無間氷焔世紀ゲッテルデメルング−1
空想樹の伐採と同時に、ヨーロッパ・ロシアを覆っていた嵐の壁も消失した。
これにより、現在シャドウ・ボーダーは通常の陸路で移動している。
そこにはなんの障害物もない。
見渡す限り一面の、白い世界。雪景色ではない、文字通り、白紙化した地球だ。
大気組成は変わらないものの、地表は完全に白い砂のようになっており、風によって直線的な模様が形成されている。地球を覆っていた地形、水、川、湖、山、都市、すべてが消失し、白い砂のようになり、最も標高の高いヒマラヤですら1000メートル程度にまで質量を喪失させていた。
そして、空想樹伐採から一日が経過した頃、かろうじて残っていたロシア異聞帯も地表から消失した。雪原も険しい山も、廃墟と化したモスクワもすべてが、どこまでも同じ白い景色になった。いや、戻った。
そんな平原を西に進むシャドウ・ボーダーに通信が入ったときは、あのホームズですら動揺していた。とてもこんな景色の中に通信を発せられるものなど存在を仮定できなかったからだ。
通信主は彷徨海、バルトアンデルス。魔術協会を構成する3つの組織のうち、時計塔、アトラス院ともう一つが彷徨海だ。
時計塔は西暦以降の現代魔術を扱い、魔術協会の最大派閥となっている。アトラス院は、未来の人類の滅亡を防ぐために兵器開発や技術革新を行う錬金術師たちが集まる場所だ。
そして彷徨海は神代の魔術を追求し、現代文明のすべてを否定する。
彷徨海の最大の特徴は、場所が分かっていないことだ。一説には、北海の中にある島であるものの、彷徨海周辺海域のみが時空から切り離されており、まさに移動する特異点のような状態になっているらしい。
そのために白紙化を免れ、こうして通信が送られている。
ブリーフィングの時間となり、ホームズはペーパームーンが映し出す地図を前に喋り始める。
「さて、彷徨海が示した座標はノルウェー西方沖。そこに向かうルートは二つ。スカンジナビア半島を横断するルートと、ポーランド、ドイツ経由で北海に出るルート。ダ・ヴィンチはどちらがお勧めかね?」
『海路はお勧めできないな〜。ボーダーじゃドーバー海峡くらいしか渡れないし、今の地球の海がどうなってるかも分からない』
単純な距離で言えば、ポーランド北部からドイツ北部を抜けて、ドイツ北西のニーダーザクセン州沿岸から北海に出るのが最短だ。
一方、ギリギリまで陸路で行くのであれば、ここから北西に転回して、サンクトペテルブルクがあるロシア北西イングリア地方を抜けてフィンランドに入り、さらに北へと回ってスカンジナビア半島に入るルートがある。
しかし、スカンジナビア半島には大きな問題があった。
あの嵐の壁が、スカンジナビア半島を取り囲んでいるのだ。それはつまり、北欧に異聞帯が出現しているということ。さらに言えば、英国にも同様に異聞帯があるらしく、北海ルートは様々なリスクがあり得る。
ホームズも同じ見解のようで、肩を竦める。
「やれやれ、休みなしで第二の異聞帯か。いいですね、新所長」
「…仕方あるまい。休みなしで半島に入るまで二日、それまで十分に準備をするのだ!ムニエルは遮蔽物があればボーダーを止めてメンテナンス、ダ・ヴィンチはデミ・サーヴァントの調整、ホームズは私と独房だ!そろそろ目を覚ます頃だろう。すべて吐かせてやる、私の華麗な誘導尋問でな!」
どうやらゴルドルフとホームズは、これからカドックの尋問を行うらしい。それを聞いて、立香も名乗り出る。
「俺も行きます」
「フン、重苦しい顔をしおって。適材適所だ若造、私もあまり向いてないが、貴様はもっと向いていない。まぁ任せておけ、ヤツもひねてくれていようが育ち盛りの若者、とろっとろのカルボナーラであの陰気な顔をひまわり色に変えてやるわ!」
ひょっとしてこの人、いい人なのではないか。少しそんなことを思い始めた、そのときだった。
突然、デッキにけたたましいアラートが鳴り響く。アーサーはすぐに臨戦態勢になり、焦ったようなダ・ヴィンチの声が響く。
『現在、時速90キロでボーダーの左舷に食いつこうとしてる移動体を確認!ムニエル君、アクセル!』
「無理だ!ここからは上り坂になる、これ以上スピードは出せない!」
現在はスモレンスク高地だった場所に差し掛かっており、かつての高地の面影はないながらも、やや勾配のついた坂道になっていた。
『あわわ、熱源反応確認!これは…RPGだ!』
直後、爆音とともにボーダーに衝撃が走る。
ロシアの兵器、携帯式対戦車グレネードランチャーだ。
「時速90キロで対戦車砲当ててくるとか、向こうも戦車か!?」
唯斗はこの状況で軍隊が残っているのかと驚くが、ホームズは泰然としている。
「損傷は軽微、装甲板を貫通してはいません。表面が焦げ付いた程度でしょう」
「いや装甲板が1枚剥がれてるぞホームズ!連発されたらまずい!」
「…え、本当に?」
新所長を安心させるように言ったホームズだったが、ムニエルに否定されポカンとする。
今はとにかく防御と迎撃だ。このボーダーの魔術装甲にダメージを与えたなら、グレネードランチャーにも魔術効果が付与されているはず。
「マシュのシールドで防ぐしかない、俺とアーサーで甲板に出る!」
「はい!」
『振り落とされないように!ムニエル君も操縦でなんとかする必要はないから、とにかく安定させて!』
唯斗とアーサーは急いで上部の甲板に通じるハッチを開けて外に出る。車内ではマシュが武装してシールドを用意しているだろうが、次の一発には間に合わない。