伝承地底世界アガルタI−1


セラフィックスが特異点と化していた、という事件を説明する前に、ダ・ヴィンチの資料整理を待ちつつ少し休むべく、唯斗は自室に戻ってきていた。
立香はBBをダ・ヴィンチのところに連れて行き、霊基の確認を求めている。もうこれだけでもとんでもない案件だ。ダ・ヴィンチがどんなリアクションを示したのか見てみたい気もしたが、それよりも疲労の方があった。
アーサーも唯斗を労わって一人にするとして、自分の部屋に戻っている。

ふと、唯斗はガウェインのことを確認しなければならなかったと思い出す。混乱の中で帰還したことやBBが現れたことに気を取られていた。
マスターとして失格だ、と舌打ちをしつつベッドから立ち上がったその瞬間、アンロックされたままの扉が開く。


「マスター!」

「ガウェイン、」


なんと、ちょうどガウェインがやってきたところだった。
その表情に、記憶があるのだと理解する。


「ガウェイン、良かった。カルデアに戻ってきてたんだな」

「ええ、そのようです。と言っても、思い出したのはつい先ほどでしたが」

「思い出した?」


どうやらガウェインは、SE.RA.PHが虚数事象として処理されたことでレイシフトの記憶をなくしており、つい先ほどまでいつも通りの一日を過ごしていたように感じていたらしい。

しかし唯斗が帰還したことで、恐らく唯斗の記憶と同期し、実数体であるこちらのガウェインもすべてを思い出したようだ。

部屋に入ってきたガウェインの正面に立ち、唯斗は安堵の息をつく。特異点に共だってレイシフトしたサーヴァントが倒された場合にどうなるのか、というのは不確定な要素の一つだったが、少なくとも今回は「なかったこと」になったおかげでカルデアに戻ってきていたようだ。


「戻ってきた直後のことは覚えてるか?」

「やや曖昧ですが、管制室の前にいました。なぜそこにいるのか分からず記憶を探りつつカルデアを歩いているときに、マスターが帰還され、記憶を取り戻した形です」

「そうか、じゃあ全員、レイシフトする前の状態に還元されたのか」

「恐らくは。確証はありませんが…それにしても、本当にご無事で何よりです」


ようやく、ガウェインの青ざめた顔が元に戻り、ガウェインが必死に唯斗のところまで走ってきてくれたのだと分かる。ガウェインからすれば、アーサーも重体のところで唯斗を残して退去したのだ、相当に焦ったはず。

あのときガウェインは、アーサーと同じ感情ではないが、唯斗のことを「愛する者」だと言ってくれた。恋愛の愛というより、親愛や友愛という類のものだろうか。


「…ありがとな、ガウェイン。ちゃんと約束通り、俺に傷を負わせないよう最後まで踏ん張ってくれて」


そしてガウェインは、あの大怪我でもなお現界を維持したわけだが、その理由は唯斗に最後の言葉を伝えるためだった。直前に交わした、心まで守ろうとしてくれ、という唯斗との約束を果たすためだ。
唯斗の言葉に、ガウェインはふっと微笑む。


「たとえあの約束がなくとも、私はあなたに言葉を残そうと現界を維持したでしょう。ともに戦い、ともに立ち、誠意と敬意を忘れないでいてくださる、そんなあなたに憂いを残したくはありませんでしたから」

「さすが、円卓の騎士だな」

「ええ。そしてあなたの騎士です、マスター」

「俺は貴婦人じゃないけどな」


中世中期ごろより、フランスでは世界で初めて、「恋愛」という概念が発生する。ロマンスというもので、これは宮廷文化を民衆に吟じる吟遊詩人がプロヴァンスで生み出したものだ。
当時、騎士は貴婦人に主君への忠誠とは異なる義を誓い、その証として戦いで己の血が付着した布を渡し、貴婦人はそれを服の袖に縫い付けるという風習があった。
この、騎士の主君への忠誠とは異なる誓いと、貴婦人の夫への愛とは異なる思いを、それぞれ恋としたのだ。
円卓の騎士の物語におけるロマンスも、こうした中世騎士道に基づくものであるが、実際にはこの「文化的恋愛の発生」は円卓よりずっと後の時代のものだ。総じて円卓の騎士の物語における文化的風習とは、後世の騎士道精神を中世初期の騎士に当てはめた後付け設定ばかりということになる。

しかし英霊とは地球上の情報の具象化、時として史実より後世の物語性が強く反映される。

ガウェインは苦笑する唯斗に一瞬きょとんとした後、微笑んで唯斗の右手を取り、手の甲の令呪に口づける。いつかのバレンタインでも見たばかりの光景だ。


「っ、ガウェイン…?」

「貴婦人であるか否かなど些末なことです。王を忘れることはなけれど、あなたはまぎれもなく主であり、私はあなたの剣です。そして同時に、命を賭して守りたい愛する人でもある」

「あ、いする人って、アーサーとは違うんだよな…?」

「ええ。違うものだと、言い聞かせておりますとも。とどのつまり、愛の定義など曖昧なもの。違うと言えば違うものとなり、同じだと言えば同じものとなりましょう」

「それって……」


なんだかものすごく際どいことを言っているのではないか。そう思った唯斗だったが、それを指摘するのは藪蛇だとこの1年何度も思い知ってきた。
察したガウェインはニコリと笑ってから、「ダ・ヴィンチ女史とのSE.RA.PHに関する情報共有には私もご一緒しましょう」とからりと切り替えた。

その切替によって救われたような、誤魔化されたような、釈然としない気持ちになりつつも、唯斗はとりあえず頷いた。


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