噛み癖
●「お誘いは計画的に」のあと
どうやら変な癖ができてしまったらしい。
灯水は焦凍の肩にうっすらとついた歯型を見て、自分のことなのに他人のように思った。
焦凍の自室、座椅子に座る焦凍に後ろから先ほどまで噛みついていたのだ。
「すっかり噛み癖ついちまったな」
「やっぱこれ癖だよね」
焦凍も気づいていたらしい。当然だ、もう何回目かも分からない。焦凍が慣れたように受け入れるものだから、もう今では日常の一シーンだ。
最初こそ、動揺する焦凍の姿や、焦凍に跡を残せることに満足していたが、今では特に意味もなくやっている。
なんとなく、そういう気分というだけだ。
「そんないつもやってる?」
「いや?週に1回あるかないかだろ。ここ数日はちょっと多めだけどな」
「マジか…ごめん、気を付ける」
「?別にそんな必要ねぇだろ」
「え」
不思議そうにする焦凍に逆にこちらが理解できない。普通は気を付ける流れだろう。
「おい、俺がどんだけ灯水のこと好きだと思ってんだよ。お前にされて嫌なことなんて、他の男や女といちゃつくことくれぇだぞ」
「や、そうは言っても鬱陶しくない?」
「ぜんぜん。可愛くて仕方がねぇ。遠慮しなくていいからな」
ぽん、と焦凍は灯水の頭を撫でると、机に戻る。仮免補習の課題らしい。
また集中する姿を見て、まぁそういうことなら、と灯水もまたその肩口に噛みついた。
***
後日の金曜、課題を終わらせて灯水が1階に降りると、焦凍も共有スペースのソファーにいた。緑谷や飯田と話しているようだ。金曜と土曜のこの時間に起きているのは珍しい。補習は朝早いため、寝るのも早いのだ。
「焦凍、どしたのこんな時間に」
「あぁ、明日の補習が急きょギャングオルカ不在でキャンセルになってな。急だったから代わりもいなくて、休みになった」
「そうなんだ。一日オフとか久しぶりなんじゃない?」
「そうかもしれねぇ」
灯水もようやくインターンで生じた遅れを回収し、自習量も通常のものに落ち着いたところだ。土日にあくせくと勉強するようなことにはなっていない。
2人揃って一日空くというのは本当に久しぶりで、ゆっくり過ごせることに灯水は内心でテンションが上がる。灯水は焦凍の隣に腰を下ろして3人の会話に混ざった。
焦凍も、久しぶりに緑谷たちとまとまった話ができることが楽しいようで、表情こそいつもの無表情に近いが、それでもよく表情が変わる方だった。
それをほほえましく思っていた灯水だが、だんだん時間が過ぎていくと、しだいに苛立ちも感じ始めた。
せっかくゆっくりとした夜を過ごせるのだ、2人きりの時間があっていい頃だ。なのに、焦凍は一向に話を切り上げようとしない。
まぁでもいつも一緒にいるし、と自分に言い聞かせるが、どうしても気持ちは募る。
しかし、焦凍がこうして自分で友人だと思う人たちと楽しい時間を過ごすのもやっと今年になってからのことだ、焦凍自身の時間を大事にして欲しい気持ちもある。それでもやはり恋人でもある自分との時間を大事にする姿勢も見せて欲しくて、そんなことを考えていることすらちょっと嫌になる。
気付くと灯水は、左に座る焦凍の右腕を持ち上げて、かぷり、と噛みついていた。捲られた袖から見える筋肉質な腕にあぐあぐと噛みついていると、さすがに緑谷たちは驚いた。
「灯水君?ど、どうしたの?」
「む、おなかが空いているのか灯水君!しかし轟君の腕は食べ物ではないぞ!」
「あ……ごめん、なんでもない、お腹いっぱいだし」
さすがに指摘されるのはまずい、と腕を離すが、焦凍はおもむろに立ち上がる。
「わり、今日はもう部屋戻るな。灯水、行くぞ」
「え…ちょ、待っ、俺そんなつもりじゃ、」
焦凍が緑谷たちとの時間より灯水をいざ優先してみせると、灯水は焦る。何かを我慢させたいわけではないのだ。しかし焦凍はふ、とほほ笑んで、灯水を優しく立ち上がらせた。
「今気づいた。灯水の噛み癖、寂しいときに出るんだな。俺が課題とか他のヤツとの会話とかでお前を放っておいてるとき。灯水は優しいから、かまって欲しいって気持ちと、俺の時間を大事にして欲しいって気持ちで葛藤しちまって、どうにもならなくて、そんで噛みついちまうんだろ」
「へ……そう、なのかな」
自分でも無意識だった。どうやら自分でも気づかないくらい些細な、灯水の意思表示だったらしい。
「ごめんな、久しぶりに2人揃って休みなのに、放っておいて」
「…でも、緑谷君たちと一緒に話すのだって久しぶりでしょ」
「まぁな。でも、隣で自分のこと我慢して、噛みつくことしかできなくなっちまってる最愛のヤツを放っておくほうが俺には無理だ」
いつも通り、焦凍のまっすぐすぎる言葉に、灯水は思わず顔に熱が集中するのを感じる。更に、一連の場面を2人に見られていることに気づく。
「兄弟水入らず!俺たちは気にせず戻るといい!」
「う、うん、そうだよ!ごゆっくり!」
鈍感な飯田はともかく、焦凍と灯水の恋人のような(事実恋人だが)距離感に緑谷も顔が若干赤い。
意気揚々と灯水を連れて歩き出す焦凍の後ろで、灯水はマジで気をつけよう、と決意を固めつつ、自身の手を握る一回り大きな焦凍の手を見て、表情が緩むのを抑えきれなかった。