砂糖は不要−8
部屋に呼んでいたサーヴァントたちには全員渡し終えたので、次は自分から出向く相手のところへ配りに行くことになる。
まずはアキレウス、今日までに捕まらず部屋に来てくれと伝えることができなかった相手だ。シミュレーターに入り浸っていたようで、念話も通じなかったのである。
廊下で出くわしたケイローンに居場所を聞き、どうやらシミュレーター近くの広めのラウンジでシミュレーターが空くのを待っているとのことだったため、念話で「今から行くからそこにいろ」と伝えてからラウンジに向かった。
広く開けたラウンジは廊下と壁などがあるでもない場所で、すぐにアキレウスが丸テーブルの一角にいるのが見えた。
いつも誰かと一緒にいるイメージがあったが、間のいいことに一人でいる。
「アキレウス、悪いな呼び止めて」
呼びかけながらアキレウスのいる席へと向かうと、それより先にアキレウスが瞬時に唯斗の目の前に立った。相変わらずの速さだ。
「いや、探させて悪かったマスター。俺から行ったのに」
「まぁこれも範疇っていうか」
「うん?」
よく分からなさそうにするアキレウスに、唯斗は手に持っていたチョコを手渡す。
「はいこれ」
「なんだこれ、菓子か?」
「そう、チョコレート。食ったことはあるだろ」
「おう、いや、なんでまた」
ポカンとするアキレウスはどうやらバレンタインを知らないらしい。
前回はアキレウスがカルデアにいなかったため、今回が初めてということになる。恐らく最初で最後になるだろうが。
「バレンタインってのは、キリスト教の聖人の日の一つで、その聖人の逸話から愛する者へ何かしらの形で愛情を伝える風習が生まれたんだ」
「お、おう…愛する者……」
「あぁいや、もちろん、恋愛だけじゃなく、親愛とか友愛とか…要は、友人や家族に贈ることもあるんだけどな」
「ビビった、公然と浮気かと思ったぜ。まぁ全然かまわねぇけどな、寝取るのも」
「何言ってんだ」
どす、とアキレウスの固い腹筋を殴るが、当然効くわけもない。NO EFFECTという文字が見えた気がした。
アキレウスも気にしたようではなかった。
「とにかく、去年もやったんだけど、世話になってる人たちに配って回ってるんだ。当然、サーヴァントたちにもな」
「なるほどな。いや、ありがとなマスター。こういうのって、何か返礼した方がいいもんだよな?」
「え?いや…一応、お返しっていう風習もあるけど、別に気持ちだから、そういうのが欲しくてやってるわけでもない」
前キリスト教時代の人間だけあって、ギブアンドテイクが当たり前だ。当然のようにお返しをしようとするアキレウスに、一応唯斗はそう伝えたが、アキレウスはすでに検討を始めている。
「何もしねぇってわけにもな。つか、あんたに気持ちを示してもらったんだ、俺も伝えねぇと気が済まねぇし。そうだ、この盾とかどうだ?ライダーだから使わねぇしな」
「…は?!」
そして、とんでもないことを言い始めた。この盾は、アキレウスの母テティスが鍛冶神ヘファイストスに作らせたもので、ヘクトールとの戦いで用いられた。
この盾の重要な点は、人類文明において、人工的に芸術として作られたものを文字情報に転化する文学手法の最も初期のものであることだ。
美しいものの美しさを語ることは文学の典型的な在り方だが、美術作品などもともと視覚芸術として作られたものを文字で再表現するという事例は、「イリアス」におけるこのアキレウスの盾の描写が最古級とされる。
「何言ってんだマジで」
「盾はダメか?あーじゃあ、クサントスやるよ。俺の戦車を牽引する神馬の一頭。役に立つぞ?喋るし」
「神馬……」
唯斗はもはやくらりとする。施しの英雄とはまた別だ、カルナは価値を理解してもなお他人に施すからこそ大英霊なわけだが、アキレウスは価値の感覚が致命的にずれている。それもまた英雄か。
「見てみるか?出てこいクサントス」
アキレウスは呆然とする唯斗が前向きに検討しているとでも思ったのか、宝具のうちクサントスという馬だけを呼び出す。
ちょうど広いラウンジだったため、大きな馬は何事もなく出現する。少し椅子が押される音がしたがそれだけだ。
クサントスという馬はアキレウスの横に泰然と立ち、唯斗を見つめる。