それは地獄のような−10
数日後、日曜日になった。
この日はインターンのため、朝から応利は家を空けていた。また、ついでに下宿先から荷物を持ってくることにもなっていた。
そのため、轟家に帰宅したのは夕方も遅い時間となっていた。すでに外は真っ暗で、真冬の寒さが静岡の強い風に乗って体を刺すような天気だ。
玄関を開けて手をこすりながら中に入ると、家政婦がやってくる。
「あら、応利さんでしたか。おかえりなさい」
「ただいま戻りました。どうかされました?」
「いえ、燈矢さんかと思ったのですが…」
「まだ帰ってないんですか?」
「はい。お山に行く、と聞いています」
確か、炎司と揉めたあの日、燈矢から報告を受けた炎司は今日訓練を見に来るよう頼まれていた。あの様子では行っていないのではと思ったが、燈矢に何も言わずにただ行かないという選択をしたのなら、この寒さの中ずっと待ち続けることになってしまう。
応利は着替える前に炎司の部屋へ向かう。
「失礼します、エンデヴァーさんいらっしゃいますか」
「なんだ」
炎司は襖を開けてこちらを見下ろす。あの一件は特に二人の間で尾を引いていないが、炎司は感情が抑制的になっている様子だった。より冷酷になった、とでもいうべきか。SKたちもどこか怯えていた。
「あの、今日は燈矢君のところには行かないんですよね」
「あぁ。お前が行ってやれ」
「あの、ちなみにそれは燈矢君には言っていなんですか」
「何も話していない、俺も先ほど事務所から帰宅したばかりだ」
やはり思っていた通りだ。炎司は燈矢に何も言わず、山には行かないと決めていた。さすがに、いつまでも来ない父親をこの寒風の中待ち続けるのはあまりに可哀そうだ。
「…分かりました。俺が回収してきます」
せめて応利が迎えに行ってやらなければならない。そう決めて踵を返すと、炎司は無言で襖を閉めた。何も言わなかった、というより、何も言えなかった、といったところか。同じ理由で、燈矢とも話さなかったのだろう。
応利はそのまま再び玄関を出て、瀬古杜岳へと向かう。
1月の冷たい夜空は、静岡の強い風によって晴れ渡る快晴だったが、都市の明るさによって星は見えない。この空の下で炎司を待ち続ける燈矢を思い浮かべると、自然と応利の足は早くなっていた。
家からほど近いとはいえ歩いて15分はかかる。それでもヒーロー科の応利の足であれば10分ほどで山麓につき、登山道を上って山の上へと上がっていく。
常緑樹が生い茂る里山をいつも通り抜けていった、その時だった。
突然、前方から眩い青い光が差し込んだ。木々の合間を照らす青い光は揺れ動き、あっという間に大きくなっていく。これは燈矢の炎だ。
「っ、まずい…!!」
この炎の大きさは初めて見るものだ。燈矢がコントロールできているとは思えない。暴走しているとすれば極めて危険な温度だ。
応利は足元の地面にかかる応力を瞬時に引き上げ爆発させると、その衝撃に乗ってジャンプし、一気に沢へと上がる。無理に個性を使ったため、足には打撲したような鈍い痛みが走るが、そんなものは関係なかった。
沢沿いの開けた場所は炎に包まれ、燈矢が悲鳴を上げて叫んでいる。
「熱いッ、なんで、止まらない…っ!?」
「燈矢!教えた通りに制御しろ!!」
「わ、わかんない!できないッ!!」
周囲の木々に燃え移り、中心にいる燈矢の声が細くなる。あまりの火の勢いと高温に、応利はこのままでは近づけなかった。
一瞬どうしようか迷ったが、直後、細い声が聞こえてくる。
「応利君…ッ、たすけて…!!」
「ッ!!
0気圧の壁!」
何を迷っている暇があるのか。応利は瞬時に自身の体を這うように0気圧の層を作り出す。
燃焼とは酸素の反応だ、空気がなければ炎は伝わらない。応利の体の周囲は真空状態となっており、炎を通さない状態だ。当然、呼吸は止めている。
その状態で炎の中に飛び込むと、応利はすぐに燈矢を力強く抱きしめた。炎の源と密着した状態で0気圧の壁を維持したことはなく、洋服の繊維の間までコントロールする緻密な制御が必要であり、今の応利の実力ではこのような状況でそこまでコントロールできない。
結果、直接触れているところは部分的に燈矢の炎が到達し、肉が焼ける猛烈な痛みに襲われる。声を出せば炎が気管に入ってしまうため、歯を食いしばって耐える。
それでも応利は燈矢を抱きしめ、沢へと飛び込んだ。
体を刺すような冷水が今は心地よく、ジュッと音を立てて燈矢の炎は消える。大量の水蒸気が立ち上り、炎が消えた燈矢の端正な顔が見えた。全身に重度熱傷があり、意識が朦朧としている。すぐ病院に行かなければならないが、山を下りて救急車を待つより、すぐ近くに大きな病院があることから、そこに直接応利の足で駆け込んだ方が早い。
「大丈夫、大丈夫だからな、絶対助ける…!」
応利はすぐ燈矢を抱きかかえで立ち上がり、燃えている木々を真空で消し止めたあと、個性を使って走り出す。
着地するたびに応力を引き上げてジャンプするため、先ほどの無理もあって足には激痛が走り、火傷した場所はすでに感覚がなく、濡れた体に冷たい風が突き刺す。
それでも、抱えた燈矢の温もりの方が遥かに大事だった。