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まさか、ネットに出回っているとでも言うのだろうか。いや、確実に荼毘はそう言っている。どうやら、轟家のことを知る人物による噂がすでにネットには出回っているらしい。無理もない、轟家には家政婦が出入りしていたし、冷が入院している病院にも関係者がいる。事務所の相棒にも察している者がいたかもしれないし、冷の実家や轟家の親族など候補はいくらでもいた。
荼毘が言った言葉は、的確に灯水の古傷を貫いた。あの頃の痛みが、苦しみが、すべて思い出されることは難しいことではなかった。
「うっ……んだ、ここ……」
そこに、爆豪のうめき声が聞こえてきた。荼毘と二人、そちらを見遣ると、横になっていた爆豪がうっすらを目を開けて辺りを見渡していた。もともと目付きが悪いのに、さらに凶悪な顔になっていた。
「チッ、しぶといなこいつ。あの量のクロロホルム嗅いでも目ェ覚ますのか」
恐らく個性柄、クロロホルムへの耐性が人よりはあるのだろう。爆豪は意識を徐々に覚醒させると、灯水に迫る荼毘を認識した。
「…っ、おい、てめぇ、そいつに何する気だ」
「へぇ、お前、灯水を庇うのか。そんな殊勝なことするやつには見えなかったけどな」
恐らく体育祭での姿からは予想できなかったという意味だろう。つまり、敵連合は爆豪のあの粗暴な気質に敵となるチャンスを見出したということだ。
だが、爆豪がこんなちゃちな団体に靡くはずがない。何より、荼毘を睨み付けるその視線には、明確に守ろうとする意思が感じられた。灯水を、守ろうとしてくれているのだ。
そうだ、灯水には爆豪がいる。
それだけで、荼毘の言葉などどこか遠くに霞んでしまった。あの頃の痛みも苦しみも、すべて受け入れて立ち上がる強さを、他ならぬ爆豪がくれたのだ。
とはいえ、ここで灯水がメンタルの強さを発揮してしまえば警戒されてしまう。荼毘は灯水に精神的な隙があると判断したからここへ連れてきたのだ、それがないと知れれば、灯水は人質にするには厄介すぎる個性を持つ、ただのヒーロー志望だ。ここは、芝居を打っておくべきだろう。
「お前は知ってるか?灯水が今までどんな目に遭ってきたか」
「ッ、おい、そんなやつの言うこと聞いてんじゃねェぞ、おい!」
「なぁ、灯水、今どれだけつらい気持ちでいるんだ?生きる理由をなくして、一人取り残されるなんて、どれだけ苦しいんだろうな」
荼毘の言葉は、少し前までの灯水であれば簡単に揺らいでしまっていただろう。「新しい自分になろう」という甘言は、灯水にとって魅力的だったかもしれない。だがそれは昔の話だ。
必死に灯水を引き留めようとしてくれている爆豪の声が、本当はとっくに、灯水を奮い立たせてくれていた。
灯水はもう、独りではないのだ。
「お、れは……」
「くそが、聞くな!!」
「うるせぇな…今日はここまでにしよう、灯水。また来る」
爆豪のうるささに、荼毘はいったん出直すことにしたようだ。またブーツの音を響かせて、部屋を出て行った。
扉が閉まり、鍵がかけられる音が空虚に響く。部屋には沈黙が降りた。