブリタニアは、804年より本格的にガリアへの侵攻をはじめ、ブリタニア戦争が勃発する。
また、同じころゲルマニアでは、ラウルの世界でチェコにあたる地域にボイオハイム王国が勝手に独立。王都をプラハにあたるカスルギスに据え、ゲルマニアを圧迫した。838年に始まったこの戦争を第一次ボイオハイム戦争と呼ぶ。
ガリアがブリタニアに次々と領土を奪われ、ゲルマニアがボイオハイム戦争で疲弊する一方、ポルスカ系の民族はどんどん東方に進出して独立国家を立てていき、リトアニアからラトビア南部にあたる地域ではコヴノ(カウナス)を首都とするリトゥア王国が成立。
ラトビア北部からエストニアにかけてはリヴォニア王国が成立し、首都はタリンにあたるレヴァルに設置された。こうして、ほぼ現在のポルスカ大公領にあたる地域にポルスク人の国が乱立する。
一方で、それより東のロシア地域では、ノヴゴロドにあたる交易都市ホルムガルドを首都とするホルムガルド王国と、モスクワにあたるメリゴーを首都とするメリゴー王国、そしてクィィヴを首都とするルテニア王国が成立。サンクトペテルブルクにあたる地域にはイングリア王国も建設された。
北のフィンランド地域でも、トゥルクにあたるトゥルグを首都としてフェニギア王国が成立しており、9世紀中ごろ時点でオスティア世界には10もの小国家が林立していた。
このとき、ガリアはブリタニアに圧迫され、王都ルテティア周辺を残す小国にまで追い詰められていた。この窮地を救うべく、ロタリンギア王が立ち上がる。