星間都市山脈オリュンポスI−3


ゴルドルフ曰く「虎の子」だという予備令呪によって、立香と唯斗は令呪を3画分回復させた上で、オリュンポスの地に降り立った。
そうしてボーダーから2時間、都市の西端にやってきたところで唯斗は立香、マシュと離れた。わざわざ3人で行動する必要はない。とはいえ、通りを3本ほど離れるくらいで留まるつもりだ。

立香とマシュは心配そうにしていたが、こんなところで戦闘になれば最後だ。ボーダーは緊急発進ができない状態にある、可能な限り隠密行動が鉄則である。

唯斗は久しぶりにたった一人になったな、と思いながら通りを広場に向けて歩き出す。

見渡す限り、高層ビルが建ち並ぶ大都市。建物は幾何学的な形をしており、SFの未来都市のような光景が広がっている。
ビル群の向こうには、都市中枢の2000メートル近い高さの超高層ビルがあり、その頭上に巨大な建物らしき物体が浮遊している。咸陽の始皇帝の機体に似ている。

人々の格好は、概ね古代ギリシアのそれに近いものの、未来的な部分もある。男性は黒いインナーにゆったりとした布を金属で留めて羽織っている。女性も同じような服装であるが、少し男性よりも個性があった。
唯斗も同じような格好に見えていることだろう。

唯斗はとりあえず広場にやってくると、適当なベンチに腰掛けた。

現地調査をするにあたり、まず必要最低限の共通認識を持つ必要がある。怪しまれないようにするためだ。とはいえ、異聞帯の人々と同じ認識を持つのは簡単なことではない。
そこで、唯斗はしばらく人々の会話に耳を傾け、「基本的な情報をあえて尋ねても不自然ではない設定」を検討することにした。


「こんにちはメリナ、全能の神ゼウスに栄光あれ」

「ええこんにちはマノス、女神デメテルとアフロディーテに栄光あれ」

「今日は大学の講義は休みなの?」

「ああ、第五端末(せんせい)が新しい図書館を開設するらしくて」


まず挨拶、大学という教育機関の存在。学術は民間に普及しているようだ。


「まだ腕を上げたね。300年前に描いていたオリュンピア=ドドーナよりもさらに美しくなった。この短期間で目を見張る成長だ」

「忘れてくれプロコピス、神々の座す軌道大神殿ドドーナの姿を描いたものとしては恥ずべき出来だったさ」


芸術もある。一般人が嗜む領域にあるようだ。そしてアトランティス同様、この都市の住民もひどく長生きのようであり、300年を短期間と述べている。さすがにアトランティスでは、300年は長くはないが短くもなかった。
また、新しい単語が出てきた。ドドーナとは、ギリシア世界における最古の神託所のことだ。権威としてはデルフォイに次ぐ2番目のものに甘んじたが、最古のものとして当時から特別視されていた。
デルフォイの予言は主にアポロンの権能に基づくものであったが、ドドーナはゼウスの神託所として知られている。アルゴー号にも、ドドーナの木材が使われていたことから、船は予言能力を持っていたとされる。

ちらりと会話していた男たちを見れば、そのキャンバスには中央に浮遊している構造体が写実的に描かれていた。あれがドドーナであるということは、都市中央の上空に浮かぶ巨大構造体が、ゼウスたちのいる場所ということになる。


「今日も今日としてアンブロシアは素晴らしい味わいでした」

「今日も変わらぬアフロディーテ様のご加護、物資増産塔からのデメテル様のご慈愛。ああ、大いなる女神に栄光あれ!」


長寿の理由の一つであろうアンブロシアは、神々の食事を意味するものだ。飲み物はネクタールというが、ネクタールはアンブロシアに含まれることもある。
物資増産塔は、恐らく市街地のところどころに聳えている高層建築のことだろう。同じ形の建物があまり見受けられないこの都市で、同じ形のビルが一定の間隔で建っていることから、インフラ的なものだろうとは推測していた。

ある程度、会話から方向性は見えてきた。町を見渡しても、働いている人の姿が見えない。職業選択の自由はおろか、そもそも職業というものが存在していないのだろう。食糧供給はデメテルが管轄しているのだろうし、アンブロシアも先ほどの会話からデメテルの管轄のように考えられる。アンブロシアを人間が摂取しているのであれば、病などもないはずだ。アトランティスの人々も、病からはほど遠い様子だった。

文明は必ず、農業の余剰生産物の交換に始まり、それを貨幣で行うようになることで貨幣経済が発生し、貨幣経済が経済全体を高度化していく。貨幣とは価値の尺度であり納税手段だからだ。
しかし、ここでは労働がない。そもそも農業がなく、であれば余剰生産物の交換もない。すなわち貨幣もなく、貨幣がないなら価値を図る必要性もない。すべての人間が満たされて平等であるために、価値の上下を判断する必要がないのだろう。当然、この理想郷に税制もないであろうことから、まったく貨幣というものが発生する余地がなかった。

食料生産、物流、医療、そういったものが存在しないのであれば、職業も生まれず、人々は学問や芸術に耽ることになる。

いったい、この町の人々は何が生き甲斐なのだろう。

なんであれ、唯斗は動き出すことに決めた。設定が固まったからだ。気を引き締めて、住民とのコンタクトに入る。


「すみません、ちょっとよろしいですか」

「あら、なんでしょう」


唯斗はまず、若い女性に声をかけた。おっとりとした女性は、特に嫌悪感も不信感もなく応じる。


「あなた、見かけない顔ね」

「南の地区から来ています。実は今、大学の研究でフィールドワーク中なんです。よければお話をお聞きしても?」

「ええ、喜んで。学術の探究は神々の栄光を証明するもの、私でよければ」


やはり、この設定なら問題なく行けるだろう。唯斗はここまで違和感なく会話ができていることに内心で安堵する。


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