新たな日常−16


1学期が終わり、夏休みに入った。
とはいえ、夏休みを謳歌できるのは夏雄と冬美くらいで、燈矢は2年生ながらすでに受験に向けた勉強の日々であり、応利はインターンと合宿に追われる。
夏が終われば、12月の本免許試験まですぐだ。仮免ほど大規模なものではないものの、難易度はより高い。特に、専門的な知識や技術を問われる傾向にある。

隙間時間に勉強を続けている応利は、新幹線で炎司とともに東京で仕事を終えてから戻る道中でも、テキストを開いていた。道路交通法や災害時の所有権の制限に関する法など、ヒーロー活動をする上でも守るべき法や解釈についてのテキストだ。

東京での仕事は大規模な事件への応援と、ついでに公安での用事だった。公安でのことは応利には関係がなかったものの、せっかくだから見学しろ、という炎司の指示で帯同していた。おかげで公安の幹部陣とも面識ができてしまい、いざというときに駆り出されやすくなってしまった。ヒーロー飽和社会においてはありがたいことかもしれないが、これから本免許という身では恐縮してしまう。

用事をすべて終えて炎司と帰路の新幹線に乗り込んだときには20時を過ぎており、さすがに疲労があった。それでもテキストをやらなければと必死に目を開けているが、炎司の計らいでグリーン車に乗せられているため、心地よさで余計に眠い。
窓側に座る炎司はフォーマルな私服姿で、半そでにジャケットを羽織っている。応利は夏服の制服だ。ヒーロースーツのときほどではないが、体温の高い炎司の屈強な体がすぐ近くにあるせいで、寒いほどの空調の中では温もりに感じられてしまう。

上司の横で眠りこけるわけにはいかない、とテキストを見つめるが、いかつい法律の文字を目が滑った。

そして、ふと気づいたときには、応利の頭は炎司の右肩に乗っていた。


「…っ、すみません、」


気づいて咄嗟に体を起こす。本来、グリーン車の座席の広さや座席の間の手すりの幅をもってすれば、隣の人に寄りかかることはできない。だが炎司は非常に体格が良いため、縦にも横にも体が大きく、少し体を横に倒せばすぐに炎司の肩に触れてしまえる状態だった。
横目で扉の上にある電光板を見れば、「掛川を通過中」と出ている。もうすぐに浜松駅に到着してしまえるほど寝ていたようだ。それなりの時間寝ていたことになるため、応利は再度謝罪する。


「本当にすみません、失礼しました…」

「構わん。むしろそんな軽さでどうする、もっと鍛えろ」

「え、はい」


しかし意外にも炎司はまったく気にしていなかった。インターンとはいえ他人に寄りかかられることを許容するような器の大きい人間ではなかったはずだ。
それとも自分の子供同様に許しているのだろうか、と一瞬思ったが、炎司はまだ34歳と年齢的には中堅のヒーローであり、応利とは17歳差だ。さすがに親子という年齢ではない。

そこでふと、来週にも炎司が35歳の誕生日を迎えることを思い出した。同時に、これまでの応利の炎司に対する失礼な言動の数々も思い出す。良い機会だ、一応、そのあたりの配慮くらいは見せておこうと思い立った。



そうして8月8日、炎司の誕生日を迎えた。
当然と言えば当然だが、子供たちは父親の誕生日を気にした様子ではない。父親が自分たちの誕生日を気にしてないのだから当たり前のことである。金だけは出しているが、そういうことではないと子供たちとて理解している。

その日の夕方、応利はSKに聞いていた炎司の好物、葛餅を持って、帰宅して自室に戻ったばかりの炎司を訪ねた。


「エンデヴァーさん、いらっしゃいますか」

「入れ」


入室を促され中に入ると、炎司はラフな部屋着に着替えたばかりなのか、ジャケットをハンガーにかけていた。あまり改まって渡すのも変な話なので、応利はそのまま葛餅の箱を差し出す。


「今日はお誕生日だと聞いていたので、これ、どうぞ」

「…、お前が、俺に?」

「はい。やっぱ変でした?」

「そこまでは言わないが、驚きはある。子供たちですらこういうことはしない」


言葉通り、炎司は目を丸くしている。本当に驚いているようだ。とりあえず受け取ってくれたため、変な気を回すな、と怒られることはなかったようで安心した。応利はあまり葛餅は好きではないため、自分で食べることになるのは嫌だったのだ。


「さすがに生意気すぎるかなって思いまして、こういう機会はちゃんとしようかと」


そう言うと、炎司は苦笑する。珍しい表情だ。


「高校生はそれくらいがちょうどいいだろう。自分で言うのもなんだが、お前くらいの年齢のときの俺はもっとひどかった」

「想像に難くないですね…ってやべ、すみません、言ったそばから」


うっかり口を滑らせてしまい、このようなことを日頃から言っているからこそこうして気を回しているというのに本末転倒だ。慌てる応利に、炎司は呆れたようにしつつ表情を緩める。


「気にするな、俺も気にしていない。実際、子供たちのことは助かっている」

「…本当はそういう感じの、あの子たちに伝えるべきなんですけどね」

「よせ、いまさらだ」


本当に珍しい。炎司のこういう落ち着いた様子はあまり見たことがない。そもそも表情を緩めているところすら初めて見た。子供たちからもプレゼントをされたことがないと言っていたため、好意的に受け取ってはくれているのだろう。


「まぁとりあえず、こういうこと嫌がられてもおかしくないな、と思っていたので、受け取ってもらえてよかったです」

「…お前は…、」


すると、炎司はじっとこちらを見下ろす。険しいものでこそなかったが、なんだか底知れないもののようにも思えた。感情が読めず、応利は困惑する。


「えと…どうしました?」


声にも困惑が滲んだからか、炎司は何かを耐えるように息を吸って吐いたあと、首を横に振った。


「…いや。お前は、あざとい、というヤツなんだろう。変な輩が寄ってこないよう気を付けた方がいい」


これもまた珍しいことを言われた。こういうことをこの男も言うのだな、と内心で感心してしまう。同じようなことはクラスメイトや担任からも言われているが、具体的にどういう部分を直せばいいのか分からず、とりあえず放っておいている。そんな応利に周りも諦めている様子だった。具体的に何がダメなのかも分かっていないのに気を付けようもない。


「まぁ、はい、分かりました」

「分かっていないだろう、まったく」


明らかに炎司は先ほど含みのある様子だったが、そう言った今はその面影もない。それなら深堀りする必要もないため、応利はそこで会話を切り上げることにした。

まさかそれが、沸き上がる欲を理性と倫理で押しとどめる大人の視線であったとは、このときの応利には思いもよらないことだった。


36/97
prev next
back
表紙に戻る