猫真似が招く
●猫と轟兄弟
もう冬も深まったある日、灯水はランニングを終えて寮に戻って来た。休日なのでまだ時間は早く、冬といえど日は高いところにある。
汗が冷えて寒くなって来たので、体温を調節しながら歩いていると、ふと、寮の建物の側面にあるベンチに人影が見えた。座っているのは焦凍だ。
セーターとジーンズの簡単な私服を着ていて、特に訓練をしていたようには見えない。
どうかしたのかと思ってそちらへ方向転換すると、また何か動くものが見えた。
近くの森から出て来たのは、どうやら猫のようだった。野良猫だろうか。
こんなにも寒い日に動いているのは珍しい。もしかしたら、寒くて暖かい場所を求めているのかもしれない。
猫はベンチまで来ると、焦凍に警戒もせず近寄った。ベンチでぼうっとしている焦凍の長い足の足元に、猫は温もりを見つけたのか座る。
それでようやく気配に気づいたらしい。焦凍は足元を見て、思わぬ来客に目を丸くしていた。離れていても分かるのは、それだけ焦凍を見ているからだ。
灯水は少し急いで焦凍のもとへ向かい、声をかける。
「焦凍!」
「お、灯水か。見ろ、猫だ」
「見えてた」
すぐにベンチまでやってきても、猫は動じない。人慣れしているので、飼い猫か、学内でそれなりに人とふれあっている猫だろう。焦凍の足元に甘える猫は愛らしく、もふもふせざるを得ない。
「訓練帰りか?」
「うん、ランニング。焦凍は?」
「久しぶりに晴れたから外出てみた」
「年寄りみたいなことすんね」
若者にしては渋い理由に苦笑しつつ、灯水は焦凍の足元にしゃがんだ。焦凍の足首あたりにいた猫は、もっと温かい、個性を使っている灯水に気づいたようで、すぐにこちらに寄って来た。それを抱き上げ、あぐらをかいてその上に乗せると、少しもぞもぞとして体制を整えたあと、勝手に落ち着いてしまった。
その頭から背中にかけてを優しく撫でてやると、ごろごろ鳴くのが聞こえる。
「あ〜マジかわいい」
「そうだな」
「ごめんね、焦凍のとこいたのに取っちゃって」
「いや、十分だ」
「うん?」
可愛い猫を独り占めしているようで、焦凍に軽く謝るが、よく分からない返答だった。それに首を傾げて見上げると、焦凍は真顔になる。
「かわいいな。俺も撫でていいか」
「え、あ、うん、いいよ」
そんなに猫をもふりたいのか、まぁそうか、と思って頷くと、突然、焦凍は灯水の頭を撫でて来た。
一瞬何が起きているのか分からず固まる。
「かわいいな」
ぽつりと落ちる焦凍の言葉。そこでようやく、先ほどから焦凍が猫なんて見ていないことに気づいた。
途端に羞恥が込み上げてきて、撫でる手をどけようかとも思ったが、上から降ろされる焦凍の手が頭から耳の後ろ、首筋などに回って、猫を撫でるようにそこをわしゃわしゃとされると、灯水はつい止めようとして手を空中にとどめてしまった。
「猫みてぇに甘えてくれていいんだぞ」
そんな灯水に焦凍は少し笑って言った。抗えない灯水のことを分かっていっている。ただ、灯水もそう言われるとそれなら、という気になるくらいには、焦凍のテクニシャンな手に翻弄されていた。
灯水はすぐそばにある焦凍の膝に頭を乗せると、太ももあたりに猫のようにすり寄る。よく猫はこうやって甘えてくるような気がするからだ。
ぴくりと固まった焦凍を見上げる。
「……にゃあ、な〜んて、ねっ、!?」
そして猫の鳴き真似もしてやると、突然焦凍は立ち上がった。それに灯水が驚いて体を揺らすと、同時に驚いた猫もどこかへ走っていってしまった。
「…部屋、戻るぞ」
「え、嫌な予感しかしない」
「いやらしい快感ならあるぞ」
「はぁ!?ちょ、何でいきなり盛ってんだ」
焦凍はおもむろに灯水の腕を引っ掴み、そのまま寮の入り口へ歩き始める。否応なくついていきながら言うと、焦凍は怖いくらいの真顔で言った。
「それが分かんねぇなら教え込んでやるよ」
その後、有言実行でたっぷり教え込まれたのは言うまでもない。