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5分おきくらいに波のように押し寄せる激しい痛み。経験したことのないタイプの腹痛に、応利はやり過ごそうと必死にクッションを死ぬ気で抱き締めていた。いきまないようにしつつ、緑谷にもらったオールマイトクッションをひきちぎりそうにないながら握ると、やがて本当に引きちぎれた。
げっ、と思って床に放ると、突然、扉が開いた。荒々しい開き方は聞きなれたもので、思わず顔を上げると、ずっと脳内に思い描いていた人物で思わずぽかんとした。
「…え、幻覚?」
「ちげぇわ」
すぐさま帰って来た声。
間違いない、勝己がコスチューム姿で立っていた。後ろには看護師もおり、勝己は籠手を安全な床に置くとグローブも外し、素手で応利の手を握りしめた。
「いてぇのか」
「今、痛みが引いてるとこ…」
「何分おきだ」
「あー…そろそろ3分おきくらいになってるような…?」
「じゃあ子宮口が7センチぐれぇだな」
「相変わらずお詳しいですね爆豪さん」
女性の看護師は軽い口調で言うと、廊下からガラガラと機械を運び入れる。分娩監視装置だ。本当は看護師が確認してこの機械を使うか決めるところを、プロよろしく勝己が確認したので使うことを判断したらしい。
看護師が色々とチェックしている間に、勝己は病室へ来る直前に用意したタンブラーにストローを指して差し出す。
「カモミールティーだ…」
「別の種類もある」
「さすがかよ…」
「あとリップクリームな。カイロも用意してある」
がさがさと引き出しを漁って中身を取り出すと、看護師がくすりと笑う。
「終始貫徹、初期から出産まで完璧ですね」
「ったりめーだ。俺にできることは少ねぇんだ、それすらやらずにパートナー張れるか」
平然と言った勝己は、なんとか横向きになった応利の腰をマッサージする。その絶妙な力加減に、思わず「あー…」と声が出た。
しかし、そうしている間ではないと思い出す。
「いやいや、ちょっと待て」
「痛かったか」
「そうじゃなくてさ…今保須方面かなり大変なことになってるよな?」
「あぁ…A組のヤツらが、俺に行けっつって手ぇ貸してきやがった」
なんと勝己が病院に行けるように、わざわざA組のメンバーが集まって事件の迅速な解決に当たっているらしい。勝己のためであり、応利のためであり、この子のためである。ヒーローたちの優しさに、声が震えそうになるのを堪えるのに少し必死になってしまった。
「…私が口出すのは良くないと思うんですけれどね。郊外の事件、さっき概ね鎮圧したようですよ」
「えっ、もう…?」
看護師は仕事の話の部類であることに断りを入れつつも、事件の現状を教えてくれた。A組総動員なのだ、当たり前なのかもしれないが、やはり今から勝己が来ていたらと思うとみんなには頭が上がらない気持ちだった。
それから数時間、断続的な陣痛の間隔はどんどん狭まっていき、ついに、とてつもない痛みの最も強い波がやってきた。看護師は経験で、それが本番だとすぐに分かったらしい。
応利はすべてをこの部屋で済ませるタイプの出産を選んでいるため、分娩室にはいかずこのまま出産となる。薄暗い部屋で、いよいよ赤ちゃんの頭がずっと出続ける「発露」という状態を迎えた。
よく、陣痛は男がショック死するほどのものだという。男はそれを聞く度女性に頭が上がらない気持ちになるものだが、その痛みはまさに想像を絶するものだった。
「っ、う、あぁッ、いっ!!」
「はーい叫んじゃダメですよ〜」
看護師(助産師)数人が集まって慌ただしく作業する。あまりの痛みに叫ぼうとしたのを目ざとく察した女性に言われ、仕方なく我慢する。叫ぶと力が発散されてしまうためだ。
