誰よりも
暗闇の中を疾走する新幹線の車内は、平日の半端な時間ということもあって空いていた。そのため、焦凍たちの間に落ちる沈黙は余計大きなものになっていた。
先ほどまでは、焦凍たちは覚悟を改めて問い直し、焦凍と切島と緑谷は助け出す覚悟を、飯田と八百万は3人を守る覚悟を口にした。
今、焦凍たちは大人たちの言いつけを破り、秘密裏に灯水と爆豪の救出に向かっていた。無論、ステインの件でその罪の重さを知る緑谷と焦凍は戦闘をするつもりはなかったし、飯田はだからこそ緑谷を殴ってまで止めようとした。
それでも、動かずにはいられない。大事な人を助けたいという気持ちに、それ以上の説明も理由もいらなかった。
「…緑谷、」
ふと焦凍は気になったことがあり、沈黙を破って緑谷に声を掛けた。対面式にした座席で正面に座る緑谷は、「どうしたの?」と返してくる。
「…灯水たちが誘拐されたときの、灯水の顔、見たか」
「いや…余裕なくて、覚えてないや」
「どうかしたのか?」
首を傾げる切島に、焦凍は「いや、」とだけ言って脳裏にあの表情を思い浮かべる。
「…灯水は、攫われる瞬間、「大丈夫」っつったんだ。そんときの笑顔は、今まで見たことねえようなモンで…俺の知ってる灯水じゃねえみてえだった」
「なるほど…でも灯水君、期末の前後くらいから、なんだか雰囲気変わってたよね」
「俺も思った」
うなずき合う緑谷と切島。焦凍はそれを聞いて、家でするような素の表情をよく浮かべていたことを思い出す。そこで、ああ、と合点がいった。
「…あいつは、もう……」
灯水が誘拐されたあと、冬美も冷もひどく憔悴してしまい、それを見て、焦凍は初めて灯水が家族に心配を掛けないように振る舞い続けていたのだと気付いた。取り繕ったような言動をクラスでしていたのも、中学までの焦凍を守るための人付き合いから抜け出せていなかったからだった。
しかし、灯水は変わった。
明確なきっかけがいつだったかは分からない。だが、それをもたらした人物ははっきりしていた。
「…あいつは、爆豪に出会って、変わった。俺が緑谷と戦って変われたように」
「轟君……」
緑谷は轟家の家庭を思い出し表情を曇らせる。切島は深くは理解していないながらも、「あいつらが仲良くなってから灯水の感じも変わったよな」と核心を突く。
「俺が気付いてなかったことを、きっと爆豪は気付いてた。なんでか知らねぇが、爆豪は灯水を助けたんだ。俺には、できなかった」
「俺も詳しくは知らねえけどさ、でも、爆豪は灯水のこと…な?」
合宿中、爆豪は灯水への感情を男子たちに匂わせた。分かっていない飯田とその場にいなかった八百万はピンときていないが、緑谷は「なるほど」と頷いた。
そして緑谷は、少し考えたあと、焦凍にしっかりと目線を合わせて口を開いた。
「灯水君は、今まで轟君や家族のためだけに向けていたものを、ヒーローとして、皆に向けられるようになっただけだよ。本質は、何も変わってないんじゃないかな」
「緑谷……」
「だから轟君に何かが足りなかったとかじゃなくて…ただ、何がきっかけになったか、それだけなんだと思う。かっちゃんがきっかけになっただけで、それがなければ遅かれ早かれ、轟君が灯水君を変えてたと思うな」
緑谷の言葉は、焦凍の中にすんなりと入ってきた。そうだ、焦凍は気付くのが遅れたが、気付いた今、灯水が何を求めていたのか、理解できる。
きっと、焦凍が緑谷との体育祭での激闘で呪縛から解き放たれたのと同時に、今度は灯水が過去に捕らわれることになった。焦凍だけが変わっていく中で、焦凍のために生きてきたがために人との付き合い方すら歪になってしまい、冷の見舞いの際に体調を崩して、それを冷が心配したことを疑問に思ってしまうほど自分を軽んじてきた灯水は、体育祭の後どれだけの苦しみの中にいたのだろう。
しかしそれを救ったのが、爆豪だった。焦凍より早く気付き、そして灯水に「そういう」気持ちを向けていた爆豪が。
焦凍だけが救われて自分をなくしたと錯覚していた灯水を救い、もともと灯水に備わっていた強さと優しさを目覚めさせのは爆豪だった。だから、灯水は攫われるとき、笑って焦凍を安心させようとしたのだ。
「大丈夫だよ」と言ってくれたから、焦凍は茫然自失とせず、冷静に救出のために必要なことを考えるという次のステップに進めたし、上鳴たち他のメンバーも、「今の」灯水と爆豪なら大丈夫だと信じることができた。
「あの二人なら大丈夫だよな」と呟いた上鳴の言葉を聞いたクラスメイトたちは、みな、強く頷いていた。灯水は、攫われたにも関わらず、目の前にいない人たちを安心させてみせたのだ。
「…本当は、俺が、救いたかった。もっと早く、気付いてやりたかった」
緑谷は焦凍の言葉を聞いて苦しそうな表情を浮かべた。だが、焦凍は微笑んだ。それを見て緑谷は驚く。
「でも、いいんだ。あいつが幸せなら、もういい。誰よりも、灯水の幸せを願ってんのは、俺であることに変わりねぇ。あいつを救った爆豪の隣が1番幸せになれんなら、俺は、灯水と爆豪が並んで立てるようにしてやりたい」
今までずっと、灯水は焦凍のために生きて、焦凍を救ってくれた。なら次は、焦凍は灯水を救う番だ。もう、その形は直接灯水を救うことではなく、爆豪との関係を後押しするという間接的なものになってしまっているけれど、それでも良かった。
ただ、灯水を敵連合から救い出すことができたあとくらいは、一瞬でもいい、感情を涙とともに吐き出してもいいだろうか、と心の中で誰とはなしに尋ねる。
きっと、灯水は許してくれるだろう。誰よりも灯水を愛していた焦凍が大切に思っていた、仕方ないな、という笑顔で。