人生のともしび−5


秋の入り口、まだ残暑のある9月後半ごろ。
夏雄に相談したいことがあるとチャットで言われた応利は、実習で帰りが遅い冬美に代わって夕食を作る日に時間を取った。

この日はカレーのため、さっと作って煮込む段階になれば手が空く。燈矢に調理器具を洗うのを任せ、応利は夏雄の部屋にやってきた。


「夏雄、入っていいか」

「うん、大丈夫」


襖越しに了承を聞いて室内に入る。勉強机に向かっていた夏雄はこちらを見上げるが、すでに180センチを超えている身長のため、そんなに見上げられている感覚にならない。
バスケ部で鍛えた体も相まって、本当に高校生か疑わしいほどだ。炎司の血をかなり濃く継いでいるが、個性はこれで冷のものというのが不思議である。


「それで話って?」


立ったまま切り出すと、夏雄はペンを置き椅子を回転させてこちらに向き直る。


「進路のことなんだけどさ。進学しないで就職した方がいいかな」

「なんでそう思ったんだ?」


どうやら進路相談だったようだ。確かに、高校2年の2学期となれば本格的に考え始める頃合いだ。
東京などに比べれば進学率はやや低いものの、それでも就職は少数派となる。応利が理由を尋ねると、夏雄は少し答えにくそうにした。


「家のこと、手伝った方がいいんじゃないかなって思って。姉ちゃんが教師やりながら母さんや焦凍のこと世話すんのってどうなんだろって…」

「そういうことだと思った。もう冬美にはもう相談したか?」

「うん。その必要はないって。でも本当にいいのかなって思ったから、応利君にも聞いてみた」


そんなことを相談されれば冬美が気にするなと言わないわけがない。だからこそ夏雄は、より中立の意見を聞くために応利に相談したのだろう。
本当にいい子だな、と思いつつ答える。


「まず大前提として、就職するのが希望なら止めない。でも、『そうしたい』じゃなくて『そうしなきゃ』なら話は別だ。夏雄はどうしたいんだ?」

「…、進学して、福祉の勉強したい」


思いのほか早く自分の希望を言ってくれた。夏雄の優しさなら、「家族のためになるのも俺のしたいことだから」という論法を使う可能性もあった。
それをしなかったのは、ある程度、応利や燈矢のサポートを受け取る中で安心感を得ていることの表れだ。それに安堵しながらも、言葉は選ぶ。


「そっか。やりたいことがあるなら、そっち優先した方がいい。冬美は教師になりたくて進学したのに、夏雄は進学を諦めるなんてことになったら、その方が冬美のことずっと追い詰めるぞ」

「…確かに」


すでに冬美は進学して自分の道を進み、その傍らで家のことをやっている。夏雄だけ自分の道を諦める必要はない。


「もちろん、冬美の進学はお手伝いさんがいなくなるより先に決まってたし、当時は俺もここに住んでたから、条件は違う。でも同時に、みんな手がかからなくなってる。だから問題ない」

「でも、大変は大変じゃん」

「夏雄の受験が終わって高校卒業したら、冬美は同時に就職する。そんで焦凍は高校に上がる。子育てしながら教師やってる人に比べればマシだろ?」


冬美はとても優秀だ。成績だけでなく、家事においても効率が良く覚えも良い。それなりに長いこと応利がいろいろ叩き込んだこともある。


「俺も夏雄の受験が終わるまでは少なくとも今の家に住んでるだろうしな」

「え、応利君引っ越すの?」

「まだ決まってねぇけど、たぶん、再来年から東京に移転すると思う。公安からさんざん言われてるんだよ。静岡にはエンデヴァーさんもいるし、事件が多い首都圏に移ることになると思う。そんときは燈矢も一緒に引っ越す」


まだ決めているわけではないが、再来年、つまり冬美が就職して夏雄が大学生、焦凍が高校生に上がるタイミングで東京に事務所を移す想定でいる。応利に恐れをなして、東海地方ではもはや人質事件など起こらないし、そもそも本来はエンデヴァーが解決できることだ。

それを聞いて夏雄は間をおいてから、「実はさ」と切り出す。


「俺も高校卒業したら一人暮らししたいんだよね。いいなって思ってる大学が少し遠いからってのもあるけど、1人になりたくて」

「いいんじゃねぇの?こんなこと言うのもあれだけど、1人いない方が冬美も正直楽ではあるし」


どうやら夏雄は一人暮らしがしたいらしい。そう思うのも納得だ。これまでこの家で、夏雄は様々な我慢を続けてきた。めちゃくちゃな家庭環境の中で、やりたいことやしたいことの希望も言い出せない状況だった。もともと中間子は干渉を嫌うところがあるが、ここから逃げ出したい、解放されたいというのはずっとあったのだろう。
実際、非常によく食べる夏雄が家を出ていくなら、冬美の負担はぐっと減る。応利と燈矢が東京に移り、夏雄も一人暮らしするとなれば寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、新卒教師としての激務の中で家事を担うにはその方が合理的だ。

応利は夏雄の頭を撫でる。


「それでいいよ、やりたいことやって、自分の道を進みな。燈矢も冬美もそうしてきた。難しいことは俺が解決してやる」

「…うん、ありがと」


夏雄は少し照れたようにしている。さすがに高校生にもなってこれは恥ずかしかったか。


「悪い、つい昔の癖で。前はしょっちゅう撫でまわしてたのに、今じゃ立ってると手が届かないもんな」


どうにも小学生の頃の感覚になってしまうが、すっかり大きくなった夏雄にするような仕草ではなかった。しかし手を離すと、夏雄は少しだけ応利の腹筋あたりに頭を預けるようにして凭れた。


「…応利君、ほんと、ときめきポイントぶっ刺すの得意だよね」

「は…?」


何を言い出すかと思えばそんなことだった。だが、自分の道を進み、家を出ていくことを本格的に考え始めたからか、不安な気持ちはあるのだろう。
再び応利は、今だけは低い位置にある頭を撫でる。炎司の怒鳴り声が響く中で耳をふさいでいた子供は、きっともういない。


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