残滓と余波−12
新たに見つかった微小特異点は、どうやら美術館を中心とするもののようで、聖杯はその展示品として扱われている、ということがダ・ヴィンチの観測で明らかになった。
戦闘というより工作に重きが置かれるであろうことは事前に予想できたため、マスターも二人体制で赴くことになる。
そこで、立香は偶然居合わせたメンバーである天草、ボイジャー、荊軻を、唯斗はサンソンを伴ってレイシフトを実施する。
そうしてやってきた欧州のどこかの特異点、見慣れない美術館でまず探索を行い、やはり聖杯は特別室で保管され、さらにサーヴァントが3騎召喚され保護にあたっていることも明らかになった。
少し事前の想定よりも厄介だ。
サーヴァントとの戦闘があるなら客がいなくなった閉館後ということになるが、セキュリティは魔力探知、ソウルイーターを連れた重武装警備員、高度な結界術式、そしてサーヴァント3騎という代物だ。
工作も戦闘も、ということになる。
その夜、天草は考えがあると一人で美術館に侵入。返り討ちにあい戦闘能力をほぼ奪われただけでなく、しこたま立香に怒られていたものの、聖杯そのものが、聖杯を奪おうとするための戦闘を拒絶しこちらのサーヴァントをひどく弱体化させることも判明した。
ここまで堅牢なセキュリティともなれば、全員で挑んでも聖杯には辿り着かない。
そして翌朝。
「ということで、戦わずに聖杯を手に入れるには、方法は一つ。そう、盗むのです!」
「…サンソン、あれは……」
「…、ノーコメントで…」
天草はなぜか、スーツにシルクハット、赤いストールに杖までもってコッテコテの怪盗霊衣になっていた。形から入るにも程がある。
立香は引いているし、荊軻は「若いからな、うん…」と憐れむように見ている。唯斗とサンソンも言葉が出てこなかった。
そんな周りなどまったく歯牙にもかけず、天草はにこやかに今後の方針を決定する。
「まず荊軻、あなたは気配遮断で引き続き館内を調査してください。巡回経路など何か気づいたことがあれば共有を」
「分かった」
「サンソン、あなたは休暇中の医者のフリをして美術館周辺から聞き込みを。大事なことは、医者であろうとすることです。自分で思い込ませないとバレます」
「なるほど、了解した」
「マスターとボイジャーは兄弟です。英雄好きの弟に仕方なく付き合っているお兄ちゃんという体裁で。マスターの髪の毛は金色に染めましょう」
「え、それなら唯斗がお兄ちゃん役のが良くない?」
いくら暗示魔術があるといえど、確かに顔立ちという点でも、フランスの血が混ざる唯斗の方が似せられるかもしれない。とはいえ、唯斗は天草の意図をなんとなく理解する。
「…俺とボイジャーであの美術館回ったら、任務のこと忘れて没頭しそう」
「ふふ、そうだね。ぼくもきみも、えいゆうにはくわしいからね」
「もちろん、契約サーヴァントと立香が一緒にいる必要があるってのも大いにあるけどな」
「その通りです。唯斗さんとボイジャーでは、少し目立ってしまうかもしれません。学芸員顔負けの話をしながら回ってしまいそうですし。マスターの身の安全ということもあります」
その天草の返答に、唯斗はそういえば、と思い至る。
「それなら、俺はそれこそ学芸員として潜入できねぇかな」
「なるほど、それは妙案です。となると、学芸員として応募…いえ、それだと時間がかかりますか。インターン…募集しているか調べなければ」
「や、ここは権威を借りよう」
唯斗はサンソンに視線を向ける。
「サンソン、先に美術館内部で、ルーヴル美術館がちゃんと存在しているか聞いてきてくれ。存在しているなら、俺はルーヴル美術館所属の学芸員という設定で、正面からアポを取る」
「承知しました。確かに、世界最高峰の美術館の学芸員を無碍にする美術館など世界に存在しませんからね」
世界三大美術館といえばニューヨークのメトロポリタン、サンクトペテルブルクのエルミタージュ、そしてパリのルーヴル美術館だが、ルーヴル美術館は別格だ。
博物館を含めて考えても、大英博物館とルーヴル美術館の学芸員は、全世界の美術業界においてトップクラスの人材となる。次点としてメトロポリタンやエルミタージュ、ベルリンのペルガモンやワシントンのスミソニアン、台北故宮博物院やエジプト考古博物館といったところか。
天草も唯斗の考えには同意するようだ。
「いいですね、それなら美術館の裏側にも入っていけます。特異点である以上、本物のルーヴル美術館と連絡を取ることはできませんから、そこはカルデアに電話番号を繋いでしまいましょう」
「デオンに電話させて、裏を取ってもらおう。そうだ、ダ・ヴィンチ、聞こえるか」
唯斗は通信でダ・ヴィンチに呼びかける。すぐに、通信からはクリアな少女の声が聞こえてきた。
『はいはーい!面白そうな提案だね』
「そこでダ・ヴィンチ、ボーダーの演算担当とはいえ元はあのレオナルド・ダ・ヴィンチである以上、当然、ダ・ヴィンチとしての絵は描けるよな?」
『そりゃもちろん。でもいきなり絵画って信じてもらえる?ルーヴル美術館の目録にないものとなると怪しまれないかな』
「いや、新しく発見された素描数点ということにしよう。ダ・ヴィンチの完成品じゃないものが新たに発見され、ルーヴル美術館で調べたところ本物だと断定されたっていう体裁だ。それをこの美術館に貸与する代わりに、この美術館にあるものをパリで展示する特別展の交渉に来た、って感じでどうだ」
素描とは、平たく言えば下書きのようなものだ。しかし、西洋美術においてそれは特別な意味を持つ。
単なる下書きなどではなく、素描はその画家の力量や思想が最もダイレクトに現れるものであり、「自然を父とし素描を母として、その子に彫刻や絵画がある」と言われるほどのものだ。
ダ・ヴィンチの素描は、フェルメールなど近代後期の有名画家に比べて相対的に多く残っている。そのため、そこまで価値が高い、というものではないが、新しく見つかったという点と、有名な既存絵画の構想案を兼ねているものなら価値は跳ね上がる。
絵はがき程度の小さなものですら、その条件を満たしているとそれだけで特別展を開けるほどだ。
『いいね!どうせならモナ・リザいっちゃおうか!あとはやっぱ聖母子像とか、マキャベリに依頼されたもののできなかったやつとか!』
「マキャベリのはあれだ、それが存在すると特異点になりかねないから完成品だけにしてくれ…」
いまいち自分の影響力が分かっているか分かっていないのか微妙な人だ。
とりあえず楽しそうにしているので、すぐに仕上げてこちらに転送してくれることだろう。あとは、サンソンの報告を待って、ルーヴル美術館の学芸員に扮して美術館に潜入する。
思いのほか、楽しそうだと思ってしまっている自分が隠せなかった。