創世滅亡輪廻ユガ・クシェートラII−8
インド異聞帯に入って13日目、ボーダーは実数空間に浮上し、クリタ・ユガの初日となった美しい平野に降り立った。
前回同様、まずは町の状況を確かめるべくビーチュへと向かう。
相変わらず、花々に溢れ、豊かな水源と美しい青空が輝かしい楽園のような光景だが、やはり唯斗にはおぞましいものに感じてしまう。
ビーチュの市内に入ると、やたら静かなことに気づいた。建物や広場は完全に元通りになっており、人々も明るくなっているはずだが、肝心の市民の姿がやけに少なく見える。
その静けさに疑問符を浮かべていると、ガネーシャが辺りを見渡す。
「あの、先にアーシャの様子を見に行ってもいいっスか?お父さんが怪我したって言ってたし」
「もちろんです、私もそうしたいと思っていました。家は…こちらの方でしたね」
マシュと立香も応じて、アーシャの家があった方へと歩き始める。唯斗も続こうとして、ふとある事実に気づき、足が止まった。
「マスター?」
「……、あ、まさか…」
次の一歩が踏み出せない。気づいてしまった可能性が、体の内側を冷やすようだった。
その様子を見て、コヤンスカヤがニタァと笑う。先を進む立香たちの後ろで、アーサーと3人、立ち止まっている状態だ。
「あら、気づいちゃったんです?まぁ、そうですよねぇ。神にとって不要で不出来なものとはなんなのか、もうさすがにご存知のはずでは?」
「…マスター、いったい」
アーサーはコヤンスカヤには目もくれず、唯斗に問いかける。唯斗は、恐る恐るアーサーを見上げた。
「…覚えてるか、アーシャの飼ってた犬。ヴィハーンって名前の」
「…ッ!まさか…」
足を怪我して走れなくなった犬は、アルジュナにとって不要で不出来なものだった。そして、アジャイは怪我をしたとアーシャは言っていた。
これだけ町が静かなのは、恐らく、そういうことだ。
このままアーシャの家に行って目にするものは、その残酷すぎる現実を、最も残酷な形で示す光景なのだろう。それを直感して、足が止まってしまった。
立香たちは気づかずに進んでいく。このまま止まっていれば声をかけてくるだろう。
「ちょっと刺激が強いかしら?」
「貴様、」
一瞬で殺気立ったアーサーは、ほぼ無意識だろう、右手に剣の柄を出現させる。コヤンスカヤは動じた様子もなく、ニヤニヤとしているだけだった。
「…いい、アーサー。ほっとけ。とりあえず行こう、ここまでやっておいて、見ないフリはしない」
「……分かった」
アーサーは一度コヤンスカヤを睨み付けてから聖剣を消失させる。コヤンスカヤはつまらなさそうにしているが、すべて無視して、唯斗は立香たちに合流するべく足を速めた。
すぐに、立香たちがこっそり窓から様子を覗く民家に到着する。遅れて彼らの後ろから中を見遣ると、アーシャが夫婦とともに豪勢な祝いの席にいるように見えた。
しかしそこに、アジャイの姿はない。ガラスのない窓のため、中の声が聞こえてくる。
「ねぇ、おばさん、おじさん。なんだか、もう一人足りない気がしない?」
「なにを言っているんだアーシャ」
「そうよ、私たち、ずっと三人で暮らしてきたでしょう?」
思った通りの展開だ。マシュは息を飲み、口元を手で覆い隠している。立香は、窓枠を掴む手に力が思い切り入って指先が白くなっていた。
「うん、そう、だよね。なんだか…もう一人ここにいるのが、当たり前、みたいな…そんな気がしちゃって…変だよね、約束してたような気がして…一緒にお祝いして、ごちそう、食べて…大きくなったなって、頭を撫でてもらって…あれ…?なんで、わたし、泣いてるんだろ…お祝いの日なのに、びっくり…」
はらはらと涙を流すアーシャの姿に、マシュは膝から崩れ落ちる。慌てて立香が支えたが、ペペロンチーノは珍しく沈んだ表情を浮かべた。
「場所を移しましょう。さすがの私も、今アーシャちゃんに話しかけられたら、笑顔を向けられる自信はないわ」
今までの異聞帯は、正しいか間違っているか、という尺度で考える必要がなかった。しかしインド異聞帯だけは、絶対に間違っている。アーシャの涙を見て、初めてそう思った。