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「だ、い、じょうぶです。くたびれたし、いい機会、だったんで…」

「でも…確認も取らずに…大事なものとか入ってない?」


一瞬、あの母の涙ながらにシオンを案じる顔が浮かんだが振り払う。これを言えば、きっとこの人はいつまでも自身を責めてしまう。


「入ってないです。思い出のものとか全部、向こうに置いてきたので」

「そ、そう…?ごめんなさい、こんなことがないように気を付けるわね…」


これでもなお義母は自身の失態に落ち込んでいるようだった。シオンは何とかこれで済ませられたことにホッとする。
義母が部屋を出ると、鋭児郎が真剣な顔をしてシオンの肩を掴んだ。目の前に迫る男前な顔に面食らう。


「な、に」

「……全然、大丈夫には見えねぇよ。本当は大事なモンなんじゃねぇのか?」

「…違う」


どうやらシオンの表情で察したらしい鋭児郎は確認してくるが、シオンは首を横に振った。頭に浮かぶ光景を振り払うための動作でもあった。


「母ちゃんに気ぃ遣ってんじゃねぇの。ゴミをシオンのリュックの側に適当に散らかしてまとめた俺のせいだ。俺も母ちゃんのことは責めたくねぇし、責任は俺にあると思ってる。だから、言ってくれ。あれは、大事なモンなんじゃねぇのか?」


いつもとまったく違う真摯な声。鋭児郎も気にするかもしれない、と、無意識にシオンは個性を発動してその心を読み取った。先回りしないといけないと思ったからだ。
だが、鋭児郎はそういうネガティブな感情ではなかった。『シオンが大事なモンだって言ったらぜってぇ何とかする』という、絶対的な決意だった。どうにかなるだろうか、という迷いすらない。
その強さと頼もしさが、大きく揺れ動くシオンの心を動かした。もともと、あまりにショックだったのだろう、シオンの言ってはいけないという我慢が溶けるのは簡単だった。


「……リュックに、パスポートが隠してあったんだ。母さんが、僕を亡命させるために命懸けで作ってくれた。僕は、それだけが、地獄みたいな暮らしの中で、救いだった」


「生きて」と叫んだ母は、最後までシオンを守ろうと、目に涙を湛えながらこのパスポートをリュックに隠した。その母をそばに感じられるようだったから、このリュックを、正確にはパスポートを、どんなときも大事にした。
強制労働も、奴隷生活も、戦場での戦いも、すべてこのパスポートがシオンの心の支えになっていた。


鋭児郎はシオンの言葉を聞くと、「よし」と言ってスマホを手に取った。


「もしもし芦戸!?あのさ、お前の家に不燃ごみの回収が来るのいつも何時か親に聞いてくんね!?大至急!………そか、サンキュー!」


繋がった相手にそう聞いた鋭児郎は、スマホをポケットにしまうとタンクトップ姿のまま扉へ向かう。心を読み取る個性を発動したままだったため、鋭児郎が何とかしようとしていることは明白だった。


「ちょ、鋭児郎、あれ効力ないし別に、」

「そういうことじゃねぇだろ!」


鋭児郎は大きな声で言うと、振り反ってシオンをおもむろに抱き締めた。逞しい体に包まれて、肩口に鼻が当たる。体温が高いのか、すぐに温もりが伝わって来た。


「泣きそうな顔して、大事なモンだって教えてくれたじゃんかよ。俺のせいってのもあるけど、何より、俺はシオンを救けたい」
『シオンの大事なモンは俺の大事なモンだ。シオンに悲しい顔させたくねぇし、これ以上傷ついて欲しくねぇ』


同時に聞こえてくる内心の声。どこまでも、鋭児郎はシオンのためでしかなかった。そのあまりのひたむきな優しさに言葉に詰まると、鋭児郎はぽん、と軽くシオンの頭を撫でて踵を返す。そして、すぐに走り出し、玄関の開閉音が響いた。


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