沈殿する澱み−15


少し心が冷えるような、そんな恐ろしさにも似たものを感じてしまった唯斗だったが、本人が気にしていないのであればそこには触れないことにする。


「…なるほどな。じゃあ、俺にとってそれっぽいものって、なんだろ」

「唯斗っぽいものかぁ…歴史書…は、だめか、本の類いは式部さんの図書館に揃ってるもんな…」


立香もまずは本が浮かんだようだが、すぐに唯斗と同じ結論に至る。立香はベッドの上でしばらく考え込んでから、ふと顔を上げる。


「…やば、唯斗が何を好きか、考えてみれば分からない、かも……」

「あー、確かに俺、何が好きとか嫌いとか、あんま言ったことねぇかもな」

「あんま、っていうかゼロかも?少なくとも俺は聞いたことない。もちろん、感想とか、美味しいとか、そういうのは聞いたことがあるけど、好き嫌いってはっきり言わないもんね、唯斗は」


強いて言えばここでも歴史、と言ってもいいのかもしれないが、もはやこれはアイデンティティの領域にある。立香のように、ロボットものや機械系への憧れ、辛い味が好き、などの嗜好がそもそも唯斗にはなかった。


「…なんか、俺、欲しいものどころか好きなものすらないんだな」

「唯斗…」


ぽつりと言った唯斗に、立香はどう反応したものか、と困った様子になる。困らせたいわけではなかったため、唯斗は気づいてしまったそんな事実から目を逸らすように話を続けた。


「…まぁいいや、それはそれで。別に困ってないしな。ただ、『欲しいものが欲しい』なんて哲学的なこと言ったらカルナがまたバグるな…」

「そ、だね。とりあえず、無難に食べ物にしといたら?特別感あるけど難しくなさそうなやつ」

「じゃあ適当に菓子でも言っておくか。ありがとな、助かった」

「ううん、俺は大したこと言えてないし…」

「いや、自分じゃ落としどころ分からなかったから、立香に相談して良かった」

「…そっか、ならいいけど」


そう言って、唯斗は部屋を出ようと扉まで向かったが、そこに、立香が後ろから唯斗を抱き締める。背中から抱き込まれ、体の前に腕が回る。


「立香?」

「…唯斗は好きなものなかったんだとしても、俺はそんな唯斗のことも好きだよ」

「…人の好き嫌いの話じゃないだろ、俺だって立香のこともマシュのことも、みんな好きだし。でもありがとな、そういう優しいところは、特に好きだ」

「……」

「……」


二人揃ってそこで沈黙が落ちる。何度か立香とこういう変な空気になることがあった。
するとそこに、ひんやりと冷えた声が一つ。


「…ますたぁ様…?随分と…仲がよろしいんですね…?」

「げっ、きよひー…」

「…じゃ、俺は用事あるから」


すっと唯斗は立香から離れ、俊敏に部屋を後にする。後ろから引き攣ったような立香の声が聞こえたが、唯斗には助けられない命だった。


その日の夜、いつも通り眠りにつき、そしていつも通り、あの夢が現れた。
暗闇の中、身動きができない泥に足を取られて立ち尽くす。そこに、徐々に周囲から近づいている異聞帯の人々。再び口々に唯斗への呪いの言葉を口にするが、そこにいつもと違う言葉が混ざり始めた。


「お前なんて、空っぽのくせに」

「人間味の乏しい人間なのに」

「お前のような人間が、次のユガに行けるなんて」

「なぜ人間的に欠落したヤツが生きるんだ」


夢は自分の心を反映するものだ。今日、立香との会話で気づかされた事実が、あのときは目を逸らすことができたとしても、こうしてまざまざと繰り返される。


「…だからなんだ。俺にはアーサーがいる、立香がいる、マシュがいる、カルデアの人たちがいる。俺の欠落は俺だけに特徴的なことなんかじゃない。誰だって多かれ少なかれあるもんだ」


今日は口答えをしてみた。いや、そう口に出来ていたかは分からない。なにせここは夢、きちんと言葉を発している自覚は無かった。
それに、変に寝言を言ってアーサーに勘付かれるのも嫌だったため、極力言葉を口にしないようにしていた。今回も、言うのはこれだけだ。あとは口をつぐむ。


「『自分はそう思っている』と思い込んでいるだけだ。お前の本心じゃない」

「ッ、」

「藤丸立香はマシュ・キリエライトと生きていく。異聞帯のことも、巌窟王が緩和する。ならお前はどうだ。どちらもアーサー王がその役目を果たすのか?異世界の人間が?この戦いの果てに騎士王と生きて行ける保障がどこにある。たとえ汎人類史が戻っても、お前は一人だ。一人で、この罪と生きていく。藤丸立香を一人にしない?違う。『お前が一人になりたくない』だけだ」


立香にはマシュがいて、巌窟王がいて、唯斗にはアーサーがいる。しかし、立香はこの先もマシュと生きて行けたとしても、唯斗とアーサーもそうだという保証も確証もない。たとえ一人になってしまっても生きていくと覚悟しているつもりだが、彼らはそうではないだろうと言っているのだ。
今度は、口を開くことができなかった。言葉にしなかったのではない、言葉が出てこなかったのである。

かつて立香を一人にしない、と、第七特異点などで唯斗は立香に告げた。しかし今や、一人になる可能性があるのは唯斗だけだ。


「一人ぼっち、空っぽの人間もどき。その虚飾が剥がれたときが楽しみだ」


ヤガの一人はそう言って闇に消えていく。他の人々もどんどん見えなくなっていき、ふと気づくと、目が開いていた。
再び薄暗い天井が視界に広がり、右隣にはアーサーが横たわっている。唯斗が起きた気配に気づいたのか、目を開いてこちらを見つめる。


「…唯斗?どうかしたのかい?」

「……大丈夫、ちょっと目が覚めただけ」


唯斗はそう言いつつ、アーサーに体を寄せる。アーサーも応じて、すぐに唯斗を抱き込む姿勢に変わってくれた。
少し、記憶があることないこと想起させているだけだ。唯斗にはアーサーがいるし、唯斗はきちんと成長できている。それは疑いようのない事実だ。
そう自分に言い聞かせて、無理矢理目を閉じた。


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