戦いの在り方−5
「浦上人は荒野に伏して祈る。『どうかこの浦上をして、世界最後の原子野たらしめたまえ』と」
「…、長崎の鐘、でしょうか」
「そう。天草は自分の死後、どんくらい日本の、長崎のこと知った?」
「…それなりに。なにせ、私はサーヴァントとなってから一度受肉している身。この外見も受肉してから変化したものです。受肉から60年、私は第三魔法成就のための準備に明け暮れていましたから、戦後の日本の様子もある程度は知っています」
天草四郎を象徴的なリーダーに据えて引き起こされた島原・天草一揆では、3万人以上の人々が江戸幕府によって虐殺される結果に終わる。日本で発生した内乱としてトップクラスの規模であったこの戦い以降も、長崎は日本におけるキリスト教の信仰の中心地であり続けた。
とりわけ、長崎市中心部から北に離れた浦上という地域は、そうした市街地からの距離もあって、隠れキリシタンの代表的な場所であり、何度も摘発が行われた。
そんな迫害の末に、ついにキリスト教が日本でも認められるようになると、キリスト教徒たちは浦上において、自分たちが踏み絵をさせられた屋敷の跡地を買い取り、そこに悲願の教会を建立した。
それが浦上天主堂である。
そして、天主堂の完成から31年後、1945年の8月9日に、この天主堂のほぼ直上に原子爆弾が投下され、天主堂は崩壊し数十名の信徒全員が即死した。
このとき、重傷を負いながら救護に当たった永井隆の著作「長崎の鐘」は、歌謡曲化されて非常に有名なものとなる。
「何があっても信仰を手放さまいと迫害を耐え抜いて、やっとの思いで自分たちが迫害された場所に教会を建てたと思ったら、同じキリスト教の国に核兵器を落とされた。確かに天草の戦いは必ずしも信仰のためだけじゃなかったんだろう。でも、島原の乱の惨禍から307年後、再び長崎が経験した出来事は、もしかしたら人類の愚かさとか、人という生命の欠陥だとか、そういったものに諦めを抱くのも無理はないようなことだと思う」
いつの間にか、唯斗の肩を抱く天草の腕からは力が抜けていた。まだ礼装は濡れたままだが、カソックと天草の体温のおかげでそこまで寒さは感じない。
洞窟の外からは依然として雨音が響くが、いくらか弱まっていた。
「…人類に存続する価値があるのか、人に可能性はあるのか、そういう大局的過ぎることは分からないし、分かるつもりもない。人類がどうだろうと俺は俺だ。俺は、単純に個人として、誰かに自分の無事や安全を、幸せを祈ってもらえることがどれだけ嬉しいか、どれだけ奇跡的なことか、グランドオーダーで学んだ。だから、天草が、1638年の惨禍も、1945年の惨状も知りながら、それでも人類に救いあれと願ってくれてることは、それが人類への諦観に立脚するものだとしても嬉しいと思った」
「嬉しい、ですか?」
「人類への諦め、ってのはあるんだとしても、恨みや憎しみじゃなく、救済を願ってくれた。あなたがそれを祈ってくれることが、カルデアで俺の無事を祈ってくれる人たちと重なった。俺も含めて、人っていう存在の安寧を願ってくれてることが嬉しかったんだ」
「…なるほど。自分自身の感情の範囲内に落とし込んだんですね。少し意外でした」
唯斗の言葉とその意図を理解した天草は、それを意外だと述べた。どういうことかと首をかしげると天草は苦笑する。
「マスターはそういう考え方をするでしょうが、あなたもそこに着地するとは思っていなかったんです」
「よく知る日本の英霊だからってのもあるけどな。近世日本史において象徴的な、他ならぬ天草が、人類のために救済を求めようとしてくれているって事実が嬉しい。日本人として、まずはそう思ったんだ。もちろん、第三魔法についても、まぁいろいろ考えようと思えば考えられるけど、今それをしても意味ねぇだろ。何より、そういうことは、俺があなたに伝えたい言葉じゃなかった」
「唯斗さんが俺に、ですか」