閻魔亭繁盛記−13
「俺やマシュは、立香のおかげで人間になれた。でも、立香は、グランドオーダーとロストベルトの旅で、時が止まったようなものなんだ。そんな立香にとっては、普通の現代人みたいな人が必要なんだよ。だから、来てくれてありがとう」
「…大正没の僕ですら現代人扱い、とはね。でもまぁ、同意するよ。マスターちゃんには、僕みたいなのが必要なようだ。でもさぁ唯斗ちゃん」
「えっ」
唐突にそんな呼ばれ方をして驚く暇もなく、斎藤は真面目な表情で唯斗を見つめる。唯斗が触れていた手は、逆に唯斗の手を握る。
「マスターちゃんはもちろんそうだけど、君はどうなのよ。つらくない、わけないんじゃない?ていうか、そんなに歴史好きなら、一つの歴史を滅ぼす異聞帯の攻略は苦しいでしょ」
「っ、」
唯斗は軽く息を飲む。頭にはあの悪夢のことがよぎったが、とっさに振り払い、首を横に振る。
「…まぁ、そりゃ苦しいし大変だけど、立香のサーヴァントにまで気にしてもらうほどじゃない。立香ほど繊細じゃないからな」
「ふーん?ちなみに僕、『そういうの』わかっちゃうんだよね。ごまかしても無駄だよ?」
しかし斎藤は食い下がる。もちろん隠しきれるとは思っていなかったが、あえてそれを追及されるとは思っていなかった。流してくれると思ったのだ。
「…分かっても言わないでくれると思ったんだけどな」
「そういう優しさを発揮するヤツもいるだろうし、僕も基本そうだけど、今は違う。君は確かに頭がいいし、マスターちゃんよりは鈍感と言えば鈍感なんだろうが、それは自分に対してもだ。人は自分が思うより、自分を理解できてないもんだからな」
自分で思うより自分を理解できていない。あの悪夢をなぜ見るのか、なぜ唯斗が異聞帯の人々の死から目を逸らしていると糾弾するような内容なのか、いまだに理解できていないという事実が突き刺さる。
それでも、話したからといってどうにかなることではない。夢魔であるマーリンであればともかく、ただの幕末の剣士なのだ。
「…本当に大丈夫だ。俺にはアーサーがいるし、他のサーヴァントたちにも、きちんと頼れる。それこそ立香みたいに抱え込まない。それで一度痛い目見たしな。だから、斎藤さんは立香に傾注しててほしい。俺のことはいいから、あんたにしかできないことを、立香にしてほしい」
唯斗は斎藤の目を見つめてはっきりと述べた。斎藤は少しだけそれを見つめ返した後、ため息をついて、握っていた唯斗の手を離す。
「…分かった。でも、どうにもならなくなったら言え。マスターともども、連れ出してやる」
「連れ出す…って、どこに?」
「どこか、ここじゃない場所。少なくとも、世界に浪費させるような真似はしねぇさ」
またも唯斗は驚いた。斎藤がそこまでマスター二人のことを思ってくれているとは予想していなかったのだ。
やはり立香のそばには、こういう人物が必要だろう。
「…うん、ありがとう。そう言ってもらえるだけで嬉しい」
「そうかい。じゃ、こんくらいにしておきますかね。あぁそうだ、蒼龍窟ってある?」
「……はいはい」
ぱっと切り替えて日本酒を要求してきた斎藤に、これが幕末を切り抜け大正時代まで生きた強さか、と思わずにはいられない。
唯斗は一升瓶を取りに行こうとして、玄関先に足を踏み出したが、その直後、濡れていたのを失念しており、つるりと滑る。
「う、わっ、」
「おっと」
後ろにひっくり返りそうになったところ、斎藤に抱きとめられる。危うく畳に尻餅をつきかけたが、難なく唯斗を抱きとめた斎藤は、唯斗の腰を支える。
「ほっそいな、大丈夫なのこれ」
するりと腰を撫でられると、作務衣の薄い生地もあって、ぞわぞわとしたものが駆けあがる。背中に感じる温もりを辿って後ろを見上げた。
「ん、ちょ、やめろ…」
「………マジか」
間をおいてから、斎藤は唯斗を立たせて体を離す。そして、興味深そうにこちらを見つめた。
「なんだよ」
「いや?さすがに男にムラっと来たのは一ちゃんも初めてだなぁって」
「もっかい水被るか?」
唯斗はため息をついて、廊下のカートに置かれた氷水の桶に入った一升瓶を取りに行く。なんだか随分と長いことこの部屋に滞在してしまったが、ようやく、僅かに胸につっかえていた斎藤とのことが解消できて、安堵していたのもまた事実だった。