それは地獄のような−12
それから半日ほどして、看護師から燈矢に会いに行けるようになった、と連絡をもらった。
すでに点滴は外されているため、松葉杖をついて廊下を歩きだす。廊下の手すりも一応掴みながら、同じフロアだという部屋へ向かう。
轟家は金持ちのため、個室が宛がわれている。外科病棟でも同じなようで、燈矢は一人部屋になっていた。応利の部屋も、4人部屋だがほかに人はいなかった。
さすがに火傷の引き攣るような痛みは体に堪えるが、なんとか部屋にたどり着くと、ノックして扉をスライドして開く。
個室のためカーテンはなく、中に入ればすぐベッドから燈矢がこちらを見上げた。部屋にはほかに誰もいない。
そして応利を見てすぐに、燈矢の目元に水滴が浮かんだ。
「ふ、っう、応利君、ごめ、ごめん…っ!」
「泣くなって、大した怪我じゃねぇから」
扉を閉めて中に入り、ベッド横のパイプ椅子に腰かける。松葉杖を机に立てかけてから、痛みのない右手で燈矢の頭を撫でた。
「燈矢のこと守れた。またこうやって生きて燈矢と話せた。それだけで十分だ。怪我だって普通に治るし、全然問題ない。お前が無事でよかったよ」
あの出来事があったからか、自然と応利は、燈矢のことを他人行儀に「燈矢君」と呼んでいないことに気づく。炎の中この子を抱き締めたその時から、二人の間にあった他人の壁は、いつの間にか消えていた。
応利に頭を撫でられながら涙を流す燈矢に、つい、応利も込み上げるものがあり、必死に堪える。
寒空の下、一人で父親を待ち続けた燈矢は何を思っていたのだろうか。自分の存在意義を薄れさせた末の弟を、母親が傷つけたことに、どう感じたのだろうか。
子供を産ませ続けられた冷も、親に顧みられない燈矢も、崩壊する家庭に傷つく冬美と夏雄も、虐待のような訓練をさせられながらほかの兄弟から遠ざけられる焦凍も、いったいどれだけの絶望の中にいるのだろうか。
「…この家ほんと、めちゃくちゃだなぁ…!」
高校生の応利には受け止めきれない地獄のような惨状に、声が震える。それを聞いた燈矢は泣き止んでこちらを見上げた。
「…、みんなのこと、助けられなくてごめんな」
そして応利がそう謝ると、燈矢は首を横に振り、頭を撫でていた応利の右手を握る。
「応利は俺のこと助けてくれただろ。あんたがいれば他に何もいらない。もう、何もいらねぇんだ」
燈矢の声も震えていた。それが炎司との決別を意味するのかは分からない。まだ燈矢の心も落ち着いてはいない。だが、応利の手に縋るように言った言葉は、今の燈矢の本心だった。
ただ、たとえ両親に失望したとしても、冬美や夏雄のことまでは切り捨てないでほしい。そう思って言葉を返そうとしたが、そこへ、扉がスライドして開く。
入ってきたのは、なんと炎司だった。てっきり見舞いには来ないと思っていた。
「なんだ、一緒にいたのか」
「はい、先ほど燈矢君も意識が回復したとのことだったので。先生とはお話しされましたか」
「あぁ、怪我の程度は聞いている。世話をかけたな」
応利をちらりと見て、お礼らしきものを述べられる。正直それはどうでもよかった。
燈矢を見やると、燈矢は最後の期待を込めたような目で炎司を見上げていた。昨日山へ行かなかったことに理由があったことを期待しているのか、あるいはこれだけの炎を出せることを褒めてほしいのか。どちらでもあるのだろう。
しかし、炎司は冷淡な態度を崩さなかった。
「数日で退院できるんだろう。大事なければそれでいい。今日は焦凍が退院するからついでに寄っただけだ。必要なものは使用人が持ってくる」
「…え……」
燈矢の小さな声が落ちる。ついでに寄っただけ、その言葉を聞いて、応利は咄嗟に左足だけで立ち上がって炎司の胸倉を掴み上げた。体格差があまりに大きくまったく炎司は動じないが、至近距離でその切れ長の瞳を睨みつけた。
「あんた…、あんた親とかヒーローとか以前に人として終わってんだろ!この子がいったいどんな気持ちで…!!」
そう言いながら、先ほどは堪えたものが、いや、今まで自分にはその権利がないとずっと抑えていたものが、目からあふれ出る。
ぼろぼろと涙を流しながら精一杯睨む応利に、炎司はさすがに少し目を見張る。
「なんで、なんでだよ、そんな難しいことじゃねぇだろ…ッ!どうしてこんな、燈矢が、みんなが、こんな目に…!」
この前と違い、炎司は応利の手を振り払わない。応利が泣きながらこのように訴えてくるとは思わなかったのだろうし、当然、応利としても想定外だ。それでも、感情を抑えることが、もはやできなかったのだ。
しかしそれに対して、燈矢の冷めた声がかけられる。
「もういい。お父さんなんか知らねぇ。あんたが俺を見ないなら俺もあんたを見ない」
吐き捨てるように言った燈矢の言葉は、絶対的な決別だった。もはや炎司のことを父親として見ないという、断絶。法的な戸籍関係以外の一切の関係性を拒絶するような冷たい声だった。
炎司は意外にも優しく応利の手を外すとパイプ椅子に座らせる。そしてそのまま踵を返した。
「…お前も分かっただろう、燈矢。お前の体質はヒーローに向いていない」
炎司はそれだけ言い残して部屋を去っていった。再び、部屋には二人きりとなる。
少し呆然としてしまったが、応利は右手で乱暴に目元を拭う。それを見て、燈矢は首を傾げた。
「なんで応利が泣いてんの?」
「悪い。なんかもう、みんなのことを思ったら感情がぐちゃぐちゃで」
「ずっと俺たちに寄り添ってくれてるもんな」
目を拭う応利を止めるように、燈矢は応利の右手を取る。それに任せて手を握られていると、やはり大きくなったな、と感じる。
「…やっぱり、行政に相談しようか?」
「さっきも言っただろ、俺にはあんただけいればいい。あんたが俺のことを見てくれるなら、家族だってどうでもいい」
もはや看過できない、と思った応利だったが、燈矢は応利の申し出を断った。その代わり、先ほどの言葉を繰り返した。その綺麗な青い瞳は暗く濁っている。
しかし今度は、再び扉が勢いよくスライドするなり、冬美と夏雄が飛び込んできた。
「燈矢兄!!」
「大丈夫!?」
二人はすぐにベッドに駆け寄り、燈矢の腕に縋りつく。一瞬遅れて応利に気づき、こちらにも「応利君!お怪我平気?!」と泣きそうな顔で、というか半泣きで確認してくる。
遅れて家政婦が入ってきて、兄弟たちの様子に小さく笑う。呆気に取られていた応利は、ちょうど話そうとしていた二人が入ってきたタイミングの良さに表情が緩んだ。
「お父さんやお母さんのこと恨むのはいい。でも、弟と妹はお兄ちゃんのこと大好きなんだから、この子たちのことまでどうでもよく思わないでやれよ。みんな俺が守るから」
二人の勢いの良さと半泣きの様子に、同じく驚いていた燈矢も苦笑する。大人びたそれはより純粋なもので、濁った瞳ではなくなっていた。
「大丈夫だって、てか痛いよ」
そう言いつつ二人を受け入れて笑う燈矢に、応利は少し安堵する。燈矢は優しい子だ、たとえ両親のことを諦めたとしても、家族全員を切り捨てるような考え方はしないだろう。