始まりの惨劇−8
ようやく地下の格納庫に到着すると、そこには巨大なコンテナがあり、小さなタラップが据え付けられた扉には立香たちの姿があった。
唯斗はアーサーの腕から降りてコンテナへと向かう。
「唯斗!良かった…って怪我してる!?」
「大丈夫だ!それよりこれで全員か!?東館で10人近くが、多分…でも残りの人たちは」
「うん、大丈夫!」
立香とマシュ、ダ・ヴィンチとともにコンテナに乗り込もうとしたが、そこにアナウンスが入る。それは機械音ではなく、男性の声。
『や、やめろぉ!来るな!わ、私を誰だと思っている!?ゴルドルフ・ムジークだぞ!?誰か、誰かいないのか!!』
「なんだゴルドルフの野郎じゃねぇか!ほっとけ、行くぞ!」
コンテナの中から、スタッフの一人・ムニエルが声をかける。しかし、案の定、立香とマシュは迷っていた。ダ・ヴィンチもこればかりはと二人を諫める。
「私も今回ばかりはムニエル君に賛成だ。この状況では助けられない」
「でも…」
それでも立香たちが迷っているところに、アナウンスからのゴルドルフの声が続く。
『いつもこうだ、いつも最後に裏切られる!どこに行っても私はのけ者だった、敗者だった、つまはじき者だった。知っているさ、嫌われ者だというくらい!だがどうしろ言うんだ!嫌われる理由も、好かれる方法も分からない!』
悲痛な叫び声の合間に銃声が響く。なんとか魔術で弾いたようだが、跳弾したのか痛みに呻く声がする。
『ひっ、くそ、今まで何もいいことがなかったのに、やっと、やっとここで成功できると思ったのに…!ちくしょう、ちくしょう!死にたくない!だって、だってまた、一度も他人に認められていないんだ!まだ誰にも、愛されていないんだよ…!!』
きっと、ゴルドルフは、唯斗が自分を見ているようで嫌だったのだ。自分と同じような境遇だったはずなのに、人理修復という功績を成し遂げたことが憎かったのだろう。
だがそれはゴルドルフの都合。こちらには、こちらの都合がある。
「…行こう、マシュ。唯斗も大丈夫ならお願い。もう、あの台詞は裏切れない」
「はい!マスター!」
「…そうだな」
オルガマリーの最期と同じ言葉を叫んだゴルドルフ。そんなことは彼はつゆ知らず言ったのだろうから、彼を助けるのは、こちらの心の問題だ。
立香とマシュに続いて唯斗も走り出すと、何も言わずともアーサーもついてくる。ダ・ヴィンチも一緒だった。
「すまないムニエル、ホームズに待つよう伝えてくれ!この万能の天才もついていくんだ、騎士王と合わせればまったく問題ないさ!」
「戦闘は私が主に引き受ける、ダ・ヴィンチ女史は藤丸君たちと新所長の救出に専念してくれ」
「了解したよ」
体が本調子ではないマシュは戦えないため、戦闘はアーサーが主軸となる。アーサーも現在はかろうじて現界を保っている状態であるため、魔力を伴う攻撃はできず、その剣戟だけで戦闘することになっていた。
唯斗は走りながらダ・ヴィンチに声をかける。
「ダ・ヴィンチ、あの敵兵の情報は?」
「あれはコヤンスカヤ曰くオプリチニキとのことだ。オプリチニキは…ああ、君には語るまでもないね。むしろ、あのサーヴァントについて君はどうだい?」
「あれはロマノフ朝最後の皇帝一家の娘、アナスタシアだそうだ。本人が肯定していた…けど、なんでサーヴァントになれたのかは分からない」
「20世紀初頭の人物か…李書文ならまだしも、ただの皇女様が英霊にねぇ…」
ダ・ヴィンチとの情報交換はそれで終わった。互いに多くを語る必要がないからだ。本当は立香たちとも共有しておきたかったが、全速力でゴルドルフの元へ向かうべき今はできない。
オプリチニキは、イヴァン雷帝麾下の親衛隊のことだ。正確にはオプリーチニクの複数形であり、皇帝直轄領を治めるために様々な階級から集められた者たちを意味する。
13世紀のモンゴル帝国によるロシア支配以降、ロシア地域のルーシ民族はモンゴル系のタタール人に支配される「タタールのくびき」と呼ばれる状態にあった。タタール人からルーシ人の支配権を取り戻そうと戦ったのが、モスクワ公国とノヴゴロド公国であり、連合した2国は戦争の末についにルーシ系の支配を取り戻した。
それを実現したイヴァン3世の子、イヴァン4世は初の「ツァーリ」として戴冠を受け、モスクワ・ロシアの皇帝として即位した。
イヴァン4世はその治世下において、現在のエストニアとラトビアにあたるリヴォニアを巡る周辺諸国との戦争で失策を重ね、疑心暗鬼を募らせ、やがて大粛正を行った。そのツールとして使われたのがオプリチニキであり、ノヴゴロド虐殺などの残虐な行為で知られる。その苛烈な恐怖政治から、雷帝とも称されるのだ。