深海電脳楽土SE.RA.PH−1
5月、差し迫っていた小特異点の修復をすべて完了し、いったん自室待機となっていた時期のことだった。
まだ新宿以外の魔神柱が見つかっていない以上、緊張感はあるものの、それでも外の世界がようやく日常を取り戻し始めていることもあって、カルデアの内部もどこか緩んでいるような気がした。
いや、実際には魔神柱の死骸によって生じた特異点が、幕末の日本に出現して立香がレイシフトしていたのだが、あまりにも訳の分からないトンチキな場所だったため、あまり大事としては受け止められていなかった。
ちなみに、それ以来カルデアには豊臣秀吉の妻だった茶々と、新選組の土方歳三がサーヴァントとして加わっている。
信長や沖田が関わると大抵トンチキなことになると相場が決まってしまったわけだが、唯斗としては、ようやくイメージ通りの日本のサーヴァントが来てくれてこっそり喜んでいる。
そんな穏やかな日々を引き裂くように、その特異点は現れた。
唯斗はこの日もアーサーとともに食堂で昼食を終えて、この一週間の訓練をどうするか考えていたが、そこに突如として、緊急事態を告げるアラームが響き渡った。
けたたましい警報音に、唯斗は即座に立ち上がる。
「行くぞアーサー」
「あぁ」
「マスター、緊急事態でしょうか」
そこに声をかけてきたのはガウェインだった。同じく、食堂内で円卓たちと談笑していたところ、すぐに駆け寄ってきてくれた。
「そうみたいだ。管制室に行く」
「私もお供しましょう」
「頼む」
とりあえずは管制室に急ぐ必要があるため、唯斗はアーサー、ガウェインとともに食堂から管制室へと走った。
残りの特異点が見つかったのか、それとも魔神柱が攻撃でも仕掛けてきたのか。色々と可能性はあるが、管制室に入ってみると、まったく想像とは別の事態となっていた。
『おや!ようやくもう一人のマスターさんのお出ましですね?』
「……は?」
管制室に響いた軽快な、いや軽薄な少女の声。モニターに映し出されたのは、制服のような魔女のような、何やら不思議な服装の少女だった。青紫の長い髪をしている。
『哀れな人間にもう一度自己紹介するなんて出血大サービスですが、さすがに異世界の騎士王サンがいるともあれば私も特別対応なのです。私はBBちゃん、みんな大好き超級AIです☆』
「…アーサーのことを理解してカルデアにハッキング仕掛けてきてるのか。ただのAIじゃねぇだろ。ダ・ヴィンチ、状況は」
管制室にはすでに立香とマシュもいて、そういえば、ともう一つ思い出す。
「てか、今日はセラフィックスとの定期連絡の日だったよな」
「その通りだよ唯斗君。そして我々はセラフィックスから救難信号を受け取った。シバで観測するも、北海と周辺海域から忽然と姿を消していた。そこにハッキングしてきたのがこのBBとかいう存在だ。そしてBB曰く、セラフィックスは2030年のマリアナ海溝を絶賛潜水中だ。特異点化というおまけつきでね」
ダ・ヴィンチが説明してくれた内容は簡潔で分かりやすかったが、だからこそ、意味が分からなかった。
セラフィックスはアニムスフィア家の所有する北海の海洋油田であり、カルデアの資金源である。フランスの原子力発電所と並んで財源として重要な施設だ。
それがなぜか、2030年のマリアナ海溝に転移しており、どんどん沈んでいるらしい。マリアナ海溝は地球で最も深い海底1万メートルの海溝であり、いずれ水圧で瓦解するはずだ。
さらに悪いことに、というかむしろ自然なことですらあるが、これは特異点と化している。
それにしても、このAIだとかいうBBとやらは、アーサーが異世界の存在であることを見抜いており、カルデアが二人のマスター体制であることも知っている。
「…セラフィックスがただの油田基地に過ぎないなら、わざわざ特異点化する意味はない。カルデアのマスターを誘き寄せて殺すという新宿のような意図であるならば、レイシフトできない未来の座標は選ばないから、むしろカルデアの干渉を避けようとしている。だとすれば、セラフィックスそのものに何か要因がある。アニムスフィアがこっそりカルデアでデミ・サーヴァント実験をやっていたように、セラフィックスにも何かそういう根源研究に迫るものがあって、それを特異点化させて沈めることで大きな効果を…たとえば人類を滅ぼすとか、そんなことが可能である、みたいな感じか?」
『今の説明だけでそこまで行く着くとかあなた変態ですか?』
「へん…ッ!?」
BBはぶすっとそんなこと言った。どうやらお気に召さなかったらしい。
しかしBBは、カルデアにセラフィックスをどうにかさせようとしてコンタクトを取ってきているため、利害が一致している。強力はするが愉悦の対象ともする、なんてことをするタイプの英霊は他にもいるため、そういうものと同列かもしれない。
唯斗は気を取り直して、隣に立つ立香をちらりと見遣る。あまり理解してないようだが、すべきことは理解している。
「それでBB、ここまでするってことは、当然、未来へのレイシフトができないカルデアにそれを助力する心づもりなんだよな?」
『そういう聞き方をされると極めて腹が立ちますが、その通りでーす!あなたたちの運命保証はこのチートAIたるBBちゃんにお任せを!さぁさぁ、早くレイシフトしちゃいましょう!』
「マスター、彼女は怪しすぎます」
すかさずガウェインが警戒を滲ませて言うが、しかしセラフィックスを放っておく訳にはいかない。
「なんであれセラフィックスには何かある。それに最も重要なのは、セラフィックスの人命だ」
「その通り。カルデア所長代理として立香君、唯斗君に命じる。これより両名は自室待機を解き、最優先任務に従事。セラフィックスの調査とスタッフの救出にあたってくれ」
ダ・ヴィンチからも正式なオーダーが発令される。
こうして、立香と唯斗、そして立香がたまたま一緒に来ていた玉藻の前とネロ、アーサー、ガウェインでのレイシフトが決定された。
コフィンに乗り込み、初めてとなる未来へのレイシフトが始まる。恐らく、カルデアとは通信ができなくなるため、現地では唯斗と立香の判断が最終決裁となる。BBの目的はまったく不透明なままだが、人を助ける、という目的はシンプルだ。