愛しき過去にさよならを−20
誰もが驚きで声を発することができない中、事態は止まってはくれなかった。
崩落した屋敷からは、突如として大量の黒い影が飛び出してきていた。出現しているのは、数百体に及ぶシャドウサーヴァント。通信から鋭くダ・ヴィンチが警告する。
『聖杯の起動を確認!何者かが聖杯と雨宮家の召喚術式を使って、大量のシャドウサーヴァントを召喚している!』
『か、数は200体以上!皆さん、すぐに戦闘を!結界から出てしまえば住宅街に被害が出てしまいます!』
「と、とりあえず全員戦闘態勢!」
立香は愕然としつつも、すぐにそれだけ指示した。言われずとも、ランサー、英雄王はすぐに出現したシャドウサーヴァントたちとの戦闘を開始し、エミヤとアーサー、オジマンディアスも同様に戦い始めた。
一方、突発的に始まった戦闘音の轟音によって、ようやくバシルは事態を理解したらしい。地面に血を流して倒れ伏す美紀子を、呆然と見下ろして、地面に崩れるように膝をついた。
「……なんだ…これは……なんで、美紀子が……」
そこに、屋敷に入っていたメディアとマーリンが戻ってきた。立香は、立ち尽くす唯斗に代わって二人に状況を確認してくれた。
「いったい何が起こったの!?」
「魔術師の一人が屋敷に忍び込んでいたようだわ。私たちより先に聖杯を見つけ出して、召喚術を…」
「男の子は!?」
「男の子…?見てないわ」
メディア、そしてマーリンも首を横に振る。
まさか、と唯斗はさらに息を飲んだ。先ほど美紀子は魔術師が守ってくれたと言っていたが、あれはメディアではなく、忍び込んでいた魔術協会の人間だったのだ。恐らく、結界で守る代わりに聖杯の場所を聞いたのだろう。美紀子は聖杯を知らないだろうが、思い当たる場所を述べたはず。
ならば、一樹は守られてなどいない。あの崩落した屋敷の下敷きになっているかもしれない。
それに、血を流して倒れる美紀子は動かず、その横で茫然自失とするバシルも微動だにしなかった。
その周囲で、無数のシャドウサーヴァントたちと戦うサーヴァントたちが動いていた。異様な光景に思考が止まる。何を考えればいいのか、何をすればいいのか、頭に霞がかかったように分からなくなる。
しかし、それを覚ましてくれたのは立香だった。
立香は唯斗の目の前まで来ると、肩を掴んで揺する。
「唯斗、しっかり!お母さんのこと守れるの、唯斗だけだろ!?考えるのやめちゃだめだ!」
「っ、りつか、」
震える唯斗の声に、立香はぐっと唇を引き締めてから、唯斗を強く抱き締める。その力強さは痛いほどで、それが思考を徐々にクリアにしていく。
「唯斗、大丈夫、ここは俺がなんとかする。だから、唯斗はお母さんを安全な場所に運んで。マシュ、彼女の容態は?」
『まだ息をしています、早く安全な場所へ…!唯斗さん、気をしっかり持ってください!私たちも、先輩も、サーヴァントの皆さんも、全力でこの場をなんとかします!だから、だからどうか…!』
今にも泣きそうなマシュの声に、唯斗もようやく思考がはっきりとした。そうだ、こんなところで呆然としている場合ではない。
目の前では、見慣れた唯斗の家の庭園で、アーサーたちが無数のシャドウサーヴァントたちを延々と倒している。いまだに聖杯はシャドウサーヴァントを排出し続けており、このままでは吉祥寺全体に拡散して被害が出てしまう。
何より、まだ息があるという美紀子を守れるのは、唯斗だけだ。
「………わるい、立香、マシュ。任せた」
それだけ言うと、唯斗は美紀子のもとへと走り出す。体を動かすと、それに応じて頭もさらにクリアになる。今するべきことが明確になる。
「マーリン、ついてきてくれ」
「もちろんだとも。ここは任せたよ、メディア殿、藤丸君」
「任されたわ」
「マーリン、頼むね」
立香にはメディアがついている。数百体のシャドウサーヴァントたちを、英雄王は100体単位で宝具の雨によって吹き飛ばし、アーサーやエミヤの剣が薙ぎ払い、ランサーの槍が串刺しにし、オジマンディアスの光線が蒸発させていく。
こちらが優勢だが、無限に湧き出るシャドウサーヴァントを前にじり貧となってしまうだろう。
場の指揮を立香に任せて、唯斗はマーリンとともに美紀子に駆け寄った。バシルは「うそだ、美紀子、なんで」とただ呟くだけの存在と化している。現実を受け止めきれないのだ。
そんな男は放っておき、唯斗は美紀子に回復術式をかける。マーリンは優しく美紀子を抱き上げた。
「どこへ連れて行こうか」
「そこの離れに」
庭園の端、客室のための離れを示すと、マーリンとともに走り出す。バシルはそれすら気づかず、ひたすら庭園の砂利の上で膝を着いて呆然としていた。