創世滅亡輪廻ユガ・クシェートラII−14
ボーダーを全速力で走らせ、荒廃した大地を駆け抜けると、旧ガンジス川を超えた先にある旧ビハール州全域を覆う巨大な海が見えてきた。
内陸であるはずのここに、これだけ広大な海のような湖があるはずもなく、これは異聞帯特有のものだと一目で分かる。
「インドの空想樹を視認しました!しかし…!取り囲んでいる湖の色が不可解です、あれは…」
「ちょっと、私が来たばかりのときにはこんなの分かったわよ!?」
湖は、空の禍々しい赤黒さを反射して赤みを帯びているが、恐らく元の色は白に近いものだろう。この状況で考えられる事象と言えば、ヒンドゥー教の天地創造神話である乳海攪拌しかない。
「あれは…乳海、か?」
「えっと、ヒンドゥー教の創世神話だっけ?」
「ミスター雨宮の指摘通り、恐らくあれは乳海とみていいだろう。大まかな解析結果もそれを示唆している」
インド神話には、神をも凌ぐ存在としてリシ、賢者という存在がいる。中国では仙にあたる。
賢者は苦行の末に神すらも服従させるほどの力を発揮できるが、その一人であるドゥルヴァーサスがインドラの象に花輪を与え、それを放り投げられたことで理不尽に怒り、神々から力を奪ってしまう。
その隙をついて侵攻してきたアスラに為す術もなく滅ぼされそうになったため、インドラ、シヴァ、ブラフマーはヴィシュヌのもとを訪れる。
ヴィシュヌは乳海攪拌によってアムリタを得ることを提案し、自ら巨大な亀の姿をとり、甲羅に大マンダラ山を乗せて乳海に入る。山に竜王ヴァースキを絡ませると、神々は尻尾を、アムリタを分けてもらうことを条件に協力することになったアスラが頭を掴み、両側から引っ張ることで山を回転させ、それによって乳海をかき混ぜる。
その過程で太陽や月、聖なる動物や妖精、さらにはヴィシュヌの妻となるラクシュミーも生まれる、という筋書きだ。
ゴルドルフは冷静に、目の前に広がる巨大な湖を睨み付ける。
「問題は、あれを渡れるのか、ということだ」
「客観的に言って、難しいでしょう。乳海には毒があります。軽く調べただけでも分かるほど強力な、鋼も人体も、霊体ですらも容易く溶かすほどの毒です」
「ヴァースキの吐き出した毒だな。世界を滅ぼすほどの力を持ったっていう…」
ハーラーハラという毒であり、神話ではシヴァ神が飲み干すことで世界に垂れ流されることはなかった。しかしその結果、シヴァ神は喉が青く変色してしまう。
空中を浮遊するにしても、あまりに距離があるため、その浮遊だけで疲弊するだろう。
「…なら、私がなんとかしよう。ラクシュミーとアラクシュミーは乳海攪拌から生まれた、相性はいいはずだ。私が不運を回転させこの体に毒を集めれば…」
ラクシュミーはそんなとんでもない提案をしたが、最高神クラスのシヴァ神ですら喉を焼かれた毒に、疑似サーヴァントですらない霊基で耐えられるわけがない。いたずらに消失してしまうだけだ。
するとそこに、意外な声が否定をかけた。
「くだらない。それは、不運の体質を言い訳に、献身のハードルを下げているだけじゃないか。言い換えれば、安易な自己犠牲。いなくなったあと、『彼女は聖人のように死んだ』と聞かされる者の身にもなって欲しい」
淡々と話すのはキャプテンだった。もともとインドの海兵のような格好をしている少女にも少年にも見える人物だったが、どうやらラクシュミーと縁があるらしい。
そこでようやく、唯斗はキャプテンの正体に気づいた。いや、霊基は混ざっているとシオンが言っていたため、正確にはその一つを理解した、といった方が正しい。
「そうか、貴殿は…」
「…そうだ。これは僕の経験じゃない。でも、僕の核になったものの、悲しみと後悔だ。やがて船長になるそいつは、セポイの乱を戦って、そして逃げた。戦い抜いて死んだ君とは対照的に」
「私には、それしかなかっただけだ。それは今も同じだ」
「違う。君はもっと、周りに目を向ければ良かったんだ」