永久凍土帝国アナスタシアI−7


もとは原始的な信仰しかなかったモンゴルだが、中東を支配したハン国であるイル=ハン国が土着化してイスラームとなり、その影響を受けてヴォルガ川流域のハン国たちもイスラームとなった。ロシア大公国は敵だらけだったのだ。


「だからこそイヴァン3世は、自分たちの正当性をローマ帝国に託したんだ。そこで使用したのがツァーリ、ロシア語でカエサルを意味する言葉だ」


共和制から帝政に移行する際、ローマの政体変更を成し遂げたのはユリウス・カエサルだった。カエサルは皇帝にこそなれなかったが、息子のアウグストゥスが初代皇帝となる。それぞれ、7月と8月の名前の由来となった。
ローマ帝国後期からは、この二人の名前は称号となり、正帝をアウグストゥス、副帝をカエサルと呼んだ。さらにカエサルという称号は、欧州において皇帝を意味する言葉となり、ドイツ語ではカイザー、ロシア語ではツァーリとなったのである。

西ローマ滅亡後、西欧においてローマを継承したのが神聖ローマ帝国であるならば、東欧においてローマを継承するのは自分たちであるということだ。このとき、東ローマ帝国が一時的に衰退していたこともある。


「イヴァン3世がジョチ・ウルスの支配を脱した1480年以降、ツァーリの称号を用いる人物によって統治されるモスクワ大公国をモスクワ・ツァーリ国という。イヴァン4世は1547年に17歳でツァーリに即位した。その後すぐ、1550年代にヴォルガ川流域の2つのハン国を滅ぼして併合させ、祖父の時代から係争地だったリヴォニアを巡って20年以上にわたる戦争を起こすことになるんだけど、1560年代に入るとリヴォニア戦争が泥沼化してイヴァン4世は人間不信に陥るんだ」


唯斗の解説に、マシュも追加した。それは確かに、重要な情報だった。


「17歳で戴冠するのと同時に、イヴァン4世は最愛の妻と結婚します。名を、アナスタシア・ロマノヴナ。ロシアは父親の名前を名字にするためどんどん名字が変わっていきますが、アナスタシア妃も父親の名前はロマンといいます。ロマンの娘でロマノヴナ」

「へえ…って、あれ、カルデアを襲ったのも…」

「はい、アナスタシア皇女です。ロマンの息子を意味するロマノフ王家、そのロマノフ朝最後の一家の皇女でした」


イヴァン雷帝の最愛の妻の名前もアナスタシアであり、300年続くロマノフ朝が成立するきっかけとなった人物だ。アナスタシアの系統だったミハイル・ロマノフが、大動乱の間にモスクワを占領したポーランドを追い出し独立を保った功績からツァーリに選ばれたことで始まった。

マシュはやや暗い表情になる。


「…イヴァン4世は、祖父が併合したノヴゴロド公国をきっかけとするリヴォニア戦争で疲弊する中で疑心暗鬼になり、それを緩和させていた最愛の妻アナスタシアが1560年に亡くなったことで暴走していきます。やがて雷帝と呼ばれるほどの苛烈な政策を行っていきました」

「その一つがオプリチニキだな。貴族たちが誰も信用できなくなったことで、ロシア各地に直轄領オプリーチナを設けて、それを支配する親衛隊としてオプリチニキを設立した。アナスタシアの死から10年後、1570年にはオプリチニキによってノヴゴロド虐殺が起こり、ロシア最大の貿易都市でもあったノヴゴロドは壊滅する」


1560年のアナスタシアの死をきっかけに、イヴァン4世の人間不信は取り返しがつかなくなり、貴族の粛正も行った。それに反発する勢力によって一時はモスクワを追われるも、国民宛に手紙を発行して新聞として流布させ、自分は国民と同じく貴族に虐げられる身だと語り、国民を煽って貴族を追い詰めた。
これによってモスクワに戻ったイヴァン4世は、国民の反乱で疲弊した貴族たちに「非常大権」を認めさせ、すべての権力を自らに集中させた。

こうして苛烈な政策はさらに苛烈さを増していき、ノヴゴロドで大量虐殺を行った頃には国民の心も離れており、周辺国との戦争も膠着状態が続いた。

さらにはその人間不信はついに跡継ぎである子供をも殺害してしまい、ショックから伏せがちになり、その後、1584年に死亡する。世継ぎのフョードル1世は障害をもっていたため統治能力がなく、イヴァン雷帝によって疲弊していたロシアは瞬く間に崩壊、大動乱という内乱状態となるとポーランドやリトアニアが侵攻してくるなど内憂外患状態となった。
それを収めたのが、ポーランドを撃退したミハイル・ロマノフであり、ツァーリに選出されてからはロマノフ朝ロシア帝国が300年継続する。

こうして立香たちとロシアの近代史を確認したところで、唯斗は疑問が浮かぶ。


「…この世界は、1570年の隕石衝突でほぼ滅んでる。そして、イヴァン雷帝はヤガとなり、人類もヤガとして、2018年まで存命のままツァーリ国を維持している。てことは、ロマノフ朝は存在しないから、あのアナスタシア皇女も存在しないはずだ。カルデア襲撃のときに様子がおかしかったのはそのせいか…?」

『様子がおかしかったというのは?』


解説を聞いていたホームズが質問してくる。そういえば、ゴタゴタの中で共有できていなかった。


「カルデアを襲ったアナスタシアは、記憶が曖昧というか、自分が皇女アナスタシアである自覚はあるっぽかったけど、受け答えも茫漠としてたんだ。ロマノフ朝の存在しない、リューリク朝が続いている2018年のロシアに召喚されたからバグを起こしてる、みたいなもんなのかな」

『可能性はあるだろう。とはいえまだ状況は予断を許さない。なんであれ、カルデアをすべて凍結させただけの力を持っている以上、こちらの万全の備えをしておかなければ』


イヴァン雷帝は、アナスタシアは、いったい何者なのか。恐らくはこの空間における敵だろうが、今の戦力では到底敵うはずがない。アーサーは強いが、さすがに完全なサーヴァントとの戦闘となると厳しいだろう。
もしもこの空間にもサーヴァントが召喚されているのなら、合流できれば最善だ。


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