悪性隔絶魔境新宿II−7
しかし立香はきっぱりとそう言った。立香がそう言うであろうことは、恐らくこの場にいる誰もが分かっていた。
『私も、こんなことを言うのは不遜かもしれませんが…ここで帰還する、と言う先輩は、らしくないな、って思ってしまいます』
「さっすがマイサーヴァント!分かってる!」
『えっ、はい、まだそう思っていただけるなんて嬉しいです…!』
マシュも同意を示し、ダ・ヴィンチも通信の向こうで少しだけ呆れたようにしながらも笑った。やはりこうなると分かっていたようだ。
『カルデアとしても、君の意向を尊重したい。だから今一度問うよ。新宿を救うことは、何も意味はない。人理を救うでもないし、そこにいるサーヴァントたちだって死んでも問題はない。君は、この街を救うに値する何かが、あると思うかい?』
全員の視線が立香に集まる。立香は少し困ったようにしてから、「分からない」と返した。
唯斗はその背中を軽く叩く。
「わ、唯斗?」
「お前は今まで、価値があるから救ってきたわけじゃないだろ。救ったことに価値や意味が生まれたことはあったけど。今回だって同じだ、価値の有無じゃない」
「…うん、そうだ、そうだよね、唯斗。理由とか意味とか価値とか、そんなのがあろうとなかろうと、俺は助けたいって思うよ」
そう、いつだって立香は、助けることに理由を持っていなかった。ただ助けたいという気持ちだけで最初に動いて、後からそれに意味が伴っていたのだ。
最初はそんな立香と衝突していた唯斗だったが、今ではすっかり立香に影響を受けてしまった。
アーサーは微笑んで、唯斗の肩を抱いた。
「藤丸君も、マスターも、それでこそだ」
『…そうだね。それは、とっても君たちらしい。よし!ではカルデアは全力でバックアップするとしよう!』
ダ・ヴィンチも了承し、これで方向性は決まった。
立香と唯斗は引き続き新宿に残り、この事件の解決に挑むことになる。
それにあたって、ホームズは悪性のモリアーティが考えている計画の全体像を共有してくれた。
なんとも大胆で、緻密な、とてつもない計画、そう言わざるを得ないものだった。
まずモリアーティは、複合幻霊であり、ドイルの小説だけでなく、ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」を含めて現界している。
ウェーバーはドイツの音楽家で、父方の従姉コンスタンツェはモーツァルトの妻である。
このウェーバーの代表作は「舞踏への勧誘」など後世の音楽家に多大な影響を残しているが、それと同じく有名なオペラが「魔弾の射手」だ。
もともとドイツの民俗文芸の一つで、どんなところにでも当たる
Freikugelを意味する。
ウェーバーのオペラにおいては、主人公マックスが婚約者との結婚がかかった射撃大会を前に悪魔と取引をして、7発の銃弾のうち6発は思い通りのところに当たり、最後の1発は悪魔が狙ったところに当たるという銃弾を鋳造するも、大会本番で7発目が婚約者を直撃してしまうという物語である。ちなみに、7発目の銃弾は森の隠者によって婚約者から逸れて、マックスを唆した同僚の猟師に直撃する。
この任意の場所に必ず当たるという性質を持っているため、モリアーティはアーチャーとして現界したのである。
そして
銃身というビルは、宇宙に存在する隕石を銃弾に見立て、魔弾の射手の力で地球に必ず当たるようにするための受け皿となっていた。
この状況をなんとかするには、まず、敵戦力として強大なアサシンを削る必要があった。
「さてモリアーティ、計画を立てたまえ。その手の悪巧みは、君の方が得意だろう」
「なるほど、そういうことであれば情報をくれたまえ」
「そら、資料だ」
ホームズは紙束をモリアーティにぞんざいに渡す。モリアーティは適当にそれをパラパラとめくりながら「あれをこうして…」とぶつぶつ呟く。
さらには、「色気が…」などと言い始め、本当に大丈夫なのかと不安になったが、モリアーティは表情を明るくしてパンと手を叩く。
「では諸君!街に出て服を買おう!いや、奪おう!」
後から思えば、随分と締まりのない反撃の狼煙だった。