沈殿する澱み−4
とりあえず、唯斗はまたも謝るゴッホを宥めて、ラウンジを立ち去るのを見届けた。ようやくゴッホがいなくなり、再びラウンジに二人になると、唯斗はつい、ガウェインを振り返って正面から抱きついた。
ガウェインはすぐにマントで包むように唯斗を抱き締める。
「大丈夫ですか、マスター」
「あぁ…ちょっと、しんどいけど。あんな羨ましがられるような自覚、まったくないのにな」
「あの狂気はまったく理解できませんが…しかし、あなたは確かにカルデアにとって必要不可欠な人物です。藤丸、マシュの心を支え、彼らとは違った意味でカルデアの人間関係を円滑にし、現場の藤丸をマスターに任せられるという後方部門の者たちの安心感をもたらす、そんな立ち位置です」
ガウェインの鎖骨あたりに顔を埋めて、その凜々しい声が唯斗を褒めるのを聞いていると、さすがに少しむずがゆくなる。ただ、否定するような謙遜をするのも無粋な気がして、そのまま受け入れた。
自覚はないものの、そういう見方があることを、否定はしない。
それにしても、と唯斗はゴッホの言葉を思い返す。
「…でも、必要とされる感覚を得たい、っていうの…ちょっと分かるな。自分は本来必要な存在じゃなかった、って感じてたことが、あの第六特異点のあとのゴタゴタを招いたわけだし。なんて言葉をかければ良かったんだろ…」
「マスター…」
ゴッホの、必要とされる実感を得たい、という願いは、よく分かってしまう。無意識に唯斗だって願っていたのだから。
だからこそ何か言ってやれれば良かったが、まだ唯斗にはそこまでできなかった。
ガウェインはなおも心配そうにしており、このままだと心労をかけさせてしまうと判断し、唯斗は体を離す。
「…まぁ、大丈夫。ありがとな」
「ご無理はなさらないでください」
「本当に大丈夫だよ。アーサーもいるし」
「…そうですね。あなたはもう、一人ではないことをご自身で理解されている。ならば、これ以上の心配は無礼でしょう」
「そこまでじゃねぇけど…そうやって言ってくれる人がいるの、ありがたい」
アーサーの名前を出せば、ようやくガウェインも安心したように微笑む。
そうして、とりあえずその場は解散として、唯斗は部屋に戻った。
その夜。
いつも通り、アーサーが不寝番としてベッドで添い寝する状態で眠りにつくと、珍しく夢を見た。
あまり夢を見ないタイプであるため、夢を見ながら、途中からこれは夢だと理解する。明晰夢というやつだ。
真っ暗な闇の中、唯斗はドロドロとした粘性の高い泥の中に立っている。足を抜くことができず、身動きができないそこに、だんだんと周囲に人影が現れる。
目をこらすと、前方には長い毛並みをした労働者風の装いの獣人たち。ヤガがいるのが見えた。
さらに、ビンディーを額につけた女性や、緑のマントに身を包んだ子供たち、古代中原の貫衣を身に纏った男性などが現れる。これが異聞帯の人々だと、すぐに理解した。
「なんで殺した」
「なぜ汎人類史の方が優先なんだ」
「お前が私の子より生きなければならない理由はなに」
「もっと生きたかった」
感情のない虚ろな声。抑揚もない声音で、人々は口々に呪詛を吐きながら、唯斗を取り囲んで徐々に近づいてくる。唯斗はまったく動くことも出来ず、それを聞きながら、迫ってくる彼らが何をするつもりなのか分からず、呼吸が荒くなる。
息がしづらい、動けない、瞬きもできない。
「汎人類史でなければ、異聞帯なら、歴史の歩みを止めてもいいのか」
「恥を知れ」
「お母さん、怖いよ、死にたくない」
「まだ戦争なんてしてる歴史を正当だなんて」
「たすけて」
手が迫る。声が近づく。いよいよ息が出来なくなって、早く覚めてくれ、と願ったその瞬間、いきなり視界に薄暗い天井が広がった。
一気に五感が戻り、びくりと体が震える。
「……は、」
ようやく息を吐くことが出来た。遅れて、ひどく指先が冷えて震えているのに気づく。
ここは自室のベッドで、唯一の光源はトイレの明かりをつけるためのスイッチの儚い光のみ。
それなのに、なぜか光を放って見えるような金髪が隣に横になっていた。
「…マスター?起きたのかい?」
寝ていなかったものの目は閉じていたらしいアーサーは、目を開いて唯斗の頭を撫でる。右隣のアーサーは、まるで自ら光りを柔く発しているようですらあった。
悪夢を見るのが初めて、というわけではない。だが、あんな異聞帯の人々が現れるような夢は初めてだ。
まるで、ずっと唯斗が意識せずにいることを思い出させようとするような、そんな悪質なものに思えて、ひどく気分が悪くなった。
何も忘れようとなんてしていない。異聞帯を滅ぼす戦いを、ずっと唯斗は直視してきた。自分が奪った命から目を逸らしてなどいない。
それなのに、それは嘘だと言われたような気がした。
恐らく、これがゴッホの言っていた、狂気に当てられる、ということなのだろう。
立香と違い、唯斗には巌窟王のような心の澱みを拭い去る存在はいない。今までそんなものは不要だった。立香ほど、唯斗の心は発達していなかったからだ。喜びや幸福を知らない分、痛みや苦しみにも耐性があった。
油断するとあの夢が再び脳裏に押し寄せてきそうで、唯斗はアーサーの首筋に擦り寄って顔を埋める。アーサーも察して、腕を差し出して枕としてくれる。
「嫌な夢でも見たのかい?」
「…そう、かも。覚えて、ないけど」
嘘だ。まざまざと思い出せる。ただ、思い出すと正気でいられなくなる気がして、唯斗はアーサーに強く抱きつく。アーサーも抱き締め返してくれて、その温もりに、ようやく息がつけた。