伝承地底世界アガルタI−12
ギルガメッシュが答えないであろうことは分かっていたため、唯斗は先にやってみることを告げた。アーラシュは苦笑してから頷く。
そうして、先ほどガンドを当てたウサギを回収してくると、唯斗はアーラシュに示された岩の上にウサギを乗せた。
「確か、サバイバルナイフは持ってたな?」
「ある」
ショルダーポシェットから折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出す。
岩の上に横たえられたウサギは、ガンドによる攻撃で外傷がなかった分、愛くるしい見た目がそのままだった。
今からこの愛らしい小動物の死体にナイフを入れるのだ。
これからやろうとしていることが自覚されて、唯斗はナイフを持つ手に力が入ってしまうのを感じた。僅かにナイフが震えている。
「…大丈夫か、マスター」
「だ、いじょうぶ、」
「…よし、まずはここから垂直に入れてみろ」
「わかった」
口では了承したものの、ナイフを毛並みに当てたところで手が止まる。まだ温かい体の柔らかさが、妙に生々しかった。
「…できぬか」
そこに、頭上から落ちてくるギルガメッシュの平坦な声。脳裏に浮かんだのは第六特異点のあと、ギルガメッシュに食堂で叱られたときのことだ。
失望されたくない、という本能のような恐怖がわき上がり、唯斗は咄嗟に振り返ったが、しかし意外にも、ギルガメッシュは怒っている様子ではなかった。
こうなることを分かっていたのだろう、特に感情が浮かんでいない。
いや、ギルガメッシュなりに、あのときのことを反省してくれているため、フラットな態度にしているのかもしれなかった。
そうと分かれば怖くない。それに、ユーフラテスの船の上で、唯斗を守るために厳しくするとも言っていた。思えば、立香たちと分かれて行動することをわざわざ提案したのも、同じ理由からなのだろう。
「…できなさそうなくらい怖いのは、追い込まれてないからだ。追い込まれてるときにはきっと、怖さより優先するんだと思う。でも、そんなときに横で丁寧に教えてくれる人なんていないだろうから、今、やらなきゃいけないんだ」
「しかしギルガメッシュ王、何もいきなりこんな…」
いよいよアーサーは諫めようとしたが、ギルガメッシュはアーサーを睨み付ける。
「動物とは他の命を奪って生きるものだ。普通動物は己の食事は己で狩るが、人は文明の発達とともにそうではなくなった。故に、他の命を奪って生きている自覚がないまま生きる者は傲慢だ。王でもない市井の民一人一人までもがその傲慢さを持つ、それが現代だろう。我らの時代と決定的に異なる点であり、いずれ唯斗の弱点ともなり得る」
「…、それは、そうだが……」
アーサーはなおも言いよどむ。
しかし、唯斗はギルガメッシュの言うとおりだと思った。現代文明とは、徹底的な分業体制によって、人々が自らの手で牛や豚などを解体することはなく、食材の生命を意識することは少なくなった。
震える手を見つめる。この傲慢さは同時に、人類文明を合理化し、最大多数の最大幸福を実現する進歩の証でもあるのだろう。唯斗にとって、この傲慢は悪ではない。
それでも唯斗は、その傲慢さを知って受け入れて生きたいと思ったし、そのために必要なことなのだとも感じた。
「…アーラシュ、こういう感じでいいか」
ひとつ大きく息を吸ってから、唯斗はナイフを首元から垂直にウサギの体に突き立てる。途端に溢れる赤い鮮血に目を背けたくなったが、息をゆっくり吐いて堪える。背後でアーサーが驚く気配がする。
「…あぁ、そうだ。上手だぞ、マスター。まずはそこから血を抜くんだ」
アーラシュは唯斗の肩を抱いてから、指先で角度や深さを示して教えてくれた。血抜き処理や毛皮の剥がし方、切り方などを実践で教わっていく。
「フン、こやつの方がよっぽど覚悟が決まっているのではないか?騎士王」
「…そうだね。マスターの強さに、私は何度も驚かされてきた」
アーサーもそれ以上は何も言わなくなり、ギルガメッシュも口調は穏やかなものになっていた。
だんだんと肉塊になるにつれ、震えも吐き気も収まっていったが、それが見慣れた肉の姿になったからなのだと理解して、これが現代ということか、と思ってしまう。だが、この感覚を知れたことは、唯斗にとって非常に重要なことなのだと直感する。
やがてすべての処理を終える頃にはさすがに夕方になっていた。
ギルガメッシュは周囲の索敵と防衛の術式を張りに森へと入っていき、アーラシュはキャンプの男たちのために引き続き狩りに出て行く。
残された唯斗は、同じく野原に残ったアーサーとともに近くの小川で手を洗ってから、焼いて調理したウサギの肉を食べた。一人で食べきれる量ではなかったことと、アーサーが珍しく、一緒に食事をすることを希望したからだ。
きっとアーサーは、この感覚を、美味しいのに美味しいと素直に感じられない複雑な受容を、共有してくれている。
唯斗はいつものように、草原に腰を下ろしたアーサーの膝の間に座って、アーサーに凭れてウサギを食べきった。
これでようやくすべての行為が終わったように感じられて、唯斗は思わず、アーサーの肩に顔を埋める。
「…頑張ったね、唯斗」
「……ん、」
名前を呼んでくれたアーサーに小さく答える。労るように唯斗の頭を撫でてくれるアーサーの手の感覚を受け止めて、やっと息がつけた。
人という個体として生きること、その本質に触れるような体験は、七つの特異点と二つの亜種特異点を巡ってきた旅の中でも初めてのことだ。
「…とりあえず、好き嫌いなるべくなくす……」
「ふふ、そうだね」
かつて無造作に食事をして、苦手なものを残してきたことが、なんだか急に罪悪感を喚起する。過去のことはどうしようもないため、唯斗はこれから直そうと思った。
エミヤに言われたように必要だから食べるのではない。ただ、食事というものが本来「生きる」ということの意味に直結することなのだと、そう知ったからだ。