星間都市山脈オリュンポスII−9
「愛の神と、愛で勝負するなんてな」
唯斗は一言呟いてから、剣を構えるアーサーの腕の中に入った。懐に入った唯斗を、アーサーはかろうじて視界に留める。
剣の柄を握る両腕の間、まるで自ら抱き締められるかのように腕の中に入った唯斗だったが、抱き締め返すことはないその腕の中で、唯斗はそっと、アーサーの背中に自分の手を回す。
「ごめんな、めちゃくちゃ苦しいと思う。でも…耐えてくれ」
そうして、唯斗は治癒術式をアーサーの体全体に展開した。怪我を治すためではなく、魔力をその霊基に注入するためだ。
アフロディーテの攻撃は、魔力を霊子波として相手の脳内に送り込むこと。ならば、霊基から魔力を押し出せば、理論上は洗脳が弱まる。
しかし、体内で魔力が反発するのは極めて苦しいものだ。たとえアーサーであっても、体を生きたまま引き裂かれるような、内臓を麻酔なしにえぐり出すような、そんな痛みと苦しみが絶え間なく襲うだろう。
「ぐ…ッ、が、はッ、ぁああ、あああッ!!」
すぐにアーサーは苦悶の声を上げる。エクスカリバーはさらに刀身が揺れるカタカタという音を響かせ、アーサーは苦痛のあまりその剣を取り落とした。いや、自ら剣を手放すことで唯斗へのリスクを低減させる意図もあったのかもしれない。
そして、苦しみから逃れるように、唯斗をきつく抱き締める。サーヴァントの膂力だ、場合によっては骨が折れるため、唯斗は薄く自分の体に結界を纏わせてアーサーの圧力から僅かに逃れる。それでも、結界ごと押しつぶすかのようにアーサーは唯斗をきつく抱き締めようとしていた。
ただ、それもアーサーが戦っている証だ。魔力が反発する中で、その隙を利用して自我を乱すアフロディーテの魔力から精神の主導権を取り返そうとしている。
そこで、唯斗は自分の右腕をアーサーの口元に宛がった。アーサーはためらわずに唯斗の腕に噛みつく。
途端に、礼装ごと肌が食い破られ、鮮血が噴き出し、唯斗の顔にも僅かにかかる。10センチ以上の身長差があるため、唯斗の目線の高さくらいにアーサーの口元があるのだ。
唯斗の肩や首筋に、唯斗の右腕から噴き出した血が飛び散る。だらだらと熱い血液が腕を伝っていく。
鋭い痛みが走り、焼けるようなそれに唯斗も喉の奥で悲鳴を必死に堪える。
「ぐ…っ、ふッ、くぅ…っ!」
なんとか自分の腕にも治癒術式をかけているほか、アーサーの歯が唯斗の腕を完全に食いちぎらないように、そこにも結界を僅かに展開してそれ以上の咬合を留める。
なぜこんなことをしているのかと言えば、無理矢理こうして血をアーサーの体内に流し込むことで、唯斗の魔力を摂取させるためだ。
「フーッ、フー…ッ!」
アーサーは唯斗の腕を食いちぎらないように必死に押しとどめつつ、荒い呼吸で肩を上下させる。唯斗の血で赤く染まった口元には、肌に突き刺さる犬歯が見えていた。
ごくりと何度かアーサーの喉が鳴り、血が順調に入っていることを確認する。
だんだんと、アーサーの瞳も焦点が合うようになってきた。かなり魔力の相殺ができているようだ。
唯斗自身、この腕の痛みによって、脳に響くアフロディーテの魔力の攻撃から気を紛らわせている側面もあった。痛みで思考はクリアになり、壮絶な苦しみにあっても唯斗を守ろうと踏ん張る恋人の姿に、宇宙に浮かぶ機体が忘れた「愛」の意味を理解する。
「こんな、機械仕掛けの神に…俺とアーサーの愛が、上書き、できるかよ…!」
「…っ、」
「大丈夫だアーサー、大丈夫。お前は絶対、俺を殺さない。俺が殺させない。ルルハワで言っただろ、愛する覚悟じゃない、愛して生きていく覚悟だ。愛に付随する苦しみも悲しみも、離別も不安も、全部ひっくるめて大切だ」
キラウエアで満天の星を見ながらアーサーに告げたことだ。
アーサーは呼吸を徐々に落ち着けながら、その翡翠で唯斗を一生懸命見つめている。
「初めて俺を抱き締めてくれた、頭を撫でてくれた。母さん以外で初めて、俺が生きることを願ってくれた。カルデアで、ずっと見守ってくれた。俺が感情を育んで、人間として成長していくのを、その道のりをずっと守ってくれた。そして、どんな苦難も隣で一緒に乗り越えていくと、そう誓ってくれた。大丈夫だよ、アーサー。この愛は、どんな神にも再定義なんてできない。そういうものを、俺たちは、この旅で得ることができたんだ」
そう言って唯斗は、腕をそっとアーサーの口元からどかす。すでにその咬合力は緩んでいて、簡単に離れた。
そして、血がついたままのアーサーの唇に、そっと自分のものを重ねた。背伸びして唇を重ね、自分から舌を差し込む。魔術的には、粘膜接触による魔力供給だ。
同時にこれは、二人の愛の証明だ。
血の味がするキスに、アーサーも少しずつ応じて、だんだんと深くなっていく。先ほどの出血と合わせて、かなりの魔力をアーサーに持って行かれているため、クラクラとしてきた。
意識も朦朧としかけたが、それでも唯斗は踏ん張って、最後までアーサーの求めに応じた。
やがてついに、アーサーは完全に自我を取り戻す。がくりと力が抜けた唯斗を、今度は優しい腕で支え、慈しむように抱き締める。
アーサーの肩に顔を埋めて凭れる唯斗の耳元に、しっかりとした声で囁いた。
「…ありがとう唯斗。君が、僕を守って導いてくれたんだね。すまない、こんな血だらけに…」
唯斗は安心してアーサーに体重を預けながら、その首筋に擦り寄る。
「…いいんだ、アーサー。これくらい、すぐ治せる。魔力は、時間が経てば問題ない。本当に壊したくなかったものは、壊さないで済んだ」
「君が守ったんだよ。さすがだ唯斗、君は本当に、本当にすごいことをやったんだ。君の言う通りだった。僕たちの愛は、神なんかに負けるものではない。それを愛の神に証明して見せたのだから。さあ、守られてばかりではいられない、次は僕が君を守ろう」
アーサーはそう言って笑うと、一度消失した剣を再び構える。先ほど唯斗を殺そうとした左手で唯斗を抱きかかえると、右手に聖剣を構えてアフロディーテを睨み付ける。
いつの間にか、カリギュラの宝具によって辺り一帯はアフロディーテの干渉が相殺されていた。ホームズと武蔵も精神を回復しており、立香は倒れていたが、マシュの呼びかけで目を覚ます。
双子も最後の術式設置ポイントの敷設に成功しており、これですべての準備は整った。
あとは、あの神を撃ち落とすだけだ。