その代わり、勝己が手を握ってくれた。目を閉じて耐えていたのをそっと開くと、少し顔を青くして、それでもこちら見つめる紅の瞳と目が合った。
「…クソ、実際はどうすりゃいいのか分かんねぇ…けど、応利、俺の手ぇどうしてもいいから、爪立てるんでもクソ強く握るんでもいい、」
少し必死に言う勝己は、少しでも応利と何かを共有しようとしてくれていた。そうだ、つらいことも何もかも、勝己と2人で、と決めたのだ。
「か、つき…!あークッソマジいてぇ!」
「叫ばないでね〜」
「冷静か…ッ!ぐっ、はぁっ、…!」
遠慮なく勝己の手を親の仇かというほどに強く握りしめる。だが勝己はぴくりとも表情を変えずに、それを受け止めてくれていた。応利とてヒーローの男性だ、力はまったく弱くない。それでも耐える姿は、さすがとしか言えなかった。
「ぅぐ…っ!はッ、っ、」
「頑張って、ヒーローでしょ〜」
「ううう…!ヒーローなんでぇ…ッ!色々刺さったし…!骨折ったし…!もっといてぇことたくさんあっ…、いやでもこれが一番いてぇわクソが!!」
「叫ばないでね〜」
やはり一番近くに勝己がいたからだろうか、自然とふとしたときの口調が勝己に似てしまった。そんな悪態をつきながら、なんとか呼吸と勝己の手に集中し、いきみ続ける。
「応利!大丈夫だ、俺がいる、落ち着け」
「かつきィ…!あああっ、いっ、ぐぅっ…!お前が、…!落ち着け…ッ!!」
「落ち着いとるわ!いてぇ分全部俺にぶつけろや!」
「んで、キレてんだよぉッ!ぐぁっ、はぁっ、!」
「どんな会話よ…」
看護師すら呆れるが、いつもの何気ない会話を彷彿とさせるやり取りは、勝己がそばにいるのだという自覚を更に強くしてくれた。それが、何よりも心強く、安堵した。
正直、この痛みへの恐怖がとてもあったので、勝己が隣にいてくれることが応利にとってどれだけ救いになっているか。強がって電話であんなことを言ったが、A組のおかげでこうして2人でこの瞬間を迎えられていることが、本当に救けになった。
「頭出たよ、いきむのやめて息吐いて!」
看護師に言われるがまま、息を吐きだし、体の力を抜くべくより一層勝己の手を握る。勝己の節くれだった両手に包み込まれて、その低い温度が心地よい。
そして、ついに。
「あ〜っ、出たよ爆豪さん!ほら、」
そんな看護師の声とともに、室内に響き渡る、赤子の泣き声。看護師たちの拍手と歓声。痛みの余波のようなものの中で、看護師の腕に抱かれた小さな命が、いったいどこから出ているのかというくらい、大きな声で泣いていた。
毛布にくるまれて、「抱っこしてあげて、慎重にね」と言われて差し出される。呼吸を整えながら、応利は勝己の手を離し、ゆっくりと、首元と頭に細心の注意を払いつつ、腕の中に招いた。
「……大希、」
きちんと元気よく泣き続けることにホッとして、途端に温かな安堵が広がる。すると、ぽた、とシーツに何か落ちる音がした。見上げると、そこには。
「…勝己、」
勝己が、はらはらと涙を零して2人を見つめていた。驚いて応利も固まってしまう。勝己は腰をかがめてそっと近づくと、目元も拭わずに、応利の頬を撫でた。
「……よう頑張ったな、応利、大希…」
同時に泣き続ける大希の小さな小さな手の甲を撫でた。その指先は震えていた。
「……ありがとな、応利………!!」
「かつ、き……」
声が震える勝己に、応利もつられてしまった。頬を撫でる勝己の手にすり寄り、目を閉じる。目じりから零れたものを勝己が優しく拭う。
応利は知らなかった。
人は、かくも幸せな気持ちになれるものなのだと。
その幸せのかたまりを、最も愛する人と一緒に迎えられたことの喜びは、まるで世界中の美しいものをひとつに集めたかのように暖かで、穏やかなものだった。