chapter. 7−7
当時のロタリンギア王ルータール3世は、ゲルマニアとボイオハイムとの第一次ボイオハイム戦争を調停し停戦させると、ポルスカ以東の10のオスティア国家をすべてまとめ上げ、ウェスティアからオスティアに跨る大陸大連合を形成、まとめてガリアに進軍してブリタニアを追いやった。
シャルルが言っていたロタリンギアへの恩とは、このときの大陸大連合軍をロタリンギアが指揮したことを指している。
ルータール3世はボイオハイム戦争の調停に際して、一方的にゲルマニアに喧嘩を売ったという経緯と、ポルスカ王国が困窮していたことを鑑みて、ボイオハイムから豊かなシレジア公領をポルスカ王国に割譲させた。これにより、オスティアで最も豊かな地域がポルスカ王国に組み込まれ、国力の下支えとなる。
カドックの家は、このシレジア公家の家系である。
ブリタニア戦争から140年ほどして1000年代に入ると、今度は東ラバルム帝国の衰退がはじまり、ダキアやパンノニアが独立を求めて1070年よりカルプ戦争が勃発。
カルプ戦争に並行して、ポルスカ王国とルテニア王国はそれぞれ拡大を開始し、徐々にオスティアに林立する小国家を併合しようとしていた。
ポルスカ王国は1141年までにガリツィア、プルシア、リトゥアを、ルテニア王国は1224年までにメリゴー、ホルムガルド、イングリアを併合。ルテニア王国はさらに、1126年にカルプ戦争が終結し東ラバルム帝国からダキアとパンノニアが独立した際、どさくさ紛れにキシノヴィア周辺のベッサラビア公領を東ラバルムから獲得している。
1126年にカルプ戦争が終結して東ラバルム帝国からダキア・パンノニア・ダルマティアが独立を果たし、1141年までにポルスカ王国がポルスク人国家をすべて統一し、ルテニア王国もオスティアの国々を併合して回っていたころ、1157年、ガリアを巡る二度目のブリタニアとの戦争であるガリア戦争が勃発する。
実に200年もの停戦期間を経て再び始まったブリタニアとガリアとの全面戦争は、1259年に即位したガリア王マルテル以降、ガリア優位に進んでいく。
翌1260年にラウルが生まれたわけだが、父王ルータール8世は惰弱王と呼ばれるほど気弱でどうしようもない父親であったため、1269年にはマリーがいるブルグンディアとコルデーがいるプロウィンキアをガリアに唯々諾々と割譲。
1271年にはサウォギアも割譲しており、ラウルは併合される前にと1271年のはじめにヴェネツィアにあたるロンバルディア公領ヴィネギア市を訪問したが、そこで偶然にも、前年に勃発したグラエキア・フリギア戦争でアルカディアを追われたカストロとポルクスに出会い、保護した。
そしてその年のうちにロンバルディアをガリアに、スイスにあたるアレマニアをゲルマニアに割譲させられ、父王は気を病んで床に臥せた。
そんな中で、ルテニア王国摂政大公だったイヴァンはルテニアとポルスカを統一する一大事業を開始し、1268年、ポルスカ=ルテニア連合王国を成立させた。これにより旧ポルスカ王国はポルスカ大公に、旧ルテニア王国はルテニア大公になった。
また、この年にアーサーがブリタニア王に即位している。
アーサーが即位して4年後、1272年にブルトン公国が陥落しブリタニアが完全に大陸から撤退したことでガリア戦争が終結すると、ゲルマニアは第二次ボイオハイム戦争で独立状態にあったボイオハイムを再度併合。東ラバルム帝国から独立していたダルマティアをも獲得し、国土を一気に拡張した。これはガリアだけでなく、連合王国として最も広大な国家となったポルスカ=ルテニア連合王国を警戒してのことだった。
同じく巨大国家の成立を懸念していたノルディア王国は、1268年にノルマニアを併合したのを皮切りに、フェニギア、リヴォニアを武力で併合。さらに、つい半年前にポルスカ=ルテニア連合王国からイングリア公領を奪った。