愛しき過去にさよならを−17
浅い眠りからたたき起こされたとき、唯斗は驚くほど冷静に、そのときが来たかと思った。
「マスター、起きて」
「…なんだ」
いつもは寝起きが悪い唯斗だが、特異点探索中はさすがにすぐに起きられるようになっている。
切迫したアーサーの声に、唯斗はすぐに覚醒してベッドで体を起こした。暗い室内で、明かりもつけずにどうしたのかと訝しむ。
「東京全体で停電が起きている。合わせて結界が現れて、結節点の秋葉原、駒込、新宿、品川が封鎖されている」
唯斗はすぐに窓辺に向かった。眼下に広がる街を見れば、確かにすべてのビルや建物から明かりが消えていた。車のヘッドライトだけが、蜘蛛の巣のように広がる道路に沿って夜空を照らしている。
ホテルも非常電源に切り替わっているのか、壁の一部に据え付けられた非常灯のオレンジ色の明かりだけが光っていた。
その光源だけを頼りにリビングルームに入ると、立香も起きてきていた。
「マーリン、何が起きてる」
「恐らく、東京の電力をすべて使って結界を発生させている。結節点が囲われている以上、基幹術式を解除することはできない」
「術者を直接叩くしかないわよ、マスター」
マーリンの見立てはメディアも認識を同じくしており、もはや術式を直接解除することは叶わない。
こうなれば、術者を直接問いただすしかなかった。
『停電は東京23区全域。そして、電力から結界に変換する術式は、やはり唯斗君の家から発生しているようだ』
『恐らく、900万人の命を魔力に変えたあと、それを何らかの魔術として展開する出力術式は唯斗さんのお父様、バシル氏が握っているものと思われます』
マシュもすぐに起きてきているようで、このあと何をするべきか、すぐに決定される。
立香と顔を見合わせて、唯斗は頷いた。
「俺の家に直行しよう。時間がない、基幹術式の起動をなんとしても防ぐ」
「そうだね、すぐに向かおう」
立香も応じて、一同はすぐに、新宿のホテルから唯斗の家へと停電した街を駆けることになった。
ホテルを出て、停電によって混乱している新宿から西へと中央線沿いに走り出す。家々の屋根を足場にして、唯斗はアーサーに、立香はランサーに抱えられて、他は霊体化しながら夜の街を走り抜けた。
時刻は午前3時、さすがに人通りも少なく、そもそも停電に気づいていない人の方が圧倒的に多そうだ。東京中が停電しているわりにそこまで騒ぎになっていない街の中、前方には明かりが見えている。
23区外は電力が通っているようだ。東京の電力供給網は23区と多摩地域とで違うため、吉祥寺から西側は明かりが消えていない。
すると突然、前方に大きな結界が出現した。一瞬だけ魔力が漲る光が見えたかと思うと、風景が元に戻る。なんら変わっていないように見えるが、恐らく、見えない結界の中で起きている事象は外側からは見えないだろう。いわば迷彩と防音の効果を持った結界だ。
「あの結界…中で起こることを外部に知覚されたくないってことだ」
「てことは、あそこで戦いが起こってるってこと?」
「そうだろうな」
立香も察したようで、状況の悪さに眉を寄せる。あのあたりは唯斗の家がある。
恐らく、魔術協会の魔術師たちが唯斗の屋敷を襲撃しているのだ。その魔術が外部に見えないよう、結界を張っている。
「あの結界は物理的なものじゃない、中に入ることはできそうだ。突っ込もう」
「了解!」
ランサーに抱えられながら立香は頷いた。そのランサーは、すぐに屋敷に到達するため、唯斗に目を向ける。
「突入してどうすんだ?」
「まずは魔術師を倒そう。父さ…バシルたちは後だ。魔術協会は、神秘が秘匿できればどれだけ犠牲が出ても気にしない。戦闘で被害が周囲の住宅街に拡張しないように、まずは魔術師を無力化する」
「メディアは唯斗の家の中で聖杯を見つけてね」
霊体化しているため返事は聞こえないが、立香には念話で聞こえているだろう。メディアが唯斗の屋敷で聖杯を探している間に、残りの戦力で魔術師を倒して、そして応戦しているであろうバシルを問い詰める。