沈殿する澱み−22
ヴリトラの目的が明らかになり、それでも戦わない理由にはならないと、最後にとどめを刺すための戦闘を行ってから、ようやくヴリトラを倒すことに成功した。
消失はしていないものの、ほぼ退去寸前の状態まで追い詰めると、それと同時にこの空間に閉じ込められていたものが解放される。
それはカルデアにおけるクリスマスプレゼントであり、そして、眩い光で鮮烈に空を突き刺す、輝かしい朝日だった。
神々しい朝日が雲海を照らし、雲から突き出る山々の壁面を輝かせる。静謐な冷たい空気に満ちる陽光の鮮やかさが、胸いっぱいに広がるようだった。
「う、わ…すげ……」
「うわぁ…!」
思わず唯斗も声が出て、立香も感嘆する。様々な場所で夜明けを見てきたし、それぞれにいろいろな思いを抱いてきたが、これはまた別の味わいだった。
その光景と、唯斗と立香の様子を見て、アルジュナ・オルタは微笑む。
「やはり、そうでしたか」
「アルジュナ?」
「…私が邪悪ではないと判じたのは、これも理由です。ヴリトラの、ものを堰き止める性質には、ある別の性質が付随していると感じます。人としての多くを失った、神の子である私には、なかなか言葉では言い表せないものですが…」
言葉に詰まるアルジュナ・オルタに、唯斗は近づいて、浮遊する彼を見上げた。
「いいよ、教えてくれ。俺はアルジュナの言葉で聞きたい」
「マスター…はい、ならば、言葉での伝達を試みます。そう、ですね…言うなれば、善を伴う悪…悪と、善とが、二階層になっているような……すみません、伝わるでしょうか」
「そうだな、同じ感覚になれているかは分からない。この前話した味覚と一緒だ。でも、アルジュナがそう感じたってことを、知ることができて良かった」
「…はい、それなら……」
小さくアルジュナ・オルタも微笑んだ。そして、当然のように唯斗にも聞き返す。
「マスターは、どう思われますか」
「かつて、パルティア帝国と東ローマ帝国が争ってメソポタミアが封鎖されたとき。ビザンツ帝国が滅亡して、アナトリアがオスマン帝国の領土となったとき。どちらもシルクロードは閉鎖され、欧州はユーラシア文明との繋がりを失った。その結果、前者では海の道が重宝され、結果、アラビア半島の紅海沿岸の港が重要性を増して、メッカとメディアが繁栄し、イスラームが成立するに至った。後者では、香辛料を求めて、欧州は大航海時代によって地球を一つに繋げる壮大な旅に出た」
7世紀におけるメソポタミアでの二つの帝国の戦争は、シルクロードの機能を停止させ、代わりに紅海を経由してエジプトを抜けて欧州とインド・中国とを接続することになった。その中継地であるメッカとメディアが繁栄したことで、ムハンマドによるイスラームの成立が実現した。
時代は下り15世紀、オスマン帝国がシルクロードを封鎖して欧州への物流を停止すると、欧州諸国は自らの手で貿易を行うため、ルネサンスで得た科学技術によって大航海時代を実現し、アメリカ大陸に上陸し、世界の海を一つに繋げてみせた。
「障害と成長、それは人類の歴史そのもので…きっと、人間一人一人の人生そのものでもあるんだと思う」
そんな壮大な物語は、転じて、一人一人の生き様そのものでもあるのだろう。
障害を乗り越えることで得られる成長、それが、歴史を、文明を、そして人生を、前に進めるのだ。
ゲオルギウスは趣味だというカメラで写真を撮り、二人の言葉に続ける。
「唯斗殿の仰る通り、そして、オルタ殿の感じたこととも一致するのでしょうが…つまり、ヴリトラが何かを閉じ込めたあとは、より良きものが生まれる。そういう性質ではないでしょうか」
「き、ひ、ひ。わえがそう望んだものではないがな」
『なるほど、堰き止めることでしか生まれない勢い、みたいなものが、世界には必要なんだろう』
「知るか。わえはわえじゃ。しかし…せっかくなら、乗り越えてさらに強くなってもらわねばな…弱く靱き人間よ。わえがまた次、貴様らに試練を与えるまで…決して、負けるでないぞ」
そう言って、ヴリトラは退去した。光とともに消失し、これでこの特異点での戦闘はすべて終了だ。