永久凍土帝国アナスタシアI−13
ヤガ・ジェメンスクにて、一行はベオウルフ、ビリーと合流し、この土地に呼ばれたはぐれサーヴァントである彼らと同盟を組むことになった。
叛逆軍との全面的な合流ではなかったのは、ベオウルフたちの元に集ったヤガが完全な強者至上主義だったからだ。
アタランテの叛逆軍は、弱いが故に集った者たちであり、相反する立場なのである。
そのため、同盟という形に抑えておき、ビリーだけを連絡役としてカルデア側に同行してもらい、ベオウルフはジェメンスクに残った。
また二日かけて砦に戻り、今後は準備をしてから首都ヤガ・モスクワに進軍することになったものの、砦に帰ると問題が発生していた。
『食料が枯渇、ですか?』
通信でカルデアも交えて幹部会議を開くと、真っ先にアヴィケブロンが悪い知らせを教えてくれた。
どうやら食料庫がオプリチニキに発見され、貯蔵がゼロになってしまったらしい。
「今から我々で狩りをするには間に合わない。どうする」
アヴィケブロンが淡々とアタランテに尋ねる。アタランテは逡巡ののち、極めて言いにくそうに重い口を開いた。
「…仕方在るまい。親皇帝派の都市ヤガ・スモレンスクから食料を強奪する」
「な…っ、」
立香は驚いて反論しようとしたが、すぐにやめた。この砦の状況も、ヤガという生き物の燃費の悪さも、置かれた状況の悪さも、すべて理解しているからだ。
ぐっと拳を握ったのは立香だけではない。アタランテも、苦渋の決断として理解していた。
「…悪手であるとは分かっている。だがこればかりはもうどうしようもない。しかし市民への危害を加えず、必要な分だけを奪うという方針を厳として兵士たちに伝える」
スモレンスクはパツシィの故郷だ。さすがにパツシィも浮かない表情をしているが、彼もこれが必要なことだと理解しており、この場はスモレンスク急襲で方針が決定された。
準備のためにいったん会議室を出て、雪の舞う砦の通りに出る。ため息をついたパツシィに、マシュは気遣わしげにするが、パツシィは「気にするな」と言った。
「元から捨てた故郷だしな。それに、手心も加えてくれるって話だし」
「…さて、そううまくいくかな?」
「なんだよ、アヴィケブロン」
パツシィに対して、淡々とアヴィケブロンは懸念を口にした。それは唯斗も同じ意見だった。
「このような略奪が、過去現代照らし合わせてすんなりとうまくいった試しはない。最悪、小競り合いからの虐殺も覚悟して置いた方がいい」
「虐殺!?」
『でも、そんなことが…』
「あり得るよ、マシュ、立香」
唯斗の言葉に、立香は途端に不安そうにした。パツシィも表情を曇らせる。
ビリーやアーサーも同じ意見のようで、難しい顔をしていた。なんとかして虐殺にならないよう、彼らはヤガを抑えるための方法を考えてくれているのだろう。
「アメリカ独立革命は、レキシントンでの一発の銃弾から始まった。緊張状態にあったイギリス軍が、幸か不幸か一発の銃弾を撃ってしまったことからレキシントン=コンコードの戦いが始まって、アメリカは独立を迎える。柳条湖事件も同じだ、日本軍の一発の銃弾が15年に渡る泥沼の日中戦争を起こした」
「たった一発の銃弾…」
どちらももたらされた結果は極めて大きなものだった。その始まりがただ一発の銃弾であったということに、立香はいまいちピンときていない。
「1994年、ルワンダは最大民族のフツ族と少数派のツチ族とで緊張状態にあった。もともと、ベルギーの植民地支配において、ツチ族が現地政府を担い、フツ族を支配していて、独立してからフツ族が政権を取ったことで立場が逆転、植民地時代の禍根が徐々に表面化しようとしてた。そんな中で、フツ族の大統領を乗せた飛行機が撃墜され、前々から民族浄化を準備していたフツ族政府はツチ族の虐殺を開始した」
『ルワンダ虐殺、ですね。確か、ルワンダ総人口の1割から2割が虐殺されたと…』
1994年という現代において発生した、人類史においても最も度しがたい出来事の一つ、それがルワンダ虐殺だ。
周到な武器の準備と、ラジオによるヘイトスピーチによって、フツ族のツチ族への敵意は強烈なものになり、それを政府が組織的に支援したことで、隣人が隣人を殺すというルワンダ虐殺が発生した。ルワンダ人男性の1割が殺害に加担したとされる。
「本来、人が人を殺すというのは極めて大きなストレスを発生させるから、人間は本能で他者を傷つけ殺すことを恐れるようにできている。なのに、ルワンダ虐殺では市民が市民を、隣人が隣人を殺し、しかもより凄惨な殺し方が好まれた。そういう雰囲気だったんだ。国全体が、そういう熱に浮かされていた」
「…そっか、もともとそういう対立感情があったところに、きっかけと武器が与えられて、しかも周りもみんなが殺しに加担してる…そういう状況だと、どんどん暴走していくんだね」
「あぁ。犠牲者の8割は最初の6週間で殺害されてるからな、とてつもないスピードだ。最終的に、80万人から100万人が殺害されたとされてる」
「な、なんだそれ、そんな数の人間が殺される虐殺なんてあったのか、あんたらの国では」
パツシィは愕然と唯斗の話を聞いていた。だが、それこそイヴァン雷帝が1570年に行ったノヴゴロド虐殺でも2万人が殺害されている。
アヴィケブロンも頷いた。
「そう、虐殺とはそういうものだ。条件が揃っていれば、一気に燃え広がるものだ。今回も、ヤガ・スモレンスクに対する敵意や富が集まっていることへの妬み、憎悪、そういったものがこちらにすでに用意されてしまっている。これを御するのは難しい」
「そこにオプリチニキが入ってくれば、市民を全員殺すオプリチニキとこちらの戦闘とで一般市民が巻き込まれる可能性が高くなる。最悪の可能性だな」
「唯斗君の言うとおりだ。私としては、オプリチニキの排除に注力することを提案する。市民を助けられる者が一人もいなくなってしまう状態は避けなければ」
アヴィケブロンはゴーレムによって、虐殺が発生することを防ごうと考えているようだ。オプリチニキをゴーレムとカルデアで抑えつつ、虐殺に発展しそうな暴力を即座に潰す。
「…アーサーも頼む、場合によっては叛逆軍側のヤガを気絶させても構わない」
「もちろん。この剣に誓って、虐殺なんてことは起こさせないとも」
アーサーは微笑んで応じた。このロシアでは、あまりアーサーと話せていないが、それでもやはり、傍にいてくれるだけで落ち着きようがまったく違う。
そして、この虐殺の懸念からもそうだが、やはりこれまでの特異点探索とは異なる戦いであることが明らかになってきた。
いや、もう気づいている。直視できていないだけだ。まだ直視できないでいる唯斗や立香を、アーサーは何も言わずに見守ってくれていた。
直視するには、この事実は、この戦いは、あまりに残酷すぎる。