旅の終わり−7
食堂を出てすぐ、唯斗は突然背後からアキレウスに捕まり、そのままアキレウスの部屋に連れ込まれた。
あまりに一瞬の出来事に、事態を把握したのはアキレウスの部屋に入って扉が閉まったときだった。
「…え、アキレウス?」
「おう。ちょっと拉致らせてもらったぜマスター」
アキレウスの部屋に入ったのはこれが初めてだ。明るい部屋は意外と綺麗に保たれており、やはり、アキレウスがいたことを感じさせるようなものは何一つなかった。
「まさか、最後の最後で連れ込まれるとはな」
「最後の最後じゃなきゃ手ぇ出してたからな」
あっけらかんとアキレウスがそんなことを言うのはいつものことで、いまだに腰を抱き寄せているアキレウスにため息をつく。
「俺、結構センチメンタルだったんだけど」
「だろうな。これからもずっと、お前さんが俺のことを忘れられないと思うと、俺は気分がいいけどな」
「…ずるいだろ、それ」
まるでいつかの刑部姫のコピー本のようだ。
唯斗の記憶に鮮烈なまでに焼き付けられた、アキレウスとの思い出。そんなものを、この先の人生で忘れられるわけがない。
唯斗はずっと忘れられないのに、アキレウスはさっさと退去して座に還ってしまうのだ。記録は残っても記憶は残さず、感情なども引き継がず。
アキレウスは「はは、」と笑うと、唯斗をより深く抱きしめた。分厚い体に抱き込まれ、その鎖骨あたりに顔を埋める形となる。今日ばかりは、こうしてたくさんの英霊たちとゼロ距離で触れ合った。
「…まぁでも、俺も本当は、似合わないのは分かっているが、あんたをこのまま連れ去って遠くに逃げちまいてぇな、くらいのことは思ってんだ」
「魔力の問題さえなければ、それができるだけの力あるのがアキレウスのすごいところだけどな」
「一番大事なのはお前さんの気持ちだろうが」
ぺち、とまったく痛くないデコピンを食らう。痛くないのは当然だが、唯斗は「痛い」と言ってアキレウスにぐりぐりと顔を押し付けた。
「……俺、ほんとに、今まで数えきれないくらいアキレウスに助けてもらった。アキレウスがいるから大丈夫って踏ん張れた」
「俺もマスターに守られたけどな。アメリカでも、キャメロットでも、この前の山の中でも。守られる度に、あんたの強さにハッとした。まぁ、キャメロットのときは肝が冷えたが」
あのガウェインとの戦いはいろいろと別枠だ。それはアキレウスも理解しているようで、そこを掘り下げるつもりはないらしい。
「…俺は、英雄として振る舞うことが一番大事だ。とにかく、俺にはそれが大事なことだった。だから俺にとっても、正義のため、世界のために戦うグランドオーダーっていう旅は特別だった」
「アキレウスはいつでも英雄だった」
「そうさせてくれたのはあんただ、唯斗」
名前を呼ばれ、思わず唯斗は顔を上げてすぐ近くの精悍な顔を見上げる。アキレウスはその瞳の奥に、優しくも甘い、まさに愛しさというものを滲ませた表情をしていた。
「今までいろんな戦いに身を投じてきたが、心から正しいと信じられる戦いにこの身を捧げられることの素晴らしさをあんたに教わった」
「そう、か…?」
「そうだとも。英霊たちに託された人理を、人間だからこそ自分たちが率先して戦って取り戻すと啖呵を切った覚悟の硬さ。そして守るのではなく、共に勝つことを目的としろ、と叱咤した強さ。そうしたモンに、俺は惹かれたんだ」
度々アキレウスが話してくれたことだ。第五特異点でアルジュナに対して叫んだ覚悟や、山奥の特異点で一方的に守るのではなく一緒に勝つことを考えろと言った唯斗に、アキレウスはその心を動かしたのだという。
「本当はこれからも、お前をどんなことからも守ってやりたかった。だが、それがお前には不要だということも知っている。この世界を取り戻してくれたのがお前らで良かった。マスターに託すことができて良かった」
「っ、アキレウス…!俺も、俺もアキレウスと戦えてよかった、今までたくさん、ありがとう…っ!」
体が透け始め、光の粒子が部屋に立ち上っていく。アキレウスを包む光の中で、唯斗はその粒子に混じるように、目からこぼれたものを拭うこともできない。代わりに、アキレウスが唯斗の目元を拭った。
笑った顔は、アキレウスにしては様々な感情を抑えたような、そんな男の顔だった。
「これからも幸せにな、唯斗」
幸せにしてやりたかったと言いつつ、幸せになることを願ってアキレウスは消えていった。
残された唯斗は、武骨な何もない部屋を見渡す。
「……、」
アキレウスが拭ってくれた目元を乱暴に礼装の袖で擦ってから、唯斗は部屋の扉に向かう。寒々しい部屋は、たくさんの感情で溢れてしまっている唯斗の心には、あまりに寒すぎた。