伝承地底世界アガルタII−24
コロンブスが言っていたことにも似たガリヴァー旅行記第三編に収録されたラピュタを引き合いに出す、その行為にもシェヘラザードの当てつけのような作為があったのではと唯斗は推測している。彼女もそれを否定しなかった。
すると、空中に浮遊するラピュタが、突然水平方向に動き始めた。ゆったりと地面が動く感覚は気持ちが悪い。
『さてミス・シェヘラザード、墜ちよ、と言ったね。君はこれを堕とす気なのか?どこに?』
動き始めたのを見たホームズは、通信からシェヘラザードに答える。シェヘラザードはそれに淡々と答えた。
「人の多い大都市ならば、どこでも」
「ッ!」
唯斗はその答えに息を飲む。通信からも、ダ・ヴィンチの焦ったような声が聞こえてくる。
『おいおいちょっと待ちたまえよ。今は比較的人気のないネパール山地の上空だけど、それでも目撃者は皆無じゃないだろう。今のたった数分で、処理をしなくちゃいけない魔術協会の担当者、何人の人生が狂ったか。なのに、これを堕とすだって?そんなことになったら、これ以上ないほどに取り返しがつかない』
「たくさんの人が死ぬ…!」
「いや、それだけじゃない。なんならそれ以上にまずい」
立香も事態の深刻さに目を見開くが、唯斗はさらに付け足す。隣に戻ってきていたアーサーは唯斗を見下ろした。
「それ以上、というのは?」
「空中を浮かぶ幻想の都市が、実在する都市を押しつぶす。実際に被害が出て人が死ぬ。それは、神秘が限りなく薄れるってことだ。魔術協会の第一の使命は神秘の秘匿。神秘が秘匿されていることを前提に、魔術は存在できるんだ。ラピュタが墜ちてくるなんて、そんなん、結界やガンドすら成立しなくなる…あぁ、お前の目的はそれか、シェヘラザード」
「ええ、その通り。すべての神秘が陳腐化し、形骸化し、サーヴァントを召喚するシステム自体が消え去ることを、私は望みます」
「な、それでは、抑止力はビーストを倒す手段をまるごと失ってしまう…!」
アーサーもシェヘラザードの目的に気づき、もたらされる結界の最悪さに呻くように驚く。
神秘が薄れることで魔術は破綻し、英霊召喚という術式は成立しなくなる。そうなればサーヴァントが現界することはなくなり、シェヘラザードは、一方的に呼び出されて死ぬことがなくなる。
そうまでして彼女は死にたくないのだ。
「…そうまで、そこまでして、死にたくないのですか、あなたは…」
呆然とするフェルグスにシェヘラザードは儚く笑う。
「はい。先ほど唯斗さんは仰いましたね。死の恐怖を知りながら、人理修復に力を貸してくれた英霊たちを侮辱するなと。ええ、本当にその通りです。私にはとても耐えられない。あの恐怖を繰り返すにも関わらず世界のために戦うなどと。そのような強さ、私にはありません。私は戦士ではありませんでしたから」
「確かに、僕は戦士でもないにも関わらず狂った王と千夜を過ごしたあなたにかけられる言葉などありません。しかし、死にたくないからという理由だけで世界を壊されては困ります。我らケルトの戦士にとって、世界とは名誉ある戦場。あなたの物語には、名誉がかけらも存在しない」
「そこな小僧の言うとおりだ」
そこに、ギルガメッシュが口を開いた。黙って聞いていたようだったが、ついに不愉快さがマックスに達したらしい。
「貴様のそれは矮小なまま。己の願望の域を超えぬ卑小なそれで世界を壊そうなど、まだ命の在り方を模索した結果で世界を焼却した魔術王とやらの方がマシというもの」
「ペルシアの先達としちゃあ手荒い真似はしたくねェんだが、生憎俺はマスターの方が大事でな。共に世界を救うと約束した以上、お前さんにはここで死んでもらう」
アーラシュも、普段の穏やかな優しさはなりを潜め、きつい言葉で最後通告を突きつけた。
立香は途方もないスケールの事態に対してあまりに小さな理由であったことで呆気にとられていたが、持ち前の切り替えで目の前のことに集中する。
「とにかく、こんなものが都市に墜ちたらたくさんの人が死ぬ。絶対に止めなきゃ。唯斗、一番近くの大都市まで距離分かる?」
「今ここがヒマラヤのネパール北西だとすれば、パキスタンの首都イスラマバード、同じくパキスタン第二の都市ラホール、そしてインドの首都デリーが最寄りだ。このサイズと移動速度だと、最短1時間ってところか」
イスラマバードの人口は740万人、ラホールは1000万人、そしてデリーは1700万人の人口を擁する大都市だ。
『唯斗さんの目測通りです。ただし、目撃者の数を減らすため、可及的速やかにラピュタの消滅を図る必要があります……確かに、途中まではゲーティアとやろうとしていることは同じだったのでしょう。ですが、その先がありません。彼女は、二度と死にたくないがために、世界を巻き添えにして自殺しようとしているだけなのです』
「私だって、できるなら世界を巻き添えになどしたくありません。彼から聞きました。ただ一人、自らの意志で座より消失した英霊がいると。ああ、なんて羨ましい。私もそんなことができれば、話は簡単だったのに」
シェヘラザードがそう言った瞬間、隣の立香は一瞬呼吸を止め、そして、かつてないほどに怒りを滲ませた。ゲーティアとの戦いでマシュを失ったあのときに匹敵するほどの、強い怒り。唯斗ですら拳を握りしめるほどの怒りを感じたのだ、より近しい間柄だった立香にすれば、それはもう、今この場で殴りに走り出してないことが不思議なほどだ。
『………マスター、言葉にせずとも分かります。私も同じです。彼女は今、私たちの逆鱗に触れました。教えてあげましょう、その羨望がどれほど間違ったものか!』
「歯ァ食いしばれ、シェヘラザード…!!」
マシュも立香も怒りを露わにするのは初めてのことだ。
そしてアーサーも、ガツン!と大きな音を立ててエクスカリバーを地面に突き立てて、それを乱暴に引き抜いて構えた。
また、ギルガメッシュも黄金の斧を右手に取り出し、左手に石版を出現させる。
「見知らぬ仲でもなかった故な。貴様の愚かな発言、その死を以て償わせてやろう」
「すまないがレディ、君を許すことはできない」
「私は死にたくない、だけなのに…私にそれを与えようとするなんて、ひどい人たちです。でも、私はあなたたちも羨ましい、立香、唯斗。だってあなたたちは、死ねば死ななくて良いのですから…!」
シェヘラザードはなおもそう言った。確かに英霊ではない唯斗と立香は死ねばそれで終わりだろう。
しかしだからこそ、唯斗はあのゲーティアとの戦いで、ロマニの覚悟を受け取った立香の戦いで気づいたことを今再び述べる。
「俺たちは死にたくないから生きてるんじゃない、生きたいから生きてるんだ」