永久凍土帝国アナスタシアII−12
崩壊した宮殿を走り抜けて、アーサーと唯斗は空想樹が間近に見える雪原にやってきた。前方では、いよいよ雷帝が立香たちと向き合おうとしている。
雷帝の本体は3メートルほどはあり、象と人の混ざったような姿をしていた。
アーサーは立香のすぐ隣に雪を舞わせながら着地した。唯斗もアーサーの腕から降りる。
「無茶しすぎだ」
「いつものことだよ」
「まったくな」
軽くそう言ってから、立香とマシュ、唯斗はイヴァン雷帝と向き合う。唯斗たちの前で立ち止まった雷帝は、こちらに静かに問いかけた。
「人理を剪定する者よ。余は、問わねばならぬ。この世界を束ねていた者として。どうか真摯に応えて欲しい」
「…聞かせてください」
立香も、何を問われるか分かっていながら雷帝に返す。雷帝は、ついにその問いを口にした。
「なぜ、世界を滅ぼそうとする?貴様らの世界に、その価値が本当にあるのか。この世界の人間を、一人残らず殺戮してまで!」
「…、それは…っ、」
「マスター……」
立香は言いよどみ、マシュも視線を落とす。雷帝はなおも尋ねる。
「余は覚悟を問う。お前の世界をお前が救うということは、この
異聞史を破壊するということだ。故に糺す!貴様らにその権利があるのか!この大地に住むヤガたちに、『死ね』とお前は命じるのか!」
「…っ、」
「答えが出せぬということはそれが答えだ!」
イヴァン雷帝が突きつけたその現実は、この戦いの本質だ。
世界と世界の生存闘争、その敗者はすべての文明、人類とともに消失する。立香もマシュも、まだそれに気づいたばかりで、答えは出ていない。いや、もしかしたら、この先もずっと答えは出せないのかもしれない。
ならば、せめて唯斗は雷帝に返すことにした。たった一つの正解など存在しない問いかけだからこそ、唯斗も今ここで答えるのだ。
「誰にもそんな権利はない。誰も、人を殺すことに正当な理由を持ってはならないからだ。それは今、俺たちの世界では国家のルールでもある。もはや汎人類史の2018年において、国家は戦争という手段を取ることが原則として禁止された。そういう世界のルールができた。世界を巻き込んだ大戦争で、4000万人が命を落としたからだ」
「………」
4000万、その数は16世紀を人口のピークとする異聞帯の人間には理解できない数だろう。当時の世界人口は概ね5億人前後だと推計されているため、世界の総人口の1割に当たる数が死んだ現代の戦争などイメージできないはずだ。
「…死んでいい命なんてない。価値を値踏みされていい命なんてない。だから俺は、異聞帯の世界を滅ぼすことに、理由も正当性もつけない。そんなものなしに、俺はこのロシアを滅ぼす。すべてのヤガを殺す結末を選ぶ。理由をつけてしまったら、ヤガも、あなたも、このロシアも、滅びていいものだったことになってしまうから。だから、正しいから続くんでも、間違ってるから滅びるんでもないんだ。俺はそう思って、この世界を剪定する。自分が奪ったものの重さが、この先自分をひどく苦しめて呪うことになったとしても。それが、世界に無理矢理押しつけられた損な役回りだったとしても。少なくとも俺は、その覚悟をもって、あなたを超えていく」
「唯斗……」
「唯斗さん…」
立香もマシュも呆気にとられたようにした。すでに唯斗がそこまで考えていたことを今初めて知ったからだ。
「…そうか……そうか、ならば、余も戦おう。ツァーリとして、この異聞帯の王として、易々と超えさせはしない…!」
「アーサー、まだギリギリ、令呪の力は残ってるな」
「あぁ。短期決戦だ」
アーサーは聖剣を構えて雷帝と対峙する。一方、立香は迷っていた。唯斗はその背中を軽く叩く。
「いいよ、覚悟が決まってなくても、このロシアを滅ぼすことに躊躇いがあっても。覚悟がないから戦っちゃいけない理由なんてない。少なくとも、守りたいものはあるだろ、立香も、マシュも」
「っ!うん…俺は、まだ覚悟ができてない、んだと思う。でも、戦える。俺には、守りたいものがあるから」
「マスター…はい、私もです。マシュ・キリエライト、シールダーのデミ・サーヴァント。私の盾は守るためにあるのです…!」
すでに雷帝は死に体だ。体力は尽き、あと僅かしか生きられない。
アーサーとマシュの2騎で十分なほどだが、それでも余裕はなかった。なぜならこのあとは、いよいよアナスタシアとの最後の戦いが控えているのだから。
アーサー、マシュが立て続けに攻撃を畳みかけると、雷帝は避けることもできずすべてを受けていく。それでも、反撃で繰り出した大ぶりの打撃はマシュを軽く吹き飛ばし、アーサーも高く空中に飛んで衝撃をいなすほどだった。
雷帝はアーサーに問いかける。
「異世界のアーサー王よ!なぜそなたも異世界の者でありながら汎人類史に手を貸す!」
「すまないが、高尚な理由などないよ」
アーサーはそう言って、着地した地面を瞬間的に蹴って雷帝に接近し、思い切りエクスカリバーを叩き付ける。衝撃で雪が激しく舞った。
腕で目元を庇いながら、視界を強化して様子を窺う。
「ただ、最愛の人を失うことが耐えられないだけさ。自分の弱さを、この強食のロシアで知ったからね。最愛をなくすことの耐えがたさを、君はよく知るだろう、雷帝よ」
「っ、あぁ、あぁ!そうだとも!私はイヴァン4世、雷帝がごときツァーリ!王妃を亡くした悲しみに囚われ、無辜の民を傷つけるしかできなんだ皇帝なり!!!」
直後、エクスカリバーは雷帝の眉間を切り裂いた。一際大量の血が迸り、雷帝は膝を着く。
「ここ、までか…」
「…あなたはそれでも、偉大な皇帝だったよ」
唯斗の言葉に、雷帝は自嘲気味に笑う。そして、今度は立香に目を向けた。
「……確かに、貴様には、覚悟がなかった…だが、そこには、もうヤガがなくしてしまった、憐憫が、哀しみがあった……あぁ…そうだ…アナスタシアも、そのような女であった……そうか…生きるつらさではなく、他者のために泣く『余分』こそが…大切だったのだ…それがなかったから、この世界は……」
雷帝の巨体は、端からボロボロと崩れ始める。アーサーは剣をしまい、マシュも立香の隣に戻る。
「…貴様らの、勝ちだ…自分で認められずとも…余が、認めよう……」
その言葉を最後に、イヴァン雷帝は消失した。