星間都市山脈オリュンポスI−5


女性と別れ、恐らくこれ以上の聞き込みは特に不要だろうと判断したところで、突然、オリュンポス全域に鐘の音が鳴った。教会のような美しい鐘の音に人々は驚きつつ、顔に喜びの色を浮かべて立ち止まり、傾聴姿勢になる。
どう考えてもこれは神に関連する何かしらの放送だ。唯斗は慌てて近くの街路樹の影に移動する。


『軌道大神殿オリュンピア=ドドーナより告げる。神妃エウロペが告げる。神託である』


ゼウスの妃の一人にして、ヨーロッパの語源となったエウロペの声だという女性の清らかな声が、都市全域に響き渡る。人々の様子からして、よくあることではないらしい。


『星間都市山脈オリュンポスに、侵入者あり。外部からの侵入者です。彼らは汎人類史、カルデアより訪れた凶猛の者たち。その存在を、許してはいけません。暴力の禁忌は、今、彼らにだけは及ばない。忌むべきカルデアの悪魔。赤き紋章を右手に持つ、邪悪の徒』


まずい、と唯斗はすぐに右手を体に前に持ってきて周囲の人々から見えないようにする。極地礼装のポケットに手を突っ込んだところで、その上に纏っているこの偽装礼装はその手を透過してしまう。見る限り、人々は肌を多く出しているため、隠すことは難しいだろう。
体全体を隠す迷彩術式はさすがに勘付かれるだろうが、右手の甲だけを隠す分には、その微細な魔力を感知できないかもしれない。
しかしそれも賭けだ。ゼウスがどの程度、オリュンポス市民を網羅しているか分からない。


『大神ゼウスは、彼らを殺せ、と仰せです』


その直後、少し離れた区画から悲鳴が聞こえ始めた。「カルデアの悪魔だ!」「殺せ!」「誰か!」という悲鳴交じりの言葉からして、どうやら立香たちはすぐにバレてしまったらしい。
近くにカルデアがいると分かったこの広場の人々も恐怖を浮かべて走り始めた。室内に入ろうとしたり、帰宅しようとしたり、分神殿に走ろうとしたりしていた。

唯斗はいったん、人々から距離を取りながら、右手を胸元に抱えるようにして走り出す。そしてビルとビルの間の路地から裏手に入った。人々の視線から外れていれさえすればいい。

すると、悲鳴が聞こえてきていた区画の方から戦闘音が響き始めた。明らかにマシュだけではない。明確な剣戟の音だが、アーサーのような円卓の騎士のものでもない。日本刀の鋭利な響きだ。
一時召喚、あるいは先行していたサーヴァントたちか、分からないがこの程度の魔力であればゼウスは直接手を下すことはないらしい。

いや、神が直接カルデアを倒すつもりなど、毛頭ないのだろう。ゼウスたちにとって、カルデアの排除はゴミ掃除のようなもの。本命は、あの空想樹を介して降り立とうとしている異星の神だ。当然だ、あの神が他の神など許すわけがない。
アトランティスのように、この都市にも兵士がいるはず。常備軍はいない環境であろうことから、予備兵あたりが市内にいるだろう。アトランティス防衛兵以上の力があるのだとすれば、サーヴァントなみの力だろうか。

つまり、ゼウスは市民そのものにカルデアを殺すよう告げたのだ。
今、この異聞帯のすべての人間が敵に回る可能性を持っている。

ならばすぐにでも立香たちに合流しなければ。


「そこの学生さん!そちらは駄目よ!」


そこに、先ほど話を聞いていた女性が駆け寄ってきた。咄嗟に、唯斗は右手の甲に迷彩術式をかけて令呪を隠す。ついでに左手の甲の魔術刻印も隠しておいた。赤くもないため問題はないだろうが、念のためだ。
何かリアクションはないかと警戒しつつも、女性に「しかし、カルデアを殺さないと」ととりあえず言っておく。


「もうそちらには多くの予備兵が向かっています。それに、先ほど青銅の巨人…神妃エウロペ様の使わす巨人の兵タロスが見えました。これ以上は不要です」


恐らく、ロードス島に伝わる「世界七不思議」の一つ、ロードス島の巨人のことだろう。ヘリオスの彫像として作られたもので、現在の自由の女神並みに大きかったとされている。
エウロペはその巨人を派遣しているのだという。

それならばより一層、唯斗は立香に合流するべきだったが、轟音が聞こえてきただけでなく、より多くの人々がこちらに向けて逃げて来ていたため、逆流することは難しそうだと判断した。


「…分かりました。僕も逃げます、心当たりはありますか?」

「こちらへ、私の住んでいる集合住宅のエントランスに退避しているといいですよ」

「ありがとうございます」


唯斗はとりあえず、女性に従って市民の一人として振る舞い続けることにした。今のところ、このごく僅かな迷彩術式によって何かが起きた気配はない。この程度ならお目こぼしをもらっているのか、本当に気づかれていないのか、それともこれから何かが起こるのか。
まだ警戒はしながらも、女性に案内された高層マンションのエントランスに入り、多くの逃げてきた市民とともに外の様子を窺った。
女性は自室に戻っていったようで、再び唯斗は一人になる。他の人々の恐怖に震える様子からは目を逸らして、立香たちの様子を窺える音は聞こえてこないかと耳を澄ました。


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