永久凍土帝国アナスタシアI−2


「先ほど君は、浮上しないのではなく浮上できないのだと言ったが、それはどういうことなのかね?せっかく君を新カルデアの経営顧問にしたのだ、感謝しつつきっちり説明しなさいよ、ほんと」


どうやらゴルドルフはダ・ヴィンチを技術顧問、ホームズを経営顧問としたらしい。経営センスはまずないホームズだろうが、本人はこれでなかなか乗り気なようだ。


「浮上できない理由、それは、マイナスの世界から現実へ戻るには現実との『縁』が必要だからです。言うなればアンカー。現実に存在するものであれば、本来は何であれ『縁』となるはずです」


ホームズがそこまで話した時点で、唯斗はすべて察した。これまでたまに手伝いをする中で、シャドウ・ボーダーがどのように虚数潜航を行い、現実に戻るのか、大体の理論は聞いていた。
実数世界と虚数世界は、完全に隔てられた空間であり、虚数から実数に戻るには、実数空間との結びつきを頼りにするしかない。だからシャドウ・ボーダーは船の形を取っているのだ。アンカーによって地上と縁というロープを繋ぎ、それを使って実数空間に浮上する。

その縁が存在しない、というのは、本来ならまず考えられない。最も分かりやすいのは家族だろう。あるいは、祖国などでも座標は大まかになってしまうが可能だ。
浮上位置を正確にするには、それだけ細かく特定できるものが縁として相応しい。カルデアに出るなら、「南極」を縁にすると大陸のどこに出るか分からないが、「自室のベッド」とすれば正確にカルデアに浮上できる。


「……地表には、もう、人類史のテクスチャが存在しないってことか」


それができないということは、つまり、地表には「何もない」ことを意味する。更地になっただけなら、「日本列島」などのように指定できるはずだが、それすらできないのなら、もはや地形すら存在しない。世界の消失であり、すなわち、現実(テクスチャ)の消失だ。
ホームズは「ビンゴ」と応じる。


「さすがの理解力だミスター・雨宮。その通り、地球は漂白状態に陥っている」

「ははは、何を言っているのかねホームズ君。何もなくなったと?そんなわけないだろう。確かにあの巨大な7つの隕石のようなものが落下した場所は大変なことになっているだろうが、世界のすべての国家が、そして時計塔がなくなっているはずがないだろう」


ゴルドルフは一笑に付すが、そもそもあれは隕石ではない。アーサーが言っていた「世界そのもの」とは、こういうことだったのだろう。


「あの7つの隕石は、ある種のロンゴミニアド…『最果て』みたいなもので、あれによって地表のテクスチャが剥がされてしまった、ってことか」


第六特異点において、ロンゴミニアドは「最果て」という地表にテクスチャを縫い止めるピンのようなものの影だと発覚した。その化身となった獅子王とは、キャメロットにて最果てでの戦闘を行っている。
あれと同じような理論で、あの7つの光が地球から人類史を消し去ってしまったのだ。


「あぁ。ゴルドルフ新所長、ミスター・雨宮の言葉通りです。あらゆる国家も時計塔も、すべてが消滅した。少なくとも、あのキリシュタリア・ヴォーダイムはそう確信しているからこそ、あの宣言をしたのでしょう」

「そうか…あれは宣戦布告じゃない、勝利宣言だったのか」

「ええい、貴様らはなぜそんな話を淡々とできるのかね!」


ようやく事態を理解したゴルドルフは、顔を再び青ざめさせる。
しかし、まったく縁がない、というわけではないはずだ。なぜなら、この事態を引き起こした敵は地表に存在しているはず。
唯斗はホームズが冷静にしていることもあって、恐らくその算段をもうつけているのだと理解した。


「それで?ホームズ、アンカーに目星はついてるんだよな」

「もちろん。今君が思い浮かべているものと同じだ」

「だから冷静かつ勿体ぶるんじゃない!」


ゴルドルフがいい加減うるさいため、唯斗はホームズを見遣る。説明は経営顧問の仕事だろう。ホームズはひょいと片眉を上げてから、ゴルドルフに説明を続けた。


「アンカーとするもの。それは、我々を襲ったオプリチニキです。我々は彼らを知っている。彼らもまた、我々を知っている。であれば、我らの関係性は虚数ではありません」

「…ってことは、敵のど真ん中に出るってこと?」


ずっと黙っていた立香も、なんとなく話は理解していたらしい。実数空間に戻れると分かるのと同時に、それが敵陣に突っ込むことであるとも理解した。


「そうだミスター藤丸。だがなるべく安全なタイミングを選ぶくらいはしておきたい。ダ・ヴィンチ、そろそろ検討結果が出ている頃だろう?」

『話は聞かせてもらっていたよ!生体接続している間は、ボーダー内部で隠し事はできないと思ってくれたまえ。さて、浮上のタイミングだが、ちょうど5分後にいい波がくる。その次は10日後、その頃にはボーダーの電力は落ちている。つまり…』

「今すぐ浮上するの!?」

『いいリアクションをありがとう立香君!この波に乗れば地表との誤差は90日。地上に出た瞬間、そこは2018年4月初旬ということかな』


時間の流れのない虚数空間での移動の最大のリスクが、地表との経年差だ。今回は90日で済んだが、やはり1週間もの間潜航するのは芳しくない。
せめて、地表に出てから他の地表の情報を獲得できれば、いつ潜っても大丈夫になるはずだ。

しかし、これから出ようとしている地表はオプリチニキの本拠地である。いったい何が待ち受けているのか、地表はどうなっているのか、それはもう、この目で見るまで分からない。

すぐに浮上することが決まり、全員慌てて格納椅子を出してシートベルトを締める。


『虚数空間より浮上中。実数空間まで残り30秒。虚数潜航、終了。これより実数空間へ浮上します』


そのアナウンスとともに、船体は上昇し、実数空間へと戻る圧力が掛かり始めた。レイシフトにも似た、五感の変化だ。

ついに現実世界へ浮上する。為す術なくカルデアを脱出したシャドウ・ボーダーは、敵陣へと突っ込むのである。


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