沈殿する澱み−10
そんな日々が1週間ほど続いたある日、唯斗はアルジュナ・オルタとともに食堂にやってきた。食事にトライしてみるためだ。
英霊やスタッフで賑わう食堂も、アルジュナ・オルタの姿に少し驚いたような気配になる。ただ、隣に唯斗がいるのを見て、さすがというべきか、それぞれの会話に戻り、一瞬で食堂はもとの喧噪に戻った。
全員こちらに意識は向けているが、腫れ物扱いするようなことが、とりわけ唯斗にとって良くないことを分かってくれているのだろう。
昼食のため、唯斗はパスタとスープ、サラダのセットを、アルジュナ・オルタはサンドウィッチを選び、それぞれトレーを持って空いているテーブルについた。
「いただきます」
「…?それは、ここのルール、ですか…?」
「や、日本の慣習だ。それぞれの宗教でも、敬虔な家庭では食事の前に簡単な祈りをすることがあるけど、それに近いな。ただ、特定の宗教的儀式ではなくて、作ってくれた人、素材となった命、それらを育んだ人や自然への感謝をする挨拶、みたいな感覚が一般的だな」
唯斗とて、日本人といえどこの習慣はなかった。そんな家庭ではなかったからだ。だが、立香、そして立香のまねをするマシュに倣い、いつしか唯斗にとっても習慣になっていた。
日本での生活経験があるというランサーあたりも「いっただきまァす!」とやかましく言うし、英霊たちの中には立香に合わせて、あるいは日本のその考え方を好ましく思って、一緒になってやっている姿を見かけることもある。
アルジュナ・オルタは少し考えてから、サンドウィッチを見つめる。
「…なるほど…仏教における、すべての命への尊敬や…西洋宗教の、神と自然の恵みへの感謝…それらともやや違う、より広範な…より社会的性質を帯びた…そういった性質のものですね…」
「そうだな、もとは仏教のある宗派の教えに端を発するとも言われる。宗教的実践ではないこと、つまり、やらなきゃいけない教えではなく、内面からの自然な感謝の気持ちの発露に重点を置いた文化的習慣であること、それが一番重要な点かもな」
「理解…しました…しかし、私の立場で…それをするのは……相応しく、ありませんね…」
かつて、一方的に命の選別を行っていたアルジュナ・オルタが、そうした感謝の気持ちを述べる様式に倣うことは相応しくない、という意味だろう。確かに、唯斗はそれを悪だと彼の地で断じた。
こればかりはアルジュナ・オルタが自分で折り合いをつけることだし、そもそもこの挨拶をするのは英霊でも一部だけだ。
「やりたければやればいいし、違うな、と思うならやらなくていい。サーヴァントたちも、多くはやらないからな。ただの文化の違いだ」
「…では、そのように」
アルジュナ・オルタはこくりと頷いて、サンドウィッチを食べ始めた。あまり見つめるのも不躾だろうと、唯斗もスープに手をつける。今日のスープはオニオンスープで、絶妙な塩加減にまろやかなタマネギの風味が美味しい。
咀嚼して飲み込んだアルジュナ・オルタに、形式的に尋ねる。
「美味いか?」
「…恐らく。私は…人間の体が持つ機能も…不要であれば削ぎ落としてきました…味を感じる機能も、不要と切り捨てたもの……マスターは、美味しいと、感じますか?」
「うん、いつも通り、めちゃくちゃ美味しい。まぁ、俺も飯がうまいって思うようになったの、最近だけどな。カルデアに来る前は、ほら、話した通りの環境で生きてきたから。必要な栄養素さえ取れるのであれば食に拘りなんてなかったし、正直、必要なければ食事なんて不要な体だったら良かった、なんて思ってたくらいだ。美味しいとかまずいとか、考えてなかった」
その点、唯斗はアルジュナ・オルタに対して偉そうなことは言えない。食事をおざなりにしてきたのは、唯斗とて同じだ。味だって、ほとんど感じていなかった。
「…美味しい食事は善で…まずい食事は、悪…?」
すると、アルジュナ・オルタはそんなことを尋ねてきた。いつもの善悪質問だ。唯斗は、今回は逆に聞き返すことにした。
「たとえばさ、もしも俺がアルジュナのために、アルジュナのことを思って飯を作ったとして、それがまずかったら、悪だと思うか?」
「……いいえ、そこにその心があるのなら…相手への好意や思いやりに基づくものであるならば…結果がなんであれ、それは、善なるもの、でしょう…」
「じゃあ、それが答えだな」
「…なるほど。…その関係性においてのみ…味を超越して価値が発生する、ということですね…」
アルジュナ・オルタは納得している様子だったが、一方で、もう一つサンドウィッチを飲み込んでから、少しだけ困ったようにした。
「味の良し悪しが、そのまま善悪ではないと、認識の修正を完了…しかし……私は味をほぼ感じない…善悪以前に…味による価値判断の基準を…持つことができません…」
この変に真面目なところは、やはり元がアルジュナであると確かに感じさせる。唯斗は苦笑して、水を一口流し込んだ。
「…俺と立香が、どちらもこのパスタを美味しいと言ったとして。俺と立香が同じおいしさを感じている保証はないだろ。感じ方は人それぞれなんだから。金持ちにとって平凡な味でも、庶民にとっては人生で一番美味しいものだったかもしれない。結局のところ、自分だけの感覚なんだから、自分にとってだけ大事なものとして考えていいんじゃねぇかな」
「…己、だけの…」
「そう。アルジュナが感じた感覚を、大事にすりゃいいよ。俺はパルメザンチーズめっちゃかけたナポリタンが好きだけど、立香はタバスコかけまくったやつのが好きだしな」
「…、分かりました」