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「チッ、おい、」


爆豪はキレながら不機嫌そうに言うと、おもむろに起き上がる。灯水は何かとそちらを見上げたが、その瞬間、爆豪は枷の嵌められた腕を振り上げた。


「なっ、」


殴られる、と思わず目を瞑ってしまったが、衝撃はなく、代わりに温もりが灯水を包んだ。恐る恐る目を開ければ、爆豪は枷の嵌められた腕の中に灯水を通すようにして、灯水を抱き締めていた。


「……え、」

「あんな気持ち悪ィやつの言うことなんざ聞いてンじゃねェぞカス」


どうやら爆豪は、灯水を落ち着かせようとしてくれているらしい。本当に動揺していると勘違いしているのだ。なかなかの自分の演技力に感心しそうになったが、それより先に誤解を解かなければならない。


「あー…爆豪君、」

「ンだよ」

「……その、実は、俺、全然平気なんだよね」

「……は?」

「あれ、演技っていうか…ほら、あいつの言葉に動揺した素振り見せないと、油断させなきゃ逃げられなくなるでしょ?だから…」

「…あ!?テメエおいこら!!」

「ちょ、うるさいって!」


ようやく理解した爆豪はものすごい形相で睨んできたため、慌てて弁解するが、灯水の言葉は正論だと分かっているのだろう、それ以上は暴言を吐かず、無言で鉄の枷でどついてきた。
「いてっ、」と言いつつ、灯水はそのどつかれた衝撃をそのままに爆豪に凭れる。正面から抱きしめられていたため、その胸板にぽす、と顔を埋める形になった。


「騙した上に寄り掛かってくるなんざ図々しい野郎だな」

「それは否めないけど…でも、こうやってあいつの言葉を気にせずにいられてんの、爆豪君のおかげだよ」


襲撃直前のどこか余所余所しい感じを引っ込めたいつも通りの爆豪に少し安心して、灯水は温もりに目を閉じてそう伝える。このような小細工をする程度に荼毘の甘言をはね除けられたのは、爆豪のおかげなのだ。
それを聞いて、爆豪は何も言わなかったし、何もしなかった。ただ、寄り掛かる灯水をどかそうともせず、受け入れてくれていた。


「…ね、爆豪君、」

「……なんだよ」

「名前、呼んでよ」

「はぁ?」

「俺のこと、繋ぎ止めてくれるの、爆豪君だけだから。だから、名前呼んで。期末のとき呼んでたじゃん」


図々しいついでに、灯水はそうお願いしてみた。なんとなく、爆豪に名前を呼んで貰えれば、地に足がつくというか、荼毘に何を言われてもすべて頭から振り払い、何の感情も呼び覚まさずに今という時間で呼吸ができる気がしたのだ。
期末の演習試験で、爆豪は一度灯水の名前を恐らく無意識に呼んでいる。

爆豪はその覚えがあり、なおかつ灯水の意図することも勘付いているらしい。しばらく無言で葛藤したあと、大きな大きな溜息をついた。さすがに嫌がられるだろうか、と思った、そのとき。


「……灯水、」


耳元で、爆豪は静かに灯水の名前を呼んでくれた。その名前を呼ぶ響きは、しょうがねェな、という仕方なさそうなものもあったが、それよりも灯水のことを慈しんでくれているような、そんな響きだった。
そうだ、かつて冷がそんな声で呼んでくれたことがあったかもしれない。遥か遠い昔、個性が現れて出来損ないと呼ばれた直後のことだっただろうか。

灯水の存在を受け入れて、愛そうとしてくれた、そんな優しさの滲む声だった。

不覚にも涙腺が緩んでしまった灯水は、ぎゅっと爆豪の黒いシャツにしがみつく。気持ちなど口にしない爆豪の、あらゆる感情が乗っているような声。その声で名前を呼んでくれたことが、何よりも、嬉しかった。


「っ、おれも、名前、呼んでいい?」

「……勝手にしろ」


そうやって灯水の名前を呼んでくれた、その名前を呼びたくなった。爆豪の家に泊まった夜のように、爆豪は素っ気ない言葉ながら、それを許してくれた。あの日からここまで近付くことができて、灯水を爆豪が受け入れてくれたことが、奇跡のようなことだとすら思える。視界に見える爆豪の服も、鎖骨も、腕も、何もかもぼやけて溶けていく。


「………勝己、」

「っ……次は、帰ったら呼んでやる。だから…帰ンぞ、ぜってェな」

「…うん」


爆豪と二人なら、どんな困難でも乗り越えられる。そう確信できる人と出会えた、それだけで、灯水は生きていて良かったと、今までの人生はこれで良かったのだと、思うことができた。


